その男、激情!142

「佐々木、」

勇一が時枝から佐々木に視線を移した。

「はい」
「短刀を返す。取りに来い」
「…はい、」

佐々木が勇一の前に出向き、畳に突き刺さった短刀を引き抜こうと柄を握った。
すると勇一が、五本指揃っている右手で短刀を上から押さえ付けた。

「…あのぅ、…組長、手を」
「このままで俺の話に付き合え」
「はい」

横から佐々木、上から勇一、一本の短刀を奪い合っているように見える。

「…ガキにも同席して欲しかったが…」

その一言で、時枝は勇一が今から話そうとしている内容が分った。

「それは、駄目だ――っ」

時枝の叫びを勇一は完全に無視した。

「おまえのとこのガキに、援交させた」
「エンコー?」

佐々木が、何ですかそれ? という顔で聞き直した。

「金の為に、男を釣らせた。美人局のはずが、最後までいっちまった」
「…最後までって…、それはどういう意味ですか?」

佐々木が目を伏せ、抑揚のない声で訊いた。

「テメェのとこのガキは俺のせいで男にケツを掘られた」
「…そんな、…バカなっ、」
「事実だ」
「信じられるかァア――ッ!」

烈火のごとく怒った佐々木が、掴んで短刀を勇一を押し退け引き抜くと、そのまま勇一に向け、翳した。

「佐々木さん、落ち着いて下さい」

時枝の声は、怒りで興奮した佐々木の耳には届かなかった。

「振り下ろせ。お前にはその権利がある」
「許せねーっ、ダイダイをっ、俺のダイダイにっ、」

佐々木が勇一の胸ぐらを掴むと、短刀を振り下ろした。

「ヤメローッ」

結末が怖くて、その瞬間、時枝は目を閉じた。
刺されたはずの勇一からも佐々木からも何の声も上がらない。
勇一が倒れた音も聞こえない。
時が止まったような静寂に、時枝がゆっくりと瞼を上げた。

「…静止画?」

佐々木の振り下ろした短刀の刃先が、勇一の喉仏に触れていた。
そこから血液が一筋流れている。
そこからグイッと押し込めば、勇一の命は切れるだろう。
だが、そこで止まったままだ。
目を凝らして見ると、静止画ではなく動きがある。 
佐々木の短刀を握った手が小刻みに震えている。
それが刃先に伝わり、喉仏の傷も少しずつ拡大しているようだ。
流れ落ちる血の量が少しずつ増えている。
それでも命に係わるような量ではない。

「どうした、佐々木?」

勇一が佐々木を挑発するように言う。

「…うっ、…うっ、…うっ、」

命を預けている勇一と命に替えても守ってやりたい大喜。
グサリと行く寸前の所で、忠義心が佐々木の動きを縛っていた。

「勇一じゃない。橋爪がしたことだっ!」

今ならまだ間に合う、と時枝が佐々木に訴え掛ける。 
時枝とて、橋爪だからといって許せる話じゃないと大喜に言っていたが、今は別の人間がしたことだ、と訴えることしか思い付かなかった。

「勝貴、余計なことを言うなっ!」

勇一から叱られても、時枝は止めなかった。

「佐々木さん、橋爪は俺を銃撃したぐらいだ。勇一だったらそんなことはしないっ! 橋爪が許せないなら、その責任は俺にあるっ! 俺を殺せっ!」
「勝貴! 佐々木の邪魔するなっ!」
「ゴチャゴチャ、ウルセ―ッ! …うっ、…くそっ、…くそォオオっ!」

佐々木の短刀が動いた。

「っ、」

短刀の動きに時枝が呼吸を忘れた。

「――ぅ、そぅ」

一瞬の出来事が、スローモーションのようにコマ写しで時枝の網膜に焼き付いた。
佐々木の短刀が前に動くのと同時に、勇一の身体も同じスピードで後退した。
グサッと刺さるはずの刃は刺さらず、喉仏の出っ張りに触れただけに留まっている。
勇一は背筋を使っただけだったが、少しでもタイミングがずれれば、佐々木の短刀が喉を突き刺していたのは間違いない。

「…、――アッシは、――アッシは、なんてことをッ!」

気が動転していた佐々木は、自分が勇一を刺したと思い込んでいた。
ガクガクと震えだした佐々木の腹を、勇一が殴った。 
佐々木がよろけ畳みの上に尻から落ちると、手にしていた短刀を奪った。
畳の上にまだ半分残っていた半紙の上に、血で染まった左手を置くと、

「振り下ろす権利は与えるが、命はやれね~んだよ、佐々木。勝貴をこれ以上の地獄に落とすわけにはいかね~からよ。―んぐっ、」

薬指を第二関節から落とした。