「何いってるんだ? 俺が橋爪だと言いたいのか? 橋爪でも劉(りゅう)というヤツでもないぜ。俺はお前のダチから旦那に昇格した桐生勇一だ。式だって挙げたじゃねえかよ…寒かったな、あの教会――まさかアレからしばらく会えなくなるとはよ~、やっぱ、映画のセットじゃ神様が怒ったのかもしれね~な。第一、俺、クリスチャンじゃねえし」
「―――勇一、お前…、」
時枝が、恐々と視線を上げると、短刀を勇一が左手の小指の第二関節に押しあてたところだった。
「ばかっ、ヤメロッ!」
「組長ーっ! はやまらないで下さいっ」
「――殺さなくて良かった…。勝貴をこの手で殺さなくて良かったっ! ――もう、分っただろ。俺に、筋を通させろっ! 詫びを受けろ、」
えい、っと勇一が短刀に圧を加えた。
「ぐっ、」
勇一の顔が一瞬酷く歪む。
「バァカヤロゥウウウーッ!」
刃が半紙に到達したシャリという音と共に、時枝の声が轟いた。
ベッドリと赤く染まった短刀を畳に勇一が突き刺した。
「…はあ、…はあ、ほらよ。受け取れ」
自分の身体から離れた小指を、勇一は時枝に放り投げた。
時枝が、身体のバランスを崩しながら勇一の小指をキャッチした。
「時枝さんっ」
横に倒れた時枝を、佐々木が起す。
「俺のことより、救急車だっ! 早く、この指と勇一を運べっ!」
ついさっきまで勇一の身体の一部だった小指は、まだ勇一の体温を保っていた。
「なんてことしたんだっ、こんな詫びを俺が喜んで受け取るはずないだろぅが、この大バカヤロ―ッ。佐々木っ、ぼやぼやするなっ、救急車っ!」
敬称など付ける余裕もなく、時枝は自分の身体を支えている佐々木を怒鳴る。
佐々木が慌てて立上がった。
「佐々木、まだ、おわってね~よ。座れ」
小指の切断口からの出血を半紙数枚で押さえながら、勇一が佐々木に眼を飛ばす。
「組長っ、無理ですっ。救急車が先です!」
「いいから、座れっ! 俺が座れと言ってるんだ、座れっ!」
「佐々木、いいから救急車っ!」
相反する指示。
佐々木とて、時枝の方を優先させたかった。
「俺と勝貴、お前にとって、どっちが組長だ? あ?」
その一言で、佐々木は動けなくなった。
「佐々木ィイイっ!」
時枝の叫びに、佐々木は「申し訳ございません」と答えるしかなかった。
「もう、いい。自分で呼ぶっ」
時枝が自力で立とうと試みる。
だが、力が思い通りに入らない足では立てるはずもなく、結局座ったままの移動に切り替えた。
「…くそ、…くそうっ、――こんな時に、この足はっ、」
「――…その足にしたのも、俺だ…俺がお前をそんな体にしちまった…俺のケジメを見届けてくれよ、勝貴。まだ、終わってないからよ。頼む。見届け人になってくれ。この通りだ」
勇一の態度が一変する。
深く頭を下げた勇一に、彼の底無しの苦悩を感じ、時枝は動けなくなった。
「――お前のケジメが、俺にはどれだけ残酷が分ってて、言っているんだろうな?」
自分を庇ったせいで、勇一は撃たれたのだ。
橋爪にしてしまった責任は、自分にあると時枝は思っている。
殺し屋を名乗っていたぐらいだ。
この数年の間に、きっと何人、何十人と殺めてきたはずだ。
今、橋爪として生きた歴史が勇一の中にあるというなら…これまでに犯した罪の苦しみに押し潰されそうなはずだ。
「…分っていると思う。しかし、頼む。桐生勇一の仁義を貫かせさせてくれ」
「――わかった。好きにしろ」
時枝は覚悟を決めた。
こうなりゃ、勇一のやりたいことにとことん付き合うしかないだろ。
それを目の前の男は望んでいるのだ。
戻って来た最愛の男が。