その男、激情!92

「あのぅ、アッシの身体の件は?」
「もういい。テメェが、組の若頭の自覚あるなら、それでいい」
「はぁあ、ホッとしました」
「立て。視線集めてるぞ」

佐々木が立ち上がり、キョロキョロと周りを見渡す。
通りに人は見あたらない。

「上だ、上」

勇一が桐生の事務所の窓を指す。
佐々木が上を見上げると、

「うわっ、お前ら、何をやってるんだっ!」

桐生組事務所の窓から、身体を乗り出し見下ろしてる組員達。
ヤバイと、一斉に頭を引っ込めた。
勇一と佐々木が事務所に戻る間、桐生の事務所内は佐々木が大喜との夜のスタイルについて、盛り上がっていた。

「俺、ショックです」
「…俺もです…。あの凛々しい若頭が、あのダイダイにっ、…夜な夜な…」
「いやあぁあんっ」

耳を塞ぎながら首をふる者、俺は信じないと宣言する者、何やら想像しニヤニヤする者と、勇一のお出ましで硬くなっていた組員からすっかり緊張は解けていた。
彼等がどこから聞いていたかというと、佐々木が土下座した後からだ。
二人が出て行ってから、皆、窓の外に意識が向かっていた。
横断歩道に二人の姿が現われてから、『もうすぐ戻って来るぞ』と、窓から二人の動きを追っていた。
何やら二人が揉め出した、何事だ、と皆が窓に貼り付いた途端、佐々木が勇一に投げ飛ばされた。
佐々木の尋常ではない慌てように、好奇心を抑えきれない一人が窓を開けた途端、佐々木が土下座をしたのだ。
なんだ、なんだ、と一斉に身を乗り出し、その後の会話を一部始終聞いたのだ。
もっともそれが可能だったのは、佐々木の声が通常の会話レベルを遙かに超えた音量だったからだ。

「騒がしいな」

二人が戻ってきた。
先に事務所内に足を踏み入れたのは勇一だった。
瞬時にざわめきが止む。

「お、お帰りなさいませっ!」
「変わった事は、」

勇一の後ろから入って来た佐々木が訊いた。

「…俺達は、…例え若頭が…、」
「関係ない話をするなっ、」

木村が、佐々木に向かって何か言い掛けた一人を制した。

「何だ? 言ってみろ。気になるだろ」

佐々木が目を釣り上げる。

「いえ。皆、桐生を―――組長と若頭をより一層盛り上げていこうと、話していたものですから…俺達の熱い思いなんぞ、それこそ、暑苦しいだけですので、気になさらずに」

木村が頭を下げた。

「頼むな」

答えたのは、勇一だった。
橋爪との戦いを前に、組員が団結している姿は有り難かった。

「早速だが、時枝を撃った男の目撃情報を掻き集めてくれ。橋爪と名乗っているが、多分偽名だろう。あと、木村は金田と一緒に台湾の李の動きを調べてくれ。――金田の姿が見えないようだが…」

ヤバイ、とその場にいた勇一を除く全員が凍り付く。
M字に禿げかけた渡部より金田の事は重大だった。
金田は木村を慕っていた組員だが、既に組を抜けていた。

「盲腸なんですっ! 入院中です」

木村が、咄嗟の嘘をつく。

「金田の分も、俺が頑張ります」
「そうか。頼むぞ」
「はい」

木村が返事をすると、それを合図にしたように、一斉に事務所から出て行った。
それこそ、蜘蛛の子を散らすように。
思うことは皆同じらしい。
勇一の側にいると、勇一に三年のブランクを気付かせるような事を自分が口走るのではないか、ヘマをするのではないかと落ち着かないのだ。