「佐々木、」
勇一が時枝から佐々木に視線を移した。
「はい」
「短刀を返す。取りに来い」
「…はい、」
佐々木が勇一の前に出向き、畳に突き刺さった短刀を引き抜こうと柄を握った。
すると勇一が、五本指揃っている右手で短刀を上から押さえ付けた。
「…あのぅ、…組長、手を」
「このままで俺の話に付き合え」
「はい」
横から佐々木、上から勇一、一本の短刀を奪い合っているように見える。
「…ガキにも同席して欲しかったが…」
その一言で、時枝は勇一が今から話そうとしている内容が分った。
「それは、駄目だ――っ」
時枝の叫びを勇一は完全に無視した。
「おまえのとこのガキに、援交させた」
「エンコー?」
佐々木が、何ですかそれ? という顔で聞き直した。
「金の為に、男を釣らせた。美人局のはずが、最後までいっちまった」
「…最後までって…、それはどういう意味ですか?」
佐々木が目を伏せ、抑揚のない声で訊いた。
「テメェのとこのガキは俺のせいで男にケツを掘られた」
「…そんな、…バカなっ、」
「事実だ」
「信じられるかァア――ッ!」
烈火のごとく怒った佐々木が、掴んで短刀を勇一を押し退け引き抜くと、そのまま勇一に向け、翳した。
「佐々木さん、落ち着いて下さい」
時枝の声は、怒りで興奮した佐々木の耳には届かなかった。
「振り下ろせ。お前にはその権利がある」
「許せねーっ、ダイダイをっ、俺のダイダイにっ、」
佐々木が勇一の胸ぐらを掴むと、短刀を振り下ろした。
「ヤメローッ」
結末が怖くて、その瞬間、時枝は目を閉じた。
刺されたはずの勇一からも佐々木からも何の声も上がらない。
勇一が倒れた音も聞こえない。
時が止まったような静寂に、時枝がゆっくりと瞼を上げた。
「…静止画?」
佐々木の振り下ろした短刀の刃先が、勇一の喉仏に触れていた。
そこから血液が一筋流れている。
そこからグイッと押し込めば、勇一の命は切れるだろう。
だが、そこで止まったままだ。
目を凝らして見ると、静止画ではなく動きがある。
佐々木の短刀を握った手が小刻みに震えている。
それが刃先に伝わり、喉仏の傷も少しずつ拡大しているようだ。
流れ落ちる血の量が少しずつ増えている。
それでも命に係わるような量ではない。
「どうした、佐々木?」
勇一が佐々木を挑発するように言う。
「…うっ、…うっ、…うっ、」
命を預けている勇一と命に替えても守ってやりたい大喜。
グサリと行く寸前の所で、忠義心が佐々木の動きを縛っていた。
「勇一じゃない。橋爪がしたことだっ!」
今ならまだ間に合う、と時枝が佐々木に訴え掛ける。
時枝とて、橋爪だからといって許せる話じゃないと大喜に言っていたが、今は別の人間がしたことだ、と訴えることしか思い付かなかった。
「勝貴、余計なことを言うなっ!」
勇一から叱られても、時枝は止めなかった。
「佐々木さん、橋爪は俺を銃撃したぐらいだ。勇一だったらそんなことはしないっ! 橋爪が許せないなら、その責任は俺にあるっ! 俺を殺せっ!」
「勝貴! 佐々木の邪魔するなっ!」
「ゴチャゴチャ、ウルセ―ッ! …うっ、…くそっ、…くそォオオっ!」
佐々木の短刀が動いた。
「っ、」
短刀の動きに時枝が呼吸を忘れた。
「――ぅ、そぅ」
一瞬の出来事が、スローモーションのようにコマ写しで時枝の網膜に焼き付いた。
佐々木の短刀が前に動くのと同時に、勇一の身体も同じスピードで後退した。
グサッと刺さるはずの刃は刺さらず、喉仏の出っ張りに触れただけに留まっている。
勇一は背筋を使っただけだったが、少しでもタイミングがずれれば、佐々木の短刀が喉を突き刺していたのは間違いない。
「…、――アッシは、――アッシは、なんてことをッ!」
気が動転していた佐々木は、自分が勇一を刺したと思い込んでいた。
ガクガクと震えだした佐々木の腹を、勇一が殴った。
佐々木がよろけ畳みの上に尻から落ちると、手にしていた短刀を奪った。
畳の上にまだ半分残っていた半紙の上に、血で染まった左手を置くと、
「振り下ろす権利は与えるが、命はやれね~んだよ、佐々木。勝貴をこれ以上の地獄に落とすわけにはいかね~からよ。―んぐっ、」
薬指を第二関節から落とした。