その男、激情!101

「しっかりしろっ、」

ダラリと首を垂れ、勇一が動かなくなった。
息絶えたように見える。
怖くなって大喜が勇一の心臓に耳を当てた。

「…気を失っただけか。――焦ったじゃねえかよ。人騒がせな」

心臓は、動いていた。

「起きろ、風邪引くぞ」

パチパチと大喜が勇一の頬を叩く。

「目を覚ませよ」

今度は、鼻を摘んでみた。

「…るせーっ、」

手を払われた。

「―――何やってる」
「何って、あんたを起してやってたんだろ」
「…ここは、どこだ」

勇一がぐるっと辺りを見渡した。

「どこって、桐生の墓だろ」
「桐生? ――ハハハ、そりゃ、いい。時枝はやっと墓の下ってわけか」
「……あんた、何言ってるんだ…」
「やっと、くたばったか。仕事終了だな」
「…あんた、…誰だ」
「誰だって? そういえば、その顔、覚えがあるぞ。あん時のガキか」
「まさか、…橋爪」
「年上を呼び捨てか? 感心しないな」

大喜の頭を勇一が鷲掴みに掴む。

「橋爪さん、だ」
「…嘘だろ」
「何が嘘なんだ? そりゃそうと、この変な格好はお前の仕業のようだが。この間の仕返しのつもりか?」
「…変な、…こと、するな、よ」

ヤバイ、ここに来ることを誰かに知らせておくべきだった。
逃げようにも頭を押さえ込まれていて、大喜は立つことも出来なかった。

「そりゃ、して欲しいっていう意味か。あ?」

勇一、いや、橋爪の手が大喜の頭から股間に移動し、布地の上から大事な部分を乱暴に握った。

「ん、ギャッ!」
「なんつう、声出してるんだ? 赤ん坊か? ま、大差ないがな。ここは大して違わないサイズだ」
「やめ、ろッ」

目の前が白くなる痛みが、大喜を襲っていた。
揶揄に反論する余裕もなく、大喜は橋爪の手を外しに掛る。

「人にモノを頼む態度か?」

こいつ、ホントに橋爪か?
『礼を尽くせよ、桐生勇一』って言ったこと根に持ってるんじゃねえのか?
だが、あいつが橋爪のフリなんて、するはずがない。
したくても、できない。
自分と橋爪が同一人物とは知らないんだから…くそっ、いい加減、離せっ!

「やめて、下さいっ」
「ふん、言えるなら、先に言え」

股間が解放され、目の前に視界が戻る。

「仕事も終わったようだし…、ん? 名前が刻まれてないぞ」

立上がった勇一が、墓をマジマジと見ている。

「名前って…、時枝さんの名前か?」
「他に誰がいる?」

死んでね~んだから、あったり前だろ、とは言わなかった。

「墓石屋のスケジュールの関係だ」

こんな子ども騙しの嘘で、この橋爪が納得するだろうか?
不安ではあったが、橋爪が信じる方に賭けてみた。
橋爪の思い込みをそのまま肯定することを咄嗟の判断で選んだ。
理由は、一つ。
橋爪を時枝に接触させない為だ。
ここで時枝が生存していることを知れば、また殺そうとするに違いない。

「ふん、だらしね~な」

その一言で終わった。
納得した様子に、大喜が安堵する。
橋爪の関心は別の名前に移っていた。
一番端に刻まれた名前を指でなぞっている。

「…桐生勇一、ちゃんとある。俺を死人に仕立てようとしやがって、覚えてろ」

この橋爪はどこまで覚えているのだろうか? 
病室で時枝と交わったことは?

その男、激情!100

「良くねえよっ! あんたやっぱりバカだっ! 撃たれたあんたはどうなったんだ? 自分の命だけ守られて、時枝のオヤジが喜んだとでも思ってるのか?」

勇一の顔が強ばる。

「…いや、――それは…」
「場所が、最悪だったんだよ。撃たれた時に立っていた場所…崖になっていたから…あんた、撃たれて海へと落ちた。そして、あんたの遺体は…あがらなかった。あの後、時枝のオヤジが…くそぅ、ソコから先は本人に聞けよ。俺の口から話すような事じゃない。でも一つだけ、教えておいてやるよ。拉致された時よりも、あんたがいなくなった事の方が、あの人をボロボロにした…」

拉致後の勝貴より、俺はあいつを傷付けてしまった?

「…事実、なんだな。俺が撃たれて、海へ落ちて…。それが三年前」
「あんた、海に落ちてから、一体どこで何をしてたんだ? どうして、今頃っ、」

胸の傷が大喜と一緒になって、勇一を責める。
ズキ、ズキッ、ズキ、と心臓まで圧迫するように、痛み始めた。

「…俺が、起きた時…桐生の…俺の部屋…だった。俺はどうやって…部屋に戻ったんだ」

痛みは頭にも来ていた。
思い出そうとすると、それを拒否するように胸の傷と頭が痛む。
目を開けているのがやっとだ。

「ちょっと、あんた、大丈夫か! 白目になりかかってるぞっ!」

大喜が勇一の異変に気付いた。

「…かつ、…き、…綺麗だ」

今、勇一の目の前には大喜ではなく、時枝がいた。
白いスーツを着て、勇一を見つめている。

『――では、お互いの愛情を確認しあったところで、誓いのキスをお願いします』

――武史の、神父の声がする。
――そう、誓いのキスをしなくては。

大丈夫かと、勇一の腕を取った大喜。
勇一もまた腕を取る。
勇一にはそれは時枝の腕だった。
勇一が時枝に顔を近付ける。
誓いのキスをするために。

「ちょ、ちょっとっ! タンマ!」

勇一が自分を見てないことが、大喜にも分った。
半分白目を剥きながらも、その目は目の前の人物を慈しんでいた。

「俺は、時枝のオヤジじゃないっ、…あっ、――ん」

抵抗虚しく…いや、抵抗する間もなく、勇一の唇が大喜の唇に重なった。
ヤメロッ、と身体を捩ろうとしたが、大喜は出来なかった。
…なんなんだよっ、…こんな甘いキスしやがってっ、……そんなに時枝のオヤジ、愛してたんなら、…どうして橋爪なんかになっちまってたんだよ……
勇一の唇から伝わる、時枝への並々ならぬ深い愛情に大喜の胸が熱くなった。
佐々木と一緒にいた影響か、自分でも気付かないうちに、大喜も恋愛への感受性が高くなっていた。
だから、余計、今までの勇一の態度が許せなかったのだ。

「…勝貴、」

長い口付けだったが、ディープなものではなかった。 
気がつけば、大喜の左目から一筋の涙が零れていた。

「泣くな、勝貴」

その水分を指で勇一が拭う。
指に付いた滴を勇一が見つめる。

「…なっ、」

僅かな水滴がどんどん広がり水溜まりになり、終いにはうねりを伴った波に変わって、自分を飲込んでいるよな錯覚に陥った。

「…ゴホッ、――死ぬもんかっ、」

勇一の腕が宙を掻き分ける。
息遣いがおかしい。

「ちょっ、どうしたっ!」

勇一の奇行に、大喜が目を見張る。
勇一は、海の中にいた。
あの結婚式の日の海の中だった。

―――勝貴ィイイイッ、、―おまえが、撃たれなくて…よかったっ、…今日の、――約束守れない、…俺を許せっ、…クソッ、…クソッ、…死ねるかっ、……あ、い、…つを…、――残し、………て、 ……

その男、激情!99

「ふん、結局成長してないって、ことだろ」
「うるせ~、それ以上、無駄な挑発をするな」
「ハイハイ。ガキはガキなりに大人の階段を昇りました、ってか。…武史と嫁は、見た目には何ら変わりなかったな」
「あの二人は、特別だろ。あんだけイチャついてれば老ける暇もないだろ。でも、潤さんは仕事凄いぜ。時枝のオヤジの替わり、ちゃんとやってるもんな。みんなそれぞれこの三年、イロイロあったんだよ。それなのに…あんたときたら…」
「文句あるなら、全部吐き出せ。包み隠さず話してくれるんだろ?」
「急かすな。話してるだろ。ソープに行ったことは覚えてるんだな。黒瀬さんの所に迎えに行ったことは?」
「…あぁ。…行った。勝貴のヤツ、あいつ、」

突然、勇一の顔が赤くなった。

「どうしたんだ? あんた、汗掻いてるぞ」
「…何でもないっ」
「何でもないって、いう顔じゃないだろ」

勇一の脳裏に、時枝に掘られている自分の姿が浮かんでいた。

「…勝貴の技はスゴイッてことだ。気にするな」
「ナニ思い出してるんだか。自慢かよ」
「…まあな」
「それから三日後、あんたは撃たれた。結婚式の直後だった」
「結婚式? 式挙げたのか、お前達?」
「俺達? ハア…やっぱり、覚えてないか。俺達じゃねえよ。自分の式だろ。あんたと時枝のオヤジの式」
「…嘘だ。俺達は、まだ…」

勇一の顔から、既に赤味は引いていた。
本当に挙げたのなら、それは強く心に残っているはずだ。
どうして、記憶に一欠片もない?
勇一が、胸の中で自問する。

「医務室でも変なこと言ってたもんな。結婚式まであと少しって。その少しは、ちゃんと来たんだよ。迎えに行ってから僅か三日で、あんたと時枝のオヤジは式を挙げたんだ。この辺からあんたの頭、配線グチャグチャだ。専門医に掛った方がいいぞ」
「…本当なのか。俺と勝貴は…」
「ああ。結構笑える式だった。黒瀬さんが手配した日本海の岸壁に建つチャペルだった。といっても、本物のチャペルじゃないぜ、映画のセットだったんだ…あんたは袴、時枝のオヤジは白のスーツだった。神父代行が黒瀬さんだったのが間違いだったと思うけど。でも時枝のオヤジは、そりゃ、幸せそうだった。鬼の目にも涙だった…なのに」

大喜が口を噤む。
天国と地獄を僅かな時間差で味わうこととなった時枝の事を思うと、胸が絞りとられるように痛む。
沈黙。
風が静かに二人の間を流れる。

「…続けろ」

静寂を勇一が破った。

「式の後だった。あんた達はチャペルから出て散策していた。俺とオッサンは迎えのマイクロバスを待つために、少し離れた空き地にいた。現われたのは、迎えのバスじゃなくて、バイクに乗った二人組だった。手にはライフルを持ってて…オッサンが腕と足を撃たれた」

あの時の事の佐々木の血を思いだし、大喜の身体がブルッと震えた。

「…佐々木を撃ったのは、橋爪か?」
「橋爪? 悪りぃけど、それは有りえない。百パーセントないから」

小馬鹿にしたように大喜が言った。

「言い切れるのか?」
「ああ。言い切れる。いいから、俺の話を聞けよ。――っと、言っても…、ここから先は、俺が実際目にした訳じゃあ、ない。俺はオッサンの側にいたから。オッサンが、重傷を負いながらも、あんた達に知らせようと立ち上がった時、ライフルの音が聞こえて来た。その音が、あんたの胸に残る傷の正体だ。潤さんの話によると、バイクに乗った二人連れが狙っていたのは、時枝のオヤジだ。拉致した一味と関係あると思う。時枝のオヤジを狙って弾は発射された。それを、あんたが身体を盾にして、時枝のオヤジを守った」
「…良かった…」

勝貴が撃たれなくて良かった、と思った途端、勇一の口から言葉がポロッと出た。

その男、激情!98

「…勝貴が正解だったんだ…。 天国だと言ってた…俺は、ここにいる俺はっ、」

勇一が大喜の方を振り返った。

「幽霊なんだなっ! そうだろ、ガキ」
「はあぁ~? …ウッソゥ、マジ?」
「いい、隠さなくて。未練たっぷりで戻ったんだ」
「…ゴメン、二日酔いもぶっ飛ぶわ…ヒィ、」

大喜が腹を抱えて笑い出した。

「人が真面目に訊いてるんだっ。俺が死者でも、礼を尽くせッ」
「マジ、受けるんだけど。あ~あ、腹が捩れるほど受けた。悪いけど、俺、霊感ないから。オッサンもないと思うけど。黒瀬さんあたりは、あるかもしれないな。あの人、浮世離れしてるし」
「…霊感のない人間にまで、俺が見えているんだ。…だから、組でも普通に話が出来たのか」
「…あんたさぁ、年幾つだっけ? 俺の親父より結構上だったよな。時枝のオヤジが、時々『勇一のアホ』とか『バカ』とかぼやいていたけど…アレは真実を語っていたんだ」
「失礼すぎるぞっ、このガキ」

勇一が大喜の胸ぐらを掴み掛かったのを、寸前の所で大喜が躱した。

「残念ながら目の前のあんたは幽霊じゃない。近いのは、むしろ、ゾンビ」
「…生き返ったのか…墓の下から。だが…日本は火葬だ…そんなバカな話あるかっ」
「幽霊はあっても、ゾンビはないって…あんたの思考、幼稚園レベルかよ」

身体だりぃよ、と墓石を背もたれに大喜が座り込む。

「あんたも座れよ。三年前の事、聞きたいだろ。ここに名前が刻まれている理由も」
「ガキッ、ひとんちの、大事な墓を粗末に扱うなっ」
「いいから、座れって言ってんの。あんた、今俺しか頼る人いないって、分ってる? あんたの大好きな時枝のオヤジだって、あんたが知りたがってること、教えてはくれね~ぞ」

ポンポンと大喜が自分の隣を叩く。
仕方ね~と、ブツブツ言いながら勇一が腰を降ろした。

「どこから、話すべきか…そうだな、あんた、上、脱げよ。上半身、裸になってみろ」
「はあぁあ? 俺の裸体に興味あるのか? 教える代償に、抱いてくれ、なんてほざくなよ」
「・・・」

何かを言おうとして、無駄だと諦めた大喜。
口だけをポカンと開けている。

「なんとか言え、エロガキ」
「…反論する気も失せる。一々疲れさせるなよ。俺が興味あるのは、あんたの身体に刻まれた傷。いいから、脱げっ、」

叫くなと、勇一が着流しの衿を掴むと左右に開いた。 
ガバッと一気に上半身が剥き出しになる。

「傷って、この銃創のことか?」

左胸から肩に斜めに残る二つの銃創。
古い傷だと、気にしてなかったが…。
思い出せないのは、武史のせいだと思っていた。
勇一が右手で自分の傷をなぞる。
傷を意識した途端、ズキンと、痛みを感じた。

「ああ。直接俺は見てなかったけど…それだろうな…。それ、ライフルで撃たれた痕だ。時枝のオヤジを庇って撃たれて、岸壁から海へ落ちた。そして、あんたの遺体は上がらなかった。それが三年前だ」
「岸壁? どうして、そんな場所で?」
「場所を手配したのは、黒瀬さんだ。――あんたさ、一体どこまで記憶有るんだよ。都合の悪い所、全部忘れているようだけどさ。時枝のオヤジを看病した所は覚えてるの?」
「ああ。あん時の恨みも今回一緒に晴そうと思ってるぐらいだ」
「あ、そう。オッサンをソープに連れ込んだことも、覚えてるのかよ」
「泣きながら、ヤッてたよな~、佐々木。久しぶりの女に、感激の涙ってやつだろう」
「…あんたさぁ、俺を挑発しても意味ないだろう。三年経てば、俺だって成長してるんだ」

冷やかに大喜が軽蔑の眼差しを勇一に向ける。

「――だから、ゆるせね~こともあるんだけど…あのゴリラ…くそっ、腹立ってきた…」

佐々木を思い出し、二日酔いとは別の所で大喜はムカついた。

その男、激情!97

「ムカツクガキだ。人の名前を呼び捨てにする元気があるなら、大丈夫だろ。話せ」
「ムカツクのは、あんただろっ。人が体調悪いのに、出てきてやってるというのにっ。はぁ、もう、いい。サッサと要件すませようじゃないか…話すより先に、見せたいものがある」
「見せたいもの? 今、持ってるのか?」

大喜が何かを隠し持っている風には見えない。
バッグすら持ってない。

「持ち運べるようなものじゃない。…桐生の墓へ行けばわかる」
「墓? 墓に何がある?」
「あんたは、言われた通りにすればいいんだよ。知りたいんだろ?」
「一々ムカツクガキだ。しっかり掴まってろ」

ブン、と勇一がサイドレバーを引いたまま、空ぶかしした。

「だからっ、俺は体調がっ、」

悪いと、言い終る前に車は急発車した。
橋爪の情報と桐生の墓に関係があるとは思えなかったが、今は大喜の言葉を信じるしかない。
何も無かったら、ド突き倒してやろう、と勇一は制限速度を無視してアクセルをふかした。
山の中腹にある霊園。
先祖代々の墓はない。
戦火で寺ごと消滅したため、勇一と黒瀬の祖父・祖母の時代にこの霊園に桐生の墓を購入した。
墓の中に納められているのは、勇一の祖父母、父親、勇一の実の母親だけだ。
霊園の駐車場に車を駐め、勇一が顔色の悪い大喜を肩に担いで、桐生の墓に向かう。

「歩けるっ、降ろせっ、」
「ガキのくせに遠慮するな」
「遠慮じゃないっ、揺られると気持ち悪いんだよ」
「あんだけ吐けば、胃も空っぽだろ」

ここに着くまでの間に、実に三回、大喜の嘔吐の為に休憩をとるはめになった。
その原因は、運転の荒い勇一のせいなのだが、本人は、自分のせいだとは思っていなかった。
てれてれ歩かれては日が暮れると、勇一は問答無用で大喜を担いだ。

「ここに来るのも久しぶりだ」

桐生の墓に着いた。
組の者が定期的に清掃に来ている為、墓石は綺麗に磨きあげられ、花も供えてあった。
大喜を降ろすと、勇一は腰を屈め手を合わせた。
数珠もなければ線香もなかったが、墓の中の家族に手を合わせた。
大喜も形だけ真似た。
本宅の仏間に飾られいる写真でしか知らない人間に、特に思い入れはない。

「…ガキ、俺を担いだのか? ここに何がある? 何も変わった事はない」
「この角度じゃ、わからね~よ。横に回って、石に彫られている文字をよく見て見ろ」

納骨されている者の氏名が掘られている所を大喜が指さした。

「俺の近親者の名前に何か問題でも……あぁ?」

墓石に齧り付くようにして、勇一が最後の列に刻まれた名前を確認する。

「――桐生勇一、って、…誰だ…」
「あんたの名前だろ」
「……だよな。…おれ以外に、この名は…桐生にいねぇ……誰だっ、こんな悪戯した馬鹿はっ!」
「悪戯? 業者に頼んでわざわざ名前刻ませたのか? 名前だけじゃなくて、没年も確認してみろよ」
「…今年じゃねえかよ」
「違うっ。それは三年前だ。あんた、死んだんだ、三年前に。時枝のオヤジの目の前で。マジ、この一週間、時間がおかしいって思わなかったのか? 俺見て、老けたと言ったよな? 他にもおかしなことたくさんあったんじゃないの?」
「…おかしなこと? 皆老けてると感じた、――渡部の禿げ…」
「渡部さんが禿げ出したのは、あんたの葬式の後からだからな。ちなみに、三回忌法要も終わってるぜ」
「――俺のか…」

墓石に刻まれた自分の名前を見ながら、声が震えせ勇一が確認する。

「ああ。時枝のオヤジが葬式も法事も全部仕切った…組長としてな」
「勝貴が、組長? 勝貴が桐生の? ヤクザの組長に?」

時枝が組長にならざるを得ないとしたら、それは自分の死しかない。

その男、激情!96

「どうした? サッサと乗れ」
「あんた、直々の運転かよ」
「心配するな、免許はある」

桐生組関係車両が並ぶ駐車場。
スモークを貼った組長専用車とは別に、国産の三ナンバーも並んでいた。
その一つに勇一が乗り込み、中から助手席のドアを開けた。

「チェ、あんたとドライブかよ」
「一番邪魔が入らない場所だろ。人に聞かれることもない」
「ハイハイ、乗りますよ」

渋々大喜が乗り込む。

「勝貴がいたら、ハイは一つと叱られてたぞ」
「だろうな」

シートベルトを締めた大喜が、チラッと運転席の勇一を見た。
すぐに視線を前方に戻すと、は~あ~と怠そうに溜息を付く。

「変な所に連れこんで、変なことするなよ」

前方を向いたままで、大喜が早口で呟く。

「ガキには、必要無い心配だろ。ケツの青いガキを襲う趣味はねえよ。頭下げてお願いするなら、考えてやるけどな」

勇一がアクセルを乱暴に踏み込み、車が発車した。

「ぐっ、」

大喜の腹にシートベルトが食い込んだ。

「…吐かせたいのか? ったくよ、都合の悪いこと、忘れたで済ませようっていうのが、気にいらね~んだよ」
「どういう意味だ?」
「あんたと二人っきりのドライブ、コレが初めてじゃねえし、あん時、俺はあんたに襲われ掛けたんだ」
「夢の中の話と現実を一緒にするな、くそガキ」
「夢? 寝ぼけてるのはどっちだ。皆があんたに気を遣うと思ったら、大間違いだからな」
「ああ、くそガキは、俺に気など遣わないよな」

ははは、と何故か楽しそうに勇一が笑った。

「…大丈夫…、…じゃ、ねえよな…?」

普通だったら怒るか嫌味で返される所だ。

「ソコがテメェを呼んだ理由だ」

今度は、笑いのないシリアスな口調。

「なに、それ」
「俺に言いたいことあるんだろ。俺に償わせたいことってなんだ? 俺がしたことを償わないと組長と認めないって、啖呵切っただろ」
「…ああ、言った」
「それは、勝貴に関係する。違うか?」
「…違わない」
「俺は、一日でも早く『橋爪』のヤローを殺りたい。あん時、武史より先に俺に教えようとしたよな。だが佐々木はソレを止めようとした。佐々木は俺に隠し事している。イヤ、佐々木だけじゃない。橋爪に辿り着く手掛かりを隠している。そうだろ?」
「ああ。その通りだ」
「――橋爪の情報を知っていながら、組のヤツラは俺に隠しているのか」
「それは違う。組の人は知らない。オッサンだけだと思う」
「…それと、武史と潤か」
「だけじゃない。時枝のオヤジが抜けている」
「全部話せ」

車が、急停止した。
反動で、大喜の上半身が前のめりになる。
また、シートベルトが大喜の身体に食い込んだ。

「…うっ、…吐くっ、吐きそう…」
「くそガキ、二日酔いだったな。車内はゴメンだぜ」

勇一がウィンドウを下げてやると、大喜はシートベルトを外し身を外に乗りだし、嘔吐した。

「コラッ、ボティを汚すなよっ」
「…はぁ、…はぁ、それしか言うことないのかよ…。一体誰のせいだ。知りたいこと教えて欲しいなら、礼を尽くせよ、桐生勇一」

真っ青な顔で唇についた胃液を拭いながら、大喜が勇一を睨む。

その男、激情!95

「俺に用って、何だ」
「ノックぐらいしたら、どうだ。佐々木は、一緒じゃないのか」
「知るかっ。顔も見てね~よ。話があるのは、俺にだろ」

勇一の所に不機嫌な顔で現われた大喜。
目の下には隈ができ、吐く息は酒臭かった。

「朝から飲んでるのか?」
「二日酔いだ。そんなことどうでもいいだろ」
「酒くせ~息、まき散らしながら、どうでもいいとは、態度のでかいガキだ。座れ」

勇一が応接セットのソファーを指さした。
何の遠慮もなく、大喜が上座に座る。

「ふん、ソコは俺の場所だけどな。佐々木の躾はどうなってるんだ」
「客を上座でもてなすっていう一般常識が欠けてるのはどっちだ?」
「だ~れが、客だ。相変わらずのクソガキだな、お前。だから、佐々木も愛想尽かしたんじゃねえのか? あ?」

自分の向かいに座った勇一に、大喜がチンピラ顔負けの眼を飛ばした。

「俺が愛想を尽かしたんだっ!」

と、叫ぶなり大喜は額を抱え込んだ。

「…くそう、大声出させるよな…頭もガンガンしてるんだ」
「知るか。二日酔いの原因は佐々木ってとこか。やけ酒だろ」
「…可愛い女の子達と、合コンに決ってるだろ…俺は、もう、自由の身なんだ。オッサンなんか、知るか」
「だが、佐々木に言われて此処に来たんだろうが」
「人の話を聞いてないのか? 言っただろ、会ってないって。玄関で叫いてたからな。俺に会いに来た理由を。笑わせるぜ。何としても会いたい理由があんたとは。……あのくそゴリラッ、何にも分ってないっ」

大喜は本当に佐々木とは会ってないのだ。
佐々木が母親と話しているのを嘔吐しに行ったトイレから部屋へ戻る途中で聞いたのだ。
佐々木が朝から会いに来た理由に激怒した大喜は、脱いだパジャマと枕を丸めその上に一枚のメモを残し布団を掛け隣の部屋に隠れた。
佐々木が自分の部屋に入るのを確認してから、足音を忍ばせて階下に降り、出てきたのだ。

「…ガキ、お前が…ゴリラって…そりゃ、ねえだろ」

親子ほど年の違う若造に、ゴリラと罵られる佐々木に勇一は同情を覚えていた。
弟の武史が口にする分には何とも思わないのだが、大喜となると話は違った。

「るせ~な。頭痛いのに、来てやったんだ。文句ねぇだろ」
「文句はない。このまま佐々木と拗れたままでいいのか?」
「拗れる? 拗れようもないだろ。オッサンのヤツ、俺が出て行った理由すら気付いてねえよ。連日、見当違いの謝罪だけ並べやがって…くそっ、気付いてたら、あんたの用で俺の所なんか来るもんかっ!」
「わかった、わかった。佐々木の話はもうイイ。二人の問題に口は挟む気ないから好きにしろ。呼び出した理由は、佐々木のことじゃない」
「…俺も話したいこと、山程あるんだよ。だから来たんだ。オッサンを俺んとこに寄越さなくても、近々、あんたとは話付けなきゃと思ってたんだ。話できる場所に移ろうぜ」
「ココが、」

トントンと、二人の間のテーブルを勇一が指で叩く。

「その場所だろ」
「馬鹿言うなよ。いつオッサンが戻って来るか分らないだろ。落ち着いて話せるかっ」
「そこまで嫌われているとは…。気の毒な野郎だ」
「あんただって、俺とサシで話がしたいんだろ? 違うか」

あ~あ、と勇一が立上がる。

「何だよ、」

上から見下ろされ、大喜が怯む。

「びびるなガキ。テメェが言ったんだろ。ココじゃあイヤだって。出るぞ」

スタスタと勇一が先に事務所を出ようとする。

「ちょ、ちょっと、あんた、鍵ッ! 開けっ放しで行くつもりか」

行儀悪く足でドアを開けようとする勇一の後ろ姿に、慌てて大喜が叫ぶ。

「掛けとけ」

ホイ、と勇一が着流しの袂から取りだした鍵を大喜に投げた。

その男、激情!94

「…はぁ…組長も…無茶なことを…」

閑静な住宅街に響く、四十男の深い溜息。
ガクッと肩を落とした後ろ姿は、疲れ切った中間管理職といった感じだ。
ダラリと垂れた尻尾が見える…ことはないが、犬だったらまさにそんな感じだろう。
もっとも、普段この男、犬よりもゴリラに例えられる方が多い。
実際、ゴリラと一夜を共にしたこともあるという、貴重な経験の持ち主だ。
そんな男でも前から見れば、疲労漂う情け無い顔であっても、一目でその筋のモノと分る面構えなのだが。

「…会えねぇ…ものを…どう連れ出せばいいんだ…」

大喜が実家に戻った当日、佐々木は本宅内で自分の仕事を終えると大喜の実家に飛んで行った。
大喜の両親は、佐々木が拍子抜けするぐらい佐々木の登場を歓迎してくれた。
が、しかし…、

「お二人のことはお二人の問題ですから。多少誤解があるようですが、私達は佐々木さんを信じていますので」

と、自分よりずっと若い父親に言われ、

「ケンカするほど仲がいいと言いますしね。大げんかできる二人が羨ましい…、ね、あなた」

若い旦那にハートマークを浮かべながら、言葉だけ佐々木に向けた母親。

「…あのぅ、それでダイダイは」
「修治さんがこの家から出ていくまで、部屋に籠もる気らしいです。部屋に鍵を掛けてしまってて」
「…何とか…、連れ出してもらうわけには…。いや、自分が行きます!」

大喜の部屋の前に行き、開かないドアに向かって何度謝罪の言葉を述べたか…、天の岩戸は開かなかった。
物音一つしない。

「今日の今日ですから、日を改めた方が、」

若い父親に諭され、泣く泣く本宅へ戻ってから一週間。
連日、通っているが会えなかった。
大学にも行ったが、若者溢れるキャンパスでは浮きまくり、大喜を探し出す前に警備員に連れ出された。
大喜の名を連呼しながら構内を彷徨っていたので、ストーカーとでも思われたのだろう。
いっそ、大喜の通学路で待ち伏せして、拉致してしまおうかとも思ったが、それでは余計怒らせることになりそうだ。
とにかく自分の誠意を見せるのが一番だと、昨夜も佐々木はこの道を歩いていた。

「おはようございます」
「今日はお早いですね」

出迎えてくれたのは、大喜の母親だった。
夜だと大抵父親が出迎えてくれる。
時間帯的に、彼は仕事中だろう。

「ダイダイ―大喜は、…大学ですか?」

玄関先で、とりあえずの確認をする。

「いえ、昨日飲み会だったらしく、二日酔いで潰れています」
「…よかったぁ。今日は何としても会いたいくて。組長が用事があるらしく」
「組長? 時枝さんが大喜に?」
「いえ、勇一組長の方です」
「戻って来たって、本当だったんですね」
「はい。呼んでこいと命じられまして」
「そうですか。二日酔いで機嫌悪いと思いますが頑張って下さい。ごゆっくりどうぞ」

そうそうゆっくりもしてられないんだが… 頭を掻きながら大喜の部屋の前に行った。
どうせ開いてないだろうとドアノブを回してみた。
佐々木の予想に反してドアは開いていた。
四十男の心臓が高鳴る。
まるで初めて彼氏の部屋に入る十代の女の子のように、佐々木は緊張していた。

「お、じゃま、しまぁーすっ」

地声より一オクターブ高くなった声には、緊張のあまりビブラートが掛っている。
ベッドの布団が盛り上がっていた。
頭は布団で隠れていて見えない。

「…ダイダイ、…そのぅ、…身体は、大丈夫か…?」

一歩一歩、ベッドに近付けながら、恐る恐る訊ねた。
返事はかえって来なかった。
出ていけ、という拒絶の言葉もない。
今日は、謝罪を受けてくれる気じゃないだろうか。
少しの期待が生まれる。
それが、より佐々木に緊張を与えた。

「…反省、…している。この通りだ。俺が悪かった…。気分が悪いときに、来ちまって悪いが…」

ベッドに着くと、跪き盛り上がった布団にそっと手を置いた。
ベッドに染みついている大喜の匂い。
この下に大喜がいると思うと緊張はマックスで、同時に大喜に触れたいという想いが湧き上がり、緊張の糸は遂に振り切れてしまった。

「ダイダ――イッ、好きだぁああっ!」

佐々木は、叫びながらベッドにダイブしていた。

その男、激情!93

ここまでが4巻目です…ということで、切りの関係で短いです…。

勇一が懐から煙草を取り出すと、自分の椅子で一服入れはじめた。
凄く久しぶりに座った気がする。

「…組長、アッシは何を?」

佐々木には、特に指示がなかった。

「なんだ、まだ居たのか。さっさとガキを連れて来い」
「ぇえええ? あの件は…もう、ナシになったんじゃ、」
「寝ぼけてんじゃねえぞ。ナシにしてやったのは、テメェの身体の話だろうが。ガキに話があるのは何も変わっちゃいねえ」
「…やはり組長は、ダイダイの可愛い桃を」

煙草の先を灰皿にグリグリ押し付けながら、

「いい加減にしろよ、またその話を蒸し返す気か? ガキの青いケツもテメェのブツブツしたケツも狙うか、度アホッ。俺のマグナムは勝貴だけしか悦ばないんだよ」

勇一が佐々木を見据えた。

「だったら、何の用事か教えて下さいっ!」
「連れて来いったら、連れて来いっ! 話があるって言ってるだろうがっ。出て行ったからって、アレも桐生で世話になった身じゃねえのか? あいつに仕事の話があるだけだ。一々テメェの許可がないと、話をしちゃいけね~とは、まさか言わね~よな? は?」

まくし立てる口調に、勇一の苛つき度が現われていた。

「だいたいお前達が無事合体出来たのは誰のおかげだと思ってるんだっ! ハネムーン先で逃げられた情け無い男のくせに、でけぇ面晒してんじゃねえぞ、桐生組若頭、佐々木修治」
「…顔の大きさを問われましても……」
「はあ?」
「いえ、何でもありませんっ」
「連れて来るのか、来ないのかって、訊いてるんだ、どっちだ」

ギロッと勇一が佐々木を睨む。

「最初から、仕事の話だと言ってくれれば、アッシだって…」
「グダグダ煩いっ、どっちだ、答えろ」

本当は仕事とは何の関係もない話だったが、佐々木が愚図るので個人的な話から仕事の話にすり替えた。
目的は手段を正当化する、大喜と話が出来ればいいのだ。

「連れて来ますっ!」

言うと同時に佐々木が事務所を飛び出した。

その男、激情!92

「あのぅ、アッシの身体の件は?」
「もういい。テメェが、組の若頭の自覚あるなら、それでいい」
「はぁあ、ホッとしました」
「立て。視線集めてるぞ」

佐々木が立ち上がり、キョロキョロと周りを見渡す。
通りに人は見あたらない。

「上だ、上」

勇一が桐生の事務所の窓を指す。
佐々木が上を見上げると、

「うわっ、お前ら、何をやってるんだっ!」

桐生組事務所の窓から、身体を乗り出し見下ろしてる組員達。
ヤバイと、一斉に頭を引っ込めた。
勇一と佐々木が事務所に戻る間、桐生の事務所内は佐々木が大喜との夜のスタイルについて、盛り上がっていた。

「俺、ショックです」
「…俺もです…。あの凛々しい若頭が、あのダイダイにっ、…夜な夜な…」
「いやあぁあんっ」

耳を塞ぎながら首をふる者、俺は信じないと宣言する者、何やら想像しニヤニヤする者と、勇一のお出ましで硬くなっていた組員からすっかり緊張は解けていた。
彼等がどこから聞いていたかというと、佐々木が土下座した後からだ。
二人が出て行ってから、皆、窓の外に意識が向かっていた。
横断歩道に二人の姿が現われてから、『もうすぐ戻って来るぞ』と、窓から二人の動きを追っていた。
何やら二人が揉め出した、何事だ、と皆が窓に貼り付いた途端、佐々木が勇一に投げ飛ばされた。
佐々木の尋常ではない慌てように、好奇心を抑えきれない一人が窓を開けた途端、佐々木が土下座をしたのだ。
なんだ、なんだ、と一斉に身を乗り出し、その後の会話を一部始終聞いたのだ。
もっともそれが可能だったのは、佐々木の声が通常の会話レベルを遙かに超えた音量だったからだ。

「騒がしいな」

二人が戻ってきた。
先に事務所内に足を踏み入れたのは勇一だった。
瞬時にざわめきが止む。

「お、お帰りなさいませっ!」
「変わった事は、」

勇一の後ろから入って来た佐々木が訊いた。

「…俺達は、…例え若頭が…、」
「関係ない話をするなっ、」

木村が、佐々木に向かって何か言い掛けた一人を制した。

「何だ? 言ってみろ。気になるだろ」

佐々木が目を釣り上げる。

「いえ。皆、桐生を―――組長と若頭をより一層盛り上げていこうと、話していたものですから…俺達の熱い思いなんぞ、それこそ、暑苦しいだけですので、気になさらずに」

木村が頭を下げた。

「頼むな」

答えたのは、勇一だった。
橋爪との戦いを前に、組員が団結している姿は有り難かった。

「早速だが、時枝を撃った男の目撃情報を掻き集めてくれ。橋爪と名乗っているが、多分偽名だろう。あと、木村は金田と一緒に台湾の李の動きを調べてくれ。――金田の姿が見えないようだが…」

ヤバイ、とその場にいた勇一を除く全員が凍り付く。
M字に禿げかけた渡部より金田の事は重大だった。
金田は木村を慕っていた組員だが、既に組を抜けていた。

「盲腸なんですっ! 入院中です」

木村が、咄嗟の嘘をつく。

「金田の分も、俺が頑張ります」
「そうか。頼むぞ」
「はい」

木村が返事をすると、それを合図にしたように、一斉に事務所から出て行った。
それこそ、蜘蛛の子を散らすように。
思うことは皆同じらしい。
勇一の側にいると、勇一に三年のブランクを気付かせるような事を自分が口走るのではないか、ヘマをするのではないかと落ち着かないのだ。