その男、激情!7

翌日、橋爪はクロセの本社ビルの周辺を下見した。
そしてそのまた翌日、ちょうど桐生で法事があると言っていた日に、クロセのビルのエントランスと裏入口の双方が見える斜め向かいのビルの屋上に陣取り、黒瀬が現われるのを待った。
時枝のこともあったので、初日で捕まるとは思わなかったが、引き籠もり男よりはマシだろうとコンビニで買ってきたパンを囓りながら気長に張っていた。
夕方、オフィスビルに似つかわしくないスポーツカーが一台、現われた。
サングラスの上から双眼鏡で確認すると、若い男が車から降り慌てて裏口へと入っていった。

「桐生のものか?」

組員には見えないが、上場企業の社員にも見えない。
何かあるな、とその男が出てくるのを待っていると、画像の男、黒瀬武史が出て来た。
スポーツカーから降りて来た男とは別に若い青年を連れている。
秘書だろう。
ネットの画像同様、生の黒瀬も企業のトップとは思えない水モノの雰囲気を漂わせている。
今から桐生にでも行くのか、車に乗り込もうとしている。

「変ってはいるが…アレが怯える程のものか?」

チンピラどもが怯える理由が分らず、橋爪は双眼鏡越しに、食い入るように黒瀬の姿を見た。
腰を屈め車に乗り込もうとする姿をレンズで追っていると、突然、黒瀬の顔がレンズの中心に飛び込んで来た。

「ナニ、…あいつ」

気付かれたようだ。
普通なら有りえないが、黒瀬の視線はハッキリと橋爪を捉えていた。
射るように冷たい視線を向けられ、思わず橋爪は双眼鏡を降ろした。

「ふん、なるほどな。相当危ないヤツだ、アレ」

今回のターゲットが黒瀬じゃなくて、良かったと思った。
黒瀬が相手となると、命がけの仕事になるのは目に見えている。
堅物のサラリーマンにしか見えないどっかの組長さんとは偉い違いだと、橋爪は帰り支度をしながら笑っていた。

 

***

 

「もう、三年か。あっという間だったね」
「何で潤が泣いてるの? そんな兄さんが好きだったんだ」
「バカ、何言ってるんだよ。時枝さんの事考えると切なくなってきたんだよ」
「時枝を殺したくなってきた。潤を泣かせていいのは私だけのはずなのに」

読経の流れる中、ヒソヒソと黒瀬と潤がやり取りしていると、シッ、と眼鏡を掛けた神経質そうな男に注意された。
時枝勝貴、桐生組現組長だ。
桐生組の先代で黒瀬武史の三つ違いの腹違いの兄、桐生勇一が銃撃され海に消えてから三年。
当初、組内外に、勇一の銃撃は知らされていなかったが、そうそう隠し通せるものでもない。
狙撃されたことは伏せ、療養中の自殺として処理されていた。
身元不明の死体を手配し、発見が遅れたからと先に荼毘(だび)にふしてからの葬儀告別式。
式を取り仕切ったのが、現組長の時枝勝貴だ。
跡目相続の争いが起こらなかったのは、若頭の佐々木を筆頭に、血縁関係にある黒瀬、構成員一同が時枝の組長就任を望んだからだ。
もともと時枝と先代の勇一は同級生だ。
親友として、お互いが地を見せくつろげる唯一の相手だった。
勇一が桐生を継ぎ、時枝が黒瀬の秘書として激務に励んでいる間も、親友としての付き合いは変らなかった。
長い間親友同士として、付合ってきた二人の関係が別のものに変ったのは二人が三十を過ぎての事だ。 
勇一の悪戯心で始まった関係ではあったが、気が付けば、二人は相手の為に自分を犠牲に出来るほど深い仲になっていた。
そう、勇一が狙撃されたのは、狙われた時枝を庇ってのことだった。
冬の日本海。
時枝を襲った悲惨で屈辱的な出来事を乗り越えての結婚式。
これから桐生を二人で盛り上げて行こうとしていた矢先の出来事。
上がって来ない勇一の遺体が、時枝に期待を持たせ、また、辛い日々を送らせていた。
諦めた訳ではない。
死んだとは思いたくない。
ただ、自分が現実を受け入れなければ、勇一が大事にしていた桐生が潰れてしまう。
勇一の為だけに、自分の感情と辛い涙を押し殺し、時枝自らの手で、勇一の生存を否定する葬儀まで取り仕切った…それが三年前だ。