その男、激情!1

「――こ、殺さないでくれ…」

薄汚い倉庫。
薬莢(やっきょう)の匂いと、血の匂いが鼻を付く。

「命乞いとは、情けない。それでもファイアーのナンバ―ツーか?」

崩れた段ボール箱の下敷きになった男の額に、黒いサングラスの男が拳銃を突き付けた。

「金なら幾らでも出す。ドル建でもユーロでも円でも、何でも言ってくれ」
「それは、俺じゃなくボスに言ってくれ。俺はただ、たのまれ仕事をしているだけだ」
「ボスが…俺を? ――俺は嵌められたのか…」
「さあな。俺は倉庫にいる人間全員殺(や)れと、命じられただけだ」
「この犬ヤロウッ! ボスに尻尾振っても、結局、俺みたいに使い捨てだぞっ! なあ、逃がしてくれよ」
「で、ボスを裏切らせて、俺まであの世送りにするつもりか? は? 台湾マフィアは、根性がねえヤツばかりだ。心配するな、一発であの世に送ってやる」
「女はどうだ? 男でもいいぞ? お前は男が好きなんだろ?」
「人をホモみたいに言うな。男が好きなのはお前だろ。地獄で、男のケツでも追っかけまわしな」

パンと音がし、サングラスの男は立ち上がった。
目の前で、目を剥き口を開けたまま死んだ男の胸ポケットを漁る。

「やっぱり、お前だったのか。これは俺が預かっておく」

男は手にした物を自分のポケットに忍ばせると、その場を立ち去った。

「ボス、全て片付けました」
「梁(りやん)も逝ったか」
「はい」
「力を持ちすぎたのが、ヤツの命取りだ。お前は気を付けろよ。劉(りゅう)」

眼光鋭い初老の男。
台湾マフィア、ファイアーのトップ李強だ。

「俺は一匹狼ですから。力の持ちようがありません。あるのはこの腕だけですよ」

劉(りゅう)と呼ばれたサングラスの男が、右腕を叩いてみせた。
この劉(りゅう)、李をボスとは呼んでいるが、ファイアーの一員ではない。
依頼主と殺し屋の関係だ。

「そうだったな。入金は既に済ませている。次の仕事頼めるか」
「はい」
「日本に行ってくれ」
「日本?」
「消したい男が一人。本当は二人だが、まずは一人」

李が劉(りゅう)にターゲットの写真を渡す。

「普通のビジネスマンに見えますが?」
「だが、違う。詳しく知らない方がやりやすいだろう。名前と住所は、写真の裏に書いてある。他に何か必要か?」
「いえ、十分です」

李が用意した日本国籍の偽造パスポートと航空券を受けとると、劉(りゅう)は消えた。

 

 

「劉(りゅう)、戻って来るよね」

日本への出発の日。
仕事の依頼で数日間アパートを留守にするのは、決して珍しいことではない。
その日に限り、李強の息子が劉(りゅう)の部屋の前で待ち伏せをしていた。
仕事の依頼が入ってない時、暇潰しに日本語を教えたり、キャッチボールをして遊んでやっている。

「戻って来なかったこと、今までにあったか?」
「…ないけど。今度は戻ってこない気がする」
「どうして?」
「梁(りやん)、戻って来なかった。戻って来るって言ったのに。パパに訊いたら、もう戻って来ないって言った」
突然いなくなった、自分を相手にしてくれていた大人。

その始末を命じたのが自分の父親で、手を下したのが目の前の劉(りゅう)であることを、まだこの少年は知らない。

「日本に行くんだよね? パパが言ってた。劉(りゅう)、本当は、日本人なんだろ?」
「さあな。日本語が流暢だから、そうかもしれないな。自分が本当に日本人かどうかは分らない」
「ごめんなさい。昔の事、何も覚えてないんだよね…」
「ああ。心配するな。仕事が終われば戻ってくる」
「必ず?」
「ああ。小指立ててみろ。教えただろ、日本式の約束」

少年の指に自分の小指を絡め、指切りをした。

「帰ってこなかったら、僕、日本に行って、劉(りゅう)に針じゃなくて、釘を千本飲ませるから」
「それは怖いな。ちゃんと、日本の土産買って来てやるから、良い子にしていろ。じゃあな」

さよならの代わりに、頭をグシャグシャと掻き回すように撫でてやる。
そして、大きなスーツケースと共に、少年の前から劉(りゅう)は遠ざかって行った。

「…嘘付きっ…。劉(りゅう)戻って来ないくせに…。パパの仕事で日本に行って、戻って来た人…いない…わあぁああっ、」

少年は、自分から離れていく劉(りゅう)の後ろ姿を見ながら、大粒の涙を溢れさせていた。