その男、激情!9

「ユウイチ、腹が減ったのか?」

時枝の足元に、一匹のトイプードルが駆け寄った。 
時枝の問いかけに、そうだと言うようにキャンキャン吠える。

「皆、今日は忙しかったからな。お前の皿まで気が回らなかったのだろう。おいで」

時枝が両腕を広げてやると、ユウイチという名のトイプードルが時枝に飛び付いた。
ユウイチは時枝が飼っている犬だ。
秘書の時はマンションで一緒に住んでいたが、組長に就任し、住居を桐生本宅へ移したとき、一緒に連れてきた。
ユウイチを胸に抱くと、時枝が歩き出した。

「よしよし、良い子だ。潤と武史にも会いたいか? 今日は来てるぞ」

ワンと時枝の胸で、ユウイチが吠える。
会いたいという返事だろう。

「いいか、俺が名前を呼び捨てにしたことは、内緒だぞ?」

犬がペラペラ日本語を話すことは有りえないのに、時枝はユウイチに秘密の共有を強いる。
桐生組現組長の時枝には、お茶目な面があるらしい。
ユウイチが、犬のくせに神妙な顔をみせる。

「そうか、分かったか。さすがユウイチだ。賢い。どこかのドアホとは違うな…違う…」

時枝の声が一瞬湿ったように、ユウイチは感じた。 
犬は飼い主の心情に敏感なのだ。
時枝の胸から這い上がり肩に前足を掛けると、時枝の頬を舐めだした。

「大丈夫だ。泣いてない。あのアホの為に流す涙はもう枯れたよ」

ははは、と笑う時枝の頬を、更にユウイチが舐める。 
左右両方の頬を、自分の唾液でベトベトにすると、ク~~~ン、と寂しげにユウイチが鳴いた。
まるで泣けない時枝の代わりに、泣いてやる、とでも言うかのように。

「ユウイチ、お前は優しいな。法事も終わったし、今夜は、ベッドに上がってもいいぞ」
「ワン!」

久しぶりにご主人様と一緒に寝られると、ユウイチが嬉しそうに吠えた。

「組長さ~ん、時枝さ~~~ん、」

浦安の見送りに出たまま戻ってこない時枝を潤が迎えに来た。
手を振りながら時枝の方に歩いてくる。

「ユウイチも一緒だったんだ」
「ええ。お腹空かせているようです」
「時枝さんもじゃない? 会食の時、あまり食べて無かったし。ユウイチ、俺にもおいで」

ユウイチが、時枝と潤を見比べる。

「ユウイチ、私に気遣わなくていいですよ」

時枝のお許しが出ると、ユウイチが潤の方へ身を乗り出した。
それを潤が抱き上げる。

「久しぶり、ユウイチ。良い子にしていたか? …そうか、してたのか」

潤が勇一の頭に頬擦りしてやると、ユウイチも嬉しいのか、心地よさ気に目を細めた。

「さ、急ぎましょ。早く戻らないと社長の機嫌が悪くなりそうだ」
「黒瀬の?」
「信用がないんですよ。私に。まあ、原因は分かっていますけどね。心当たりあるでしょ、潤さまも」
「…それって、アレが原因?」

思い当たる節が潤にもあるらしい。

「はい」
「一体いつの話だよ…俺には一切何も言わないけど」
「言えないんでしょ。心が狭いと思われるのが嫌で。根にもつタイプですから」
「…そうか。黒瀬。ふふ」
「嫌ですよ、その笑い方。社長に似てきましたね~」
「可愛いなと思って。それに、俺、黒瀬が気にしていたことが嬉しい」

折角、久しぶりに会えた潤に抱かれていると言うのに、当の潤は時枝と話しに夢中で、ユウイチは面白くなかった。

「ク~~ゥ」
「ユウイチが、構って欲しいみたいですよ。仕事もバリバリこなす秘書に成長しても、相変わらずのお二人の関係に、感服です」
「ははは、相変わらずの時枝さんの嫌味聞くと、ホッとする」

これは潤の偽りのない気持ちだ。
時枝の中に、昔ながらの『時枝』を見つけると嬉しかった。