「…はぁ…組長も…無茶なことを…」
閑静な住宅街に響く、四十男の深い溜息。
ガクッと肩を落とした後ろ姿は、疲れ切った中間管理職といった感じだ。
ダラリと垂れた尻尾が見える…ことはないが、犬だったらまさにそんな感じだろう。
もっとも、普段この男、犬よりもゴリラに例えられる方が多い。
実際、ゴリラと一夜を共にしたこともあるという、貴重な経験の持ち主だ。
そんな男でも前から見れば、疲労漂う情け無い顔であっても、一目でその筋のモノと分る面構えなのだが。
「…会えねぇ…ものを…どう連れ出せばいいんだ…」
大喜が実家に戻った当日、佐々木は本宅内で自分の仕事を終えると大喜の実家に飛んで行った。
大喜の両親は、佐々木が拍子抜けするぐらい佐々木の登場を歓迎してくれた。
が、しかし…、
「お二人のことはお二人の問題ですから。多少誤解があるようですが、私達は佐々木さんを信じていますので」
と、自分よりずっと若い父親に言われ、
「ケンカするほど仲がいいと言いますしね。大げんかできる二人が羨ましい…、ね、あなた」
若い旦那にハートマークを浮かべながら、言葉だけ佐々木に向けた母親。
「…あのぅ、それでダイダイは」
「修治さんがこの家から出ていくまで、部屋に籠もる気らしいです。部屋に鍵を掛けてしまってて」
「…何とか…、連れ出してもらうわけには…。いや、自分が行きます!」
大喜の部屋の前に行き、開かないドアに向かって何度謝罪の言葉を述べたか…、天の岩戸は開かなかった。
物音一つしない。
「今日の今日ですから、日を改めた方が、」
若い父親に諭され、泣く泣く本宅へ戻ってから一週間。
連日、通っているが会えなかった。
大学にも行ったが、若者溢れるキャンパスでは浮きまくり、大喜を探し出す前に警備員に連れ出された。
大喜の名を連呼しながら構内を彷徨っていたので、ストーカーとでも思われたのだろう。
いっそ、大喜の通学路で待ち伏せして、拉致してしまおうかとも思ったが、それでは余計怒らせることになりそうだ。
とにかく自分の誠意を見せるのが一番だと、昨夜も佐々木はこの道を歩いていた。
「おはようございます」
「今日はお早いですね」
出迎えてくれたのは、大喜の母親だった。
夜だと大抵父親が出迎えてくれる。
時間帯的に、彼は仕事中だろう。
「ダイダイ―大喜は、…大学ですか?」
玄関先で、とりあえずの確認をする。
「いえ、昨日飲み会だったらしく、二日酔いで潰れています」
「…よかったぁ。今日は何としても会いたいくて。組長が用事があるらしく」
「組長? 時枝さんが大喜に?」
「いえ、勇一組長の方です」
「戻って来たって、本当だったんですね」
「はい。呼んでこいと命じられまして」
「そうですか。二日酔いで機嫌悪いと思いますが頑張って下さい。ごゆっくりどうぞ」
そうそうゆっくりもしてられないんだが… 頭を掻きながら大喜の部屋の前に行った。
どうせ開いてないだろうとドアノブを回してみた。
佐々木の予想に反してドアは開いていた。
四十男の心臓が高鳴る。
まるで初めて彼氏の部屋に入る十代の女の子のように、佐々木は緊張していた。
「お、じゃま、しまぁーすっ」
地声より一オクターブ高くなった声には、緊張のあまりビブラートが掛っている。
ベッドの布団が盛り上がっていた。
頭は布団で隠れていて見えない。
「…ダイダイ、…そのぅ、…身体は、大丈夫か…?」
一歩一歩、ベッドに近付けながら、恐る恐る訊ねた。
返事はかえって来なかった。
出ていけ、という拒絶の言葉もない。
今日は、謝罪を受けてくれる気じゃないだろうか。
少しの期待が生まれる。
それが、より佐々木に緊張を与えた。
「…反省、…している。この通りだ。俺が悪かった…。気分が悪いときに、来ちまって悪いが…」
ベッドに着くと、跪き盛り上がった布団にそっと手を置いた。
ベッドに染みついている大喜の匂い。
この下に大喜がいると思うと緊張はマックスで、同時に大喜に触れたいという想いが湧き上がり、緊張の糸は遂に振り切れてしまった。
「ダイダ――イッ、好きだぁああっ!」
佐々木は、叫びながらベッドにダイブしていた。