その男、激情!10

「組長、潤さま、ボンがお待ちです」

桐生組若頭の佐々木が姿を見せる。
呼びにやったはずの潤が戻ってこないので、黒瀬が痺れを切らしたらしい。

「ボンって、黒瀬の事? 佐々木さん勇気ある~。明日は東京湾の底?」

潤がふざけ半分に、佐々木に言う。
黒瀬はボンと呼ばれるのを嫌っている。
普段は気を付けているので黒瀬を『武史さま』と呼ぶが、気が緩んだ時や目の前に黒瀬がいない時などは、ついつい『ボン』と呼んでしまうのだ。

「潤さま…勘弁して下さい。まだまだ、アッシが死ぬわけには…組と組長、ダイダイを残して先には逝けませんっ!」

からかわれただけなのに、佐々木は必死だった。
四十半ばを過ぎた、顔に傷持つ強面(こわもて)の男が、しどろもどろになる姿は滑稽だ。
まあ、無理もない。
『殺す』が口癖の黒瀬。
彼は自分の手を汚さず気に入らない人間を抹殺することなど、朝飯前の男だ。
佐々木が黒瀬から「殺す」と言われることは、決して珍しい事ではないが、どこまでが黒瀬の許容範囲か佐々木には分からない。
そろそろ今までの失言の積み重ねで、危ないと思っている。
四十半ば、まだまだ男の働き盛り。
守るべきモノも、大事なモノも一つじゃない。
佐々木にとって、大喜もその一つだった。
佐々木と、黒瀬と潤を迎えに行った大喜は、桐生本宅敷地内にある佐々木の家で、同居ではなく同棲中だ。

「冗談だよ。桐生にとって大事な人間が、いなくなると時枝さんも困るだろうしね」
「いえ、私は別に」
「…そんなぁ、組長ぅ~」
「はは、結構良いコンビなんだね。佐々木さん、いっそダイダイから時枝さんに乗り換えたら?」

これこそ潤の冗談だったが、二人の顔色が変った。

「潤さま、怒りますよ。笑えません」

ムッと、した表情の時枝と

「アッシには、ダイダイだけが…あ、いやっ、もちろん組長は、…えっと、尊敬してますっ! しかし、…ダイダイだけが…その、あ、いえ、組長も、そりゃ、素敵なお方で…」

しどろもどろになりながらの佐々木の反応に、潤がユウイチを抱えたまま大笑いする。
ユウイチも潤が笑いに釣られ、キャンキャンと陽気に鳴く。

「笑ってないで急ぎますよ。社長から私まで沈められそうだ。佐々木、大森をまさか社長の側に残してないだろうな?」
「大丈夫です。家に戻しています。二人っきりにはさせません」
「なら、いい」
「二人とも酷いな。黒瀬がダイダイに何かするはずないだろう?」
「大森を人間とは認識してない所が、社長にはありますので、念の為ですよ」

退屈しのぎに、黒瀬が大喜を裸に剥くことを二人は心配していた。
黒瀬にしてみれば猿山の猿を転がして遊ぶ感覚だが、される方にしてみたら、たまったもんじゃない。
黒瀬のことを言われ、今度は潤が面白くなかったが、確かに過去大喜を二人で裸にした経験がある。
それ以上潤は何も言わなかった。
そう、ここに来るまで、様々な歴史が彼等にはある。

その男、激情!9

「ユウイチ、腹が減ったのか?」

時枝の足元に、一匹のトイプードルが駆け寄った。 
時枝の問いかけに、そうだと言うようにキャンキャン吠える。

「皆、今日は忙しかったからな。お前の皿まで気が回らなかったのだろう。おいで」

時枝が両腕を広げてやると、ユウイチという名のトイプードルが時枝に飛び付いた。
ユウイチは時枝が飼っている犬だ。
秘書の時はマンションで一緒に住んでいたが、組長に就任し、住居を桐生本宅へ移したとき、一緒に連れてきた。
ユウイチを胸に抱くと、時枝が歩き出した。

「よしよし、良い子だ。潤と武史にも会いたいか? 今日は来てるぞ」

ワンと時枝の胸で、ユウイチが吠える。
会いたいという返事だろう。

「いいか、俺が名前を呼び捨てにしたことは、内緒だぞ?」

犬がペラペラ日本語を話すことは有りえないのに、時枝はユウイチに秘密の共有を強いる。
桐生組現組長の時枝には、お茶目な面があるらしい。
ユウイチが、犬のくせに神妙な顔をみせる。

「そうか、分かったか。さすがユウイチだ。賢い。どこかのドアホとは違うな…違う…」

時枝の声が一瞬湿ったように、ユウイチは感じた。 
犬は飼い主の心情に敏感なのだ。
時枝の胸から這い上がり肩に前足を掛けると、時枝の頬を舐めだした。

「大丈夫だ。泣いてない。あのアホの為に流す涙はもう枯れたよ」

ははは、と笑う時枝の頬を、更にユウイチが舐める。 
左右両方の頬を、自分の唾液でベトベトにすると、ク~~~ン、と寂しげにユウイチが鳴いた。
まるで泣けない時枝の代わりに、泣いてやる、とでも言うかのように。

「ユウイチ、お前は優しいな。法事も終わったし、今夜は、ベッドに上がってもいいぞ」
「ワン!」

久しぶりにご主人様と一緒に寝られると、ユウイチが嬉しそうに吠えた。

「組長さ~ん、時枝さ~~~ん、」

浦安の見送りに出たまま戻ってこない時枝を潤が迎えに来た。
手を振りながら時枝の方に歩いてくる。

「ユウイチも一緒だったんだ」
「ええ。お腹空かせているようです」
「時枝さんもじゃない? 会食の時、あまり食べて無かったし。ユウイチ、俺にもおいで」

ユウイチが、時枝と潤を見比べる。

「ユウイチ、私に気遣わなくていいですよ」

時枝のお許しが出ると、ユウイチが潤の方へ身を乗り出した。
それを潤が抱き上げる。

「久しぶり、ユウイチ。良い子にしていたか? …そうか、してたのか」

潤が勇一の頭に頬擦りしてやると、ユウイチも嬉しいのか、心地よさ気に目を細めた。

「さ、急ぎましょ。早く戻らないと社長の機嫌が悪くなりそうだ」
「黒瀬の?」
「信用がないんですよ。私に。まあ、原因は分かっていますけどね。心当たりあるでしょ、潤さまも」
「…それって、アレが原因?」

思い当たる節が潤にもあるらしい。

「はい」
「一体いつの話だよ…俺には一切何も言わないけど」
「言えないんでしょ。心が狭いと思われるのが嫌で。根にもつタイプですから」
「…そうか。黒瀬。ふふ」
「嫌ですよ、その笑い方。社長に似てきましたね~」
「可愛いなと思って。それに、俺、黒瀬が気にしていたことが嬉しい」

折角、久しぶりに会えた潤に抱かれていると言うのに、当の潤は時枝と話しに夢中で、ユウイチは面白くなかった。

「ク~~ゥ」
「ユウイチが、構って欲しいみたいですよ。仕事もバリバリこなす秘書に成長しても、相変わらずのお二人の関係に、感服です」
「ははは、相変わらずの時枝さんの嫌味聞くと、ホッとする」

これは潤の偽りのない気持ちだ。
時枝の中に、昔ながらの『時枝』を見つけると嬉しかった。

その男、激情!8

「一時はどうなるかと思ったが、桐生の結束は益々固くなって、いい組になったな」

桐生組が籍を置く、関東清流会のドン浦安が見送りに出た時枝に挨拶がてらに言う。

「ありがとうございます。桐生の血が私には流れていませんので、桐生のDNAを引き継ぐつもりでやっているだけです。佐々木以下組員がよくやってくれますので」
「他の組から見たら、内部揉めもなく組は大きくなるばかり。羨ましいだろうよ。三年前の事もある。気を付けろ、時枝。桐生を失うのはうちとしても、多いに困る」

そりゃ、困るだろう。
桐生が清流会に納めている上納金は、勇一の時の倍の額になっている。
クロセで社長秘書をしていた時枝だが、実際は陰の副社長、実質ナンバーツーにいた男だ。
時枝の手腕で、桐生は一端の企業並の収益を上げる組に成長していた。

「ご心配ありがとうございます。もし、私に何かありましたら、次はアレが引き継ぐ事になるでしょう。そんな危険な賭に出るヤツは、大バカ者だと思いますが」
「はは、そりゃそうだ。アレに戻られたら、厄介だ。だがな、時枝」
「はい」

二人は玄関の土間を出て、表門までの距離を並んで歩き出した。

「台湾が最近妙な動きをしている。国内の組はアレの恐ろしさを知っているが、海外となるとな。桐生というより、清流会そのものを関東から排除したいのかもしれん。となると、一番に狙われるのは、」
「うちでしょうね。肝に銘じます」

浦安が、足を止め空を見上げる。

「冬晴れのいい天気だな」

時枝もつられ、上を向く。

「やっこサン、天から桐生を眺めているか、どこかで風の噂を聞いているか…」
「組長、それはもう言わない約束です」
「そうだった。スマン。こんな良い男に時枝がなってるっていうのに、幽霊でもなんでもいいから出て来やがれ、っていうんだ。寂しかったら、いつでも相手してやるぞ、時枝」

ふざけているのか、本気なのか。
時ある事に浦安は時枝をからかう。

「そうですね。そのうち、囲碁か将棋でも、お手合わせ願いたい所です」

時枝に上手く躱されたが、悪い気はしないのか、浦安は笑っていた。

「ははは、そう来たか。まあ、いい。時枝、遊べよ。この世界、遊んでなんぼの所がある。男でも女でも好きなだけ侍らせろ」

浦安に限らず、時枝と先代勇一の仲は、知れ渡っていた。
勇一が組長だった頃、桐生内で公表したのが、外にも伝わっていた。
浦安は、時枝が勇一に操を立て、年相応な遊びもしていないと、思っていた。
人を寄せ付けない雰囲気が、浦安にそう思い込ませていた。

「はい。幸せな事に、遊ぶ相手には困っていません。ですが、まだまだ御大(おんたい)の域には達していませんので、見習わせて頂きます」
「時枝は、逃げるのも上手いのぅ」

時枝は真実を言ったまでだが、浦安に時枝の言葉は、ただのその場しのぎにしか聞こえなかった。

「逃げる? まだまだこの世界では、若輩ものですので、逃げる足も持ち合わせていません。ひたすら前に進むだけです」
「そうだったな。桐生の前進を楽しみにしているぞ。だが、台湾には、」
「はい、気を付けます。今日は、本当にありがとうございました」

正門を出たところで、時枝が深く頭を下げる。
清流会の車が走り去るまではと時枝が深々と頭を下げ続けていると、キャンキャンと犬の鳴声が聞こえてきた。

その男、激情!7

翌日、橋爪はクロセの本社ビルの周辺を下見した。
そしてそのまた翌日、ちょうど桐生で法事があると言っていた日に、クロセのビルのエントランスと裏入口の双方が見える斜め向かいのビルの屋上に陣取り、黒瀬が現われるのを待った。
時枝のこともあったので、初日で捕まるとは思わなかったが、引き籠もり男よりはマシだろうとコンビニで買ってきたパンを囓りながら気長に張っていた。
夕方、オフィスビルに似つかわしくないスポーツカーが一台、現われた。
サングラスの上から双眼鏡で確認すると、若い男が車から降り慌てて裏口へと入っていった。

「桐生のものか?」

組員には見えないが、上場企業の社員にも見えない。
何かあるな、とその男が出てくるのを待っていると、画像の男、黒瀬武史が出て来た。
スポーツカーから降りて来た男とは別に若い青年を連れている。
秘書だろう。
ネットの画像同様、生の黒瀬も企業のトップとは思えない水モノの雰囲気を漂わせている。
今から桐生にでも行くのか、車に乗り込もうとしている。

「変ってはいるが…アレが怯える程のものか?」

チンピラどもが怯える理由が分らず、橋爪は双眼鏡越しに、食い入るように黒瀬の姿を見た。
腰を屈め車に乗り込もうとする姿をレンズで追っていると、突然、黒瀬の顔がレンズの中心に飛び込んで来た。

「ナニ、…あいつ」

気付かれたようだ。
普通なら有りえないが、黒瀬の視線はハッキリと橋爪を捉えていた。
射るように冷たい視線を向けられ、思わず橋爪は双眼鏡を降ろした。

「ふん、なるほどな。相当危ないヤツだ、アレ」

今回のターゲットが黒瀬じゃなくて、良かったと思った。
黒瀬が相手となると、命がけの仕事になるのは目に見えている。
堅物のサラリーマンにしか見えないどっかの組長さんとは偉い違いだと、橋爪は帰り支度をしながら笑っていた。

 

***

 

「もう、三年か。あっという間だったね」
「何で潤が泣いてるの? そんな兄さんが好きだったんだ」
「バカ、何言ってるんだよ。時枝さんの事考えると切なくなってきたんだよ」
「時枝を殺したくなってきた。潤を泣かせていいのは私だけのはずなのに」

読経の流れる中、ヒソヒソと黒瀬と潤がやり取りしていると、シッ、と眼鏡を掛けた神経質そうな男に注意された。
時枝勝貴、桐生組現組長だ。
桐生組の先代で黒瀬武史の三つ違いの腹違いの兄、桐生勇一が銃撃され海に消えてから三年。
当初、組内外に、勇一の銃撃は知らされていなかったが、そうそう隠し通せるものでもない。
狙撃されたことは伏せ、療養中の自殺として処理されていた。
身元不明の死体を手配し、発見が遅れたからと先に荼毘(だび)にふしてからの葬儀告別式。
式を取り仕切ったのが、現組長の時枝勝貴だ。
跡目相続の争いが起こらなかったのは、若頭の佐々木を筆頭に、血縁関係にある黒瀬、構成員一同が時枝の組長就任を望んだからだ。
もともと時枝と先代の勇一は同級生だ。
親友として、お互いが地を見せくつろげる唯一の相手だった。
勇一が桐生を継ぎ、時枝が黒瀬の秘書として激務に励んでいる間も、親友としての付き合いは変らなかった。
長い間親友同士として、付合ってきた二人の関係が別のものに変ったのは二人が三十を過ぎての事だ。 
勇一の悪戯心で始まった関係ではあったが、気が付けば、二人は相手の為に自分を犠牲に出来るほど深い仲になっていた。
そう、勇一が狙撃されたのは、狙われた時枝を庇ってのことだった。
冬の日本海。
時枝を襲った悲惨で屈辱的な出来事を乗り越えての結婚式。
これから桐生を二人で盛り上げて行こうとしていた矢先の出来事。
上がって来ない勇一の遺体が、時枝に期待を持たせ、また、辛い日々を送らせていた。
諦めた訳ではない。
死んだとは思いたくない。
ただ、自分が現実を受け入れなければ、勇一が大事にしていた桐生が潰れてしまう。
勇一の為だけに、自分の感情と辛い涙を押し殺し、時枝自らの手で、勇一の生存を否定する葬儀まで取り仕切った…それが三年前だ。

その男、激情!6

「コーヒー、お代わり」

再度、店員に注文し、橋爪は煙草を咥えた。
納得いかないのか、人相の悪い連中がガヤガヤと煩い。
すると、代表格がまた声を張りあげた。

「お前ら、しっかりしろ。今の組長は時枝組長だろっ! 先代はもうあの世なんだ。明後日の三回忌の準備で、組長がお忙しい時に、幽霊見たみたいな顔をするなっ! 勇一組長は、こんなヘンなヤツじゃなかったっ!」

ヘン、とまで言われ、無視を決め込んでいた橋爪が煙草を灰皿に置くと、声の主を睨み付けた。
言葉で抗議はしなかったが、人を殺める事で身に付いた冷たいオーラは、サングラス越しでも十分相手を威圧したらしい。

「あ、――…すみません。お騒がせして」

橋爪の方を見て、頭を下げた。
自分が発した失礼な言葉には気付いてないのか、そのことに対する謝罪はなかった。

『木村さん、なんかあいつ、ヤバいですよっ』

声の主は木村という名前らしい。

『俺も、ビビッたぁ。元組長代理ぐらい、なんかヤバイ』

横にいる者と、ヒソヒソ話し始めた。

『黒瀬のボンと同じぐらいおっかないよな』
『…やはり、時枝組長で良かったよ』

黒瀬?
聞いたことがある名だ。
橋爪が手帳を取りだし確認した。
黒瀬武史。
株式会社クロセの取締役社長。
李が消したいと考えている、もう一人の日本人だ。 
写真はないが、名前だけは聞いている。
チンピラ連中の話で、黒瀬という男に興味を持った。
人を殺してきた自分と同等の雰囲気を持っているらしい。
ターゲットの時枝以上に、影響力があるようだ。
本来ダーゲットの情報は必要最小限と決めている。 
黒瀬は今回のターゲットではないので、周囲を嗅ぎ回っても問題ない。
ターゲットの時枝が法事やら何やらで表に出てこないなら、ちょっくら黒瀬の顔でも拝んでやろう。
橋爪は、黒瀬武史の確認に行くことにした。
喫茶店を出てホテルに戻ると、フロント横にあるコインPCで『黒瀬武史』を検索した。
株式会社クロセの若き取締役として、簡単にヒットした。
自社のHPには、社長挨拶として、黒瀬のコメントと写真が掲載されていた。
画像の黒瀬は、企業のトップというよりはホストかモデルのような印象だ。 
ロックバンドの人間かと、突っ込みを入れたくなるウエーブがかった長髪に、着ているスーツは普通社長は着ないだろうと思われる白だ。
何かの式典らしく、壇上に立って話をしている姿だ。 
端には今回のターゲットの時枝勝貴の姿も映っていた。
時枝は、元々クロセの社員か?
いや待てよ、桐生の組のやつらが黒瀬の名を口にしたってことは、黒瀬が元々桐生の関係者だってことか?
社歴に目を通す。
当たり前だが、桐生の名はない。
それどころか、やけにクリーンなイメージだ。
起業当初の小さな会社が、徐々に成長し、資本金が年々増加しているが、そこに怪しげな数字は出てこない。
取引銀行も、大手ばかりだ。
公表されている財務情報も株式情報もいたってまとも。
全てがまともで、順調すぎる。
しかし、このまともさが、逆にクロセがまともじゃないことを物語っている。
景気に左右されず、年々順調に成長を遂げる企業なんて、まずありえない。
どんな優良企業でも、決算の数字が赤字に転じることはあるし、赤字にならないにしても前年比を下回ることはある。
それがクロセにはない。
どちらにしても、黒瀬が裏社会と深く繋がっていることは間違いない。

その男、激情!5

***

ヤクザの組長。
狙うなら外に出ている時だ。
自宅や事務所に乗り込むようなバカなマネはしない。
呼び出すのも有りだが、組長を張るような男が、無防備に素直に出てくるとも思えない。
弱みになる何かを掴んでいれば別だが、元々情報がない。
ターゲットの外出時に、ビルの上階や屋上から狙撃するのが手っ取り早い。
護衛がいたとしても、頭上から弾が飛んでくれば防ぎようがない。
飛来する弾を避けるなんてこと、映画の中でもなければそうそう出来る芸当じゃない。
簡単に考えていた。
一週間もあれば確実に仕事終了。
サッサと台湾へ戻る予定だった。
早く戻りたかった。
違う、早く日本を離れたかった。
成田に降り立った時から、理屈じゃなく嫌な感じが橋爪を覆っていた。
日本の空気を吸ってからどうも調子が違う。
仕事前だからといってナーバスになるような橋爪ではない。
だが、今回はどうも落ち着かない。
その証拠に、塒に選んだビジネスホテルでは、一日目の夜から変な夢に魘された。
いつもは人を狙撃する側の橋爪が、狙撃されるのだ。 
場所は岸壁。
狙撃され冷たい海の底へ沈んで行く。
リアルな激痛と海水へ飲み込まれていく苦しさで、ハッと目が覚める。
すると夢の中の痛み同様、身体に残る銃創(じゅうそう)が疼いた。
今までも古傷が痛む事は何度もあったが、夢と直結した形で痛む事はなかった。
夢なのか、現実に起こった事なのか。
現実だったら、何だって言うんだ? と眠れぬ夜が続き、比例して仕事の方も思い通りに運ばなかった。

「ちっ、ヤツは引き籠もりか?」

ターゲットを張って一週間。
一向に姿を見せない『時枝勝貴』に、橋爪は苛ついていた。
桐生組の事務所ビル向かいの建物から、双眼鏡片手にターゲットが姿を現わすのを待っていた。
しかし、それらしき男は現われなかった。
今日も収穫無しかと、桐生組の事務所の明かりが消えてから、建物一階にある喫茶店で橋爪は一服していた。
桐生の組員も利用するらしい。
チンピラ風情の男が、喫茶店には多かった。
何かしら情報が得られるかもしれないと、橋爪は耳を澄ませていた。

「コーヒー、お代わり」

何故か懐かしい味だった。
日本に来て、橋爪が初めて美味しいと感じたコーヒーだった。
二杯続けて飲むことは珍しいが、一杯では物足りず、二杯目を注文した。
店員が返事をする前に、店内の客が一斉に橋爪を見た。

「…組長っ、」
「のはず、ないだろっ、ボケ」

何事だ、と橋爪も身を構えた。

「よく見てみろ。組長が、あんな髪型のはずがないだろ。中途半端に伸して、金八先生じゃないかよ。それに組長がサングラスなんかしてるはずない。もっと堂々とした立派なお方だ」

人違いらしい。
だが、組長と言われた事が気になるし、自分に対する形容が酷い事が癪に障る。
本人に聞こえるよう話すところからして、桐生の構成員はアホばかりか、と相手する気にもなれない。 
面倒なので、聞こえないふりをした。

その男、激情!4

「俺も時枝さん、ちゃんとしていると思う。黒瀬は時枝さんに厳しすぎるよ」

社長を黒瀬と潤が呼び捨てにするのは、もう社長と秘書としての時間は終わったからだ。
株式会社クロセ、取締役社長、黒瀬武史(くろせたけし)。
潤と姓が同じなのは、戸籍上、潤が黒瀬の養子になっているからである。
実はこの二人、養子といっても、親子としてではなく夫婦として暮していた。

「そう? 組長としては、まだまだ甘いと思うけど。冷酷さに欠ける」
「黒瀬さん基準にしたら、誰もそうだよ」
「ダイダイ、黒瀬は優しい男だ。失礼なこと言うな」
「失礼? 事実の間違いだろ」

そんなわけあるか、と潤が大喜を睨んだ。

「潤、動物相手にムキになる必要はない。お猿に何を言われても、私は平気だから。潤さえ理解してくれれば、それでいい」
「…黒瀬」

潤の目に、ハートマークが浮かぶのを感じ取った大喜が、

「ストーップ!」

二人の間に割り込んだ。

「イチャイチャは、後回しにしてくれよ」
「何もしてないだろっ」

潤が、ふて腐れたように言う。

「猿のくせに、一々癪に障るヤツだ」

黒瀬も苦々しく言う。

「するつもりだったくせに。ほら、一階に着いた。早く行こうぜ」

エレベーターが止まり、ドアが開く。

「車、こっちだから」

足早に歩く大喜の後ろを黒瀬と潤がついていく。
国産のスポーツカーがクロセの本社ビル裏の道路に寄せられていた。
大喜の車だ。

「早く乗ってくれよ」

潤が、後部座席のドアを黒瀬の為に開けているが、黒瀬が乗り込もうとしない。
早く発車したい大喜が、運転席から黒瀬を促す。

「棺桶みたいな狭さだ。こんな狭い所に私を押し込める気?」
「しょうがないだろ。スポーツカーなんだから。早く出ないと、時間もヤバイし、お巡りもヤバイって」
「黒瀬、狭い方が、密着できるぞ?」

黒瀬の扱いは、大喜より潤だ。

「ふふ、そうだね。なら、我慢しよう」

乗る気になった黒瀬が腰を屈め、乗り込もうとし、急に止まった。

「黒瀬?」

黒瀬が首だけ回し、視線を後方のビルの屋上へ向けた。

「…何でもない。行こうか」

一瞬、黒瀬の顔が嶮しくなるのを潤は見逃さなかった。
二人が後部座席に乗り込むと、大喜の運転するスポーツカーは目的地に向って発車した。
(続けると切りが悪くなるので、今の回は短めです)

その男、激情!3

「…ぁあ、こんなイヤらしい秘書を持って、私は幸せだよ」

当の秘書は、既に返事が出来る状態ではなかった。 
口いっぱいに社長の一部を頬張り、出来る限りの仕事をしていた。

「…あ、いいよ、…有能な秘書に育って…、社長冥利に尽きるね…ふぅ、前任者以上に、有能だよ」

そんなことはない。
前任者が恐ろしく切れる男で、副社長以上の力を持ち、この淫らな行為に耽(ふけ)る男の片腕だったことは、誰もが知っている。
だが、この淫らな行為をしてやれるのは自分だけだと、この秘書は誇らしげに思っていることも事実。
前任者と並びたい、前任者を抜きたい、と常々思っているこの秘書は、この行為限定でも社長から『前任者以上』と褒められると嬉しかった。

「…あぁ、気持ち良いよ。ふふ、この秘書は、私を早漏にしたいのかな…、」
「早漏でも遅漏でもいいから、とにかくサッさと終わらせてくれない?」

社長と秘書の耽美な時間を遮る第三者の声。
一人の青年が、呆れ顔で、秘書課からの入口になっているドアの前に立っていた。

「勝手に入ってきて、邪魔するとは…殺すよ?」

ギッと社長が睨み付けたが、青年は怯むことがなかった。

「俺を殺す前に、時間厳守で頼むよ。駐車スペースなくて、駐禁の道路に車止めて来たんだから」
「しょうがない猿だ。…秘書さん、イかせておくれ」

了解とばかりに、秘書の動きが速くなる。
普通なら嘔吐く(えずく)であろう、喉の奥まで使ってピストン運動を施し、性器のような口内を作り上げる。
舌がある分、性器以上の快感を与えるその技巧は、その辺の風俗嬢を越えていた。
横に広がった外国人張りの社長のソレを、咳き込まず口淫出来るのは、この秘書の努力の賜物なのだ。

「場所も考えず、年中盛っているあんた達の方が、よっぽどサルじゃん。終わったのか?」

フィニッシュを迎えたと思われる社長室の主とその秘書に、青年が腕時計を見ながら確認をする。

「ダイダイ、口を慎め。社長に失礼だ」

机の下に隠れていた、秘書が姿を見せる。
ダイダイとは、青年の事だ。
本名大森(おおもり)大喜(だいき)。
姓と名に「大」が付くので、親しい間柄ではダイダイと呼ばれている。
この二人、プライベートでは親しい仲だ。

「失礼って、失礼な事しているの潤さん達じゃん。口のまわりテカテカしているから、拭いた方がいい。用意はできているのか? 数珠(じゆず)は?」

潤というのは秘書の事だ。
本名、黒瀬(くろせ)潤(じゅん)。
だが、訳あって仕事上は、市ノ瀬潤を名乗っている。

「全て万端だ。あとはここの戸締まりをして、出るだけだ。社長、行きましょうか?」
「ああ。全く法事を平日に執り行う方が、どうかしている。優秀な秘書が優秀な組長になるとは、限らないってことだね」

コートを羽織りながら社長が嫌味を飛ばす。
組長、というのは、隣組の組長でもなければ、幼稚園の組長でもない。
指定暴力団関東清流会傘下の桐生組トップのことだ。

「時枝のオヤジ、立派な組長だと思うぞ? なんか、前の組長より怖いし。組の中、ピンと張り詰めた空気が漂ってる」

時枝のオヤジとは、潤の前任者で、今は桐生組組長をしている時枝勝貴(ときえだかつき)を指す。
クロセを辞めた後、ヤクザの組長に就任していることは、社内では知られていない。
三人は社長室を出ると、人目に付かぬよう運搬用のエレベーターに乗り込んだ。

その男、激情!2

橋爪(はしづめ) 飛翔(ひしよう)。
自分の顔が刷り込まれた他人名義のパスポート。
本籍は大阪になっている。
実在していた人物で、多分戸籍もあるのだろう。
今日からこれが自分の名前だと東京行きの飛行機の中で 劉(りゅう)は頭に刻み込む。

「日本か…」

そこで、俺は自分の過去と対面するのだろうか?
過去を覚えていないのは、きっとろくでもない生活を送っていたからに違いないと劉(りゅう)、いや、橋爪は思っている。
身体に残る銃創(じゅうそう)、人を殺める事が容易な腕。
そして、いつも橋爪を覆う深く暗い喪失感。
とても大事な何かを、絶対に忘れてはならない何かを、忘れてしまった気がする。

「仕事をするだけさ」

自分探しの旅に出向いているわけじゃない、と自嘲気味に橋爪が笑う。
胸から写真を取り出し、ターゲットの顔と名前を確認する。

『桐生組 組長 時枝勝貴』

「この顔で、組長とはね。神経質そうなジャパニーズビジネスマンにしか見えないが」

こいつの命もあと数日か。
こいつだって、組を張るぐらいだから、俺同様、人を殺めてきてるだろうよ。
同情は無用だな。
同じ穴のムジナって所か。
胸に写真をしまう。
飛行機の高度が下がり始め、眼下に街が見えてきた。
そろそろか。
静かに目を閉じ、着陸を待った。

 

***

 

「社長、そろそろお時間です」

株式会社クロセ、社長室。
秘書が仕事終わりを告げに来た。
今日はこの後、社長と秘書二人揃って、とある場所へ招かれている。

「もう、そんな時間か。では、仕事区切りのいつものアレを頼む」

マフォガニーのデスクで、英字新聞を広げていたこの部屋の主が、新聞を畳み、入って来た秘書へ視線を移す。

「アレですね。畏(かしこ)まりました」

ツカツカツカと、秘書が社長の側に寄る。

「今日は、どちらにいたしましょう? 上ですか、下ですか? どちらでもお好きな方をどうぞ」
「そうだね、下がいいかな? この後直ぐにできないから、溜まったモノを片付けたい」
「お任せを。では、失礼します」

社長が椅子を少し回転させると、秘書が跪き、社長の太腿に両手を置き社長を見上げた。

「苦しそうですね」
「しょうがないだろ。私の秘書はセクシーだからね。一緒に仕事をしていると、この時間には押し倒したくなるほど溜まる。責任を取ってもらわないとね」
「セクシーかどうかは分りませんが、それが私のことなら、光栄です…社長」

秘書の手が、座っている社長のファスナーに掛かる。 
少し降ろした所で、社長の手が秘書の手を止めた。

「手じゃなくて、歯で噛んで降ろして欲しいな」
「はい、社長」

秘書が器用に口でファスナーを降ろす。
その際、上目使いで社長の顔を見上げることを忘れなかった。
その顔が社長を煽ることを、この秘書は心得ていた。

その男、激情!1

「――こ、殺さないでくれ…」

薄汚い倉庫。
薬莢(やっきょう)の匂いと、血の匂いが鼻を付く。

「命乞いとは、情けない。それでもファイアーのナンバ―ツーか?」

崩れた段ボール箱の下敷きになった男の額に、黒いサングラスの男が拳銃を突き付けた。

「金なら幾らでも出す。ドル建でもユーロでも円でも、何でも言ってくれ」
「それは、俺じゃなくボスに言ってくれ。俺はただ、たのまれ仕事をしているだけだ」
「ボスが…俺を? ――俺は嵌められたのか…」
「さあな。俺は倉庫にいる人間全員殺(や)れと、命じられただけだ」
「この犬ヤロウッ! ボスに尻尾振っても、結局、俺みたいに使い捨てだぞっ! なあ、逃がしてくれよ」
「で、ボスを裏切らせて、俺まであの世送りにするつもりか? は? 台湾マフィアは、根性がねえヤツばかりだ。心配するな、一発であの世に送ってやる」
「女はどうだ? 男でもいいぞ? お前は男が好きなんだろ?」
「人をホモみたいに言うな。男が好きなのはお前だろ。地獄で、男のケツでも追っかけまわしな」

パンと音がし、サングラスの男は立ち上がった。
目の前で、目を剥き口を開けたまま死んだ男の胸ポケットを漁る。

「やっぱり、お前だったのか。これは俺が預かっておく」

男は手にした物を自分のポケットに忍ばせると、その場を立ち去った。

「ボス、全て片付けました」
「梁(りやん)も逝ったか」
「はい」
「力を持ちすぎたのが、ヤツの命取りだ。お前は気を付けろよ。劉(りゅう)」

眼光鋭い初老の男。
台湾マフィア、ファイアーのトップ李強だ。

「俺は一匹狼ですから。力の持ちようがありません。あるのはこの腕だけですよ」

劉(りゅう)と呼ばれたサングラスの男が、右腕を叩いてみせた。
この劉(りゅう)、李をボスとは呼んでいるが、ファイアーの一員ではない。
依頼主と殺し屋の関係だ。

「そうだったな。入金は既に済ませている。次の仕事頼めるか」
「はい」
「日本に行ってくれ」
「日本?」
「消したい男が一人。本当は二人だが、まずは一人」

李が劉(りゅう)にターゲットの写真を渡す。

「普通のビジネスマンに見えますが?」
「だが、違う。詳しく知らない方がやりやすいだろう。名前と住所は、写真の裏に書いてある。他に何か必要か?」
「いえ、十分です」

李が用意した日本国籍の偽造パスポートと航空券を受けとると、劉(りゅう)は消えた。

 

 

「劉(りゅう)、戻って来るよね」

日本への出発の日。
仕事の依頼で数日間アパートを留守にするのは、決して珍しいことではない。
その日に限り、李強の息子が劉(りゅう)の部屋の前で待ち伏せをしていた。
仕事の依頼が入ってない時、暇潰しに日本語を教えたり、キャッチボールをして遊んでやっている。

「戻って来なかったこと、今までにあったか?」
「…ないけど。今度は戻ってこない気がする」
「どうして?」
「梁(りやん)、戻って来なかった。戻って来るって言ったのに。パパに訊いたら、もう戻って来ないって言った」
突然いなくなった、自分を相手にしてくれていた大人。

その始末を命じたのが自分の父親で、手を下したのが目の前の劉(りゅう)であることを、まだこの少年は知らない。

「日本に行くんだよね? パパが言ってた。劉(りゅう)、本当は、日本人なんだろ?」
「さあな。日本語が流暢だから、そうかもしれないな。自分が本当に日本人かどうかは分らない」
「ごめんなさい。昔の事、何も覚えてないんだよね…」
「ああ。心配するな。仕事が終われば戻ってくる」
「必ず?」
「ああ。小指立ててみろ。教えただろ、日本式の約束」

少年の指に自分の小指を絡め、指切りをした。

「帰ってこなかったら、僕、日本に行って、劉(りゅう)に針じゃなくて、釘を千本飲ませるから」
「それは怖いな。ちゃんと、日本の土産買って来てやるから、良い子にしていろ。じゃあな」

さよならの代わりに、頭をグシャグシャと掻き回すように撫でてやる。
そして、大きなスーツケースと共に、少年の前から劉(りゅう)は遠ざかって行った。

「…嘘付きっ…。劉(りゅう)戻って来ないくせに…。パパの仕事で日本に行って、戻って来た人…いない…わあぁああっ、」

少年は、自分から離れていく劉(りゅう)の後ろ姿を見ながら、大粒の涙を溢れさせていた。