その男、激情!10

「組長、潤さま、ボンがお待ちです」

桐生組若頭の佐々木が姿を見せる。
呼びにやったはずの潤が戻ってこないので、黒瀬が痺れを切らしたらしい。

「ボンって、黒瀬の事? 佐々木さん勇気ある~。明日は東京湾の底?」

潤がふざけ半分に、佐々木に言う。
黒瀬はボンと呼ばれるのを嫌っている。
普段は気を付けているので黒瀬を『武史さま』と呼ぶが、気が緩んだ時や目の前に黒瀬がいない時などは、ついつい『ボン』と呼んでしまうのだ。

「潤さま…勘弁して下さい。まだまだ、アッシが死ぬわけには…組と組長、ダイダイを残して先には逝けませんっ!」

からかわれただけなのに、佐々木は必死だった。
四十半ばを過ぎた、顔に傷持つ強面(こわもて)の男が、しどろもどろになる姿は滑稽だ。
まあ、無理もない。
『殺す』が口癖の黒瀬。
彼は自分の手を汚さず気に入らない人間を抹殺することなど、朝飯前の男だ。
佐々木が黒瀬から「殺す」と言われることは、決して珍しい事ではないが、どこまでが黒瀬の許容範囲か佐々木には分からない。
そろそろ今までの失言の積み重ねで、危ないと思っている。
四十半ば、まだまだ男の働き盛り。
守るべきモノも、大事なモノも一つじゃない。
佐々木にとって、大喜もその一つだった。
佐々木と、黒瀬と潤を迎えに行った大喜は、桐生本宅敷地内にある佐々木の家で、同居ではなく同棲中だ。

「冗談だよ。桐生にとって大事な人間が、いなくなると時枝さんも困るだろうしね」
「いえ、私は別に」
「…そんなぁ、組長ぅ~」
「はは、結構良いコンビなんだね。佐々木さん、いっそダイダイから時枝さんに乗り換えたら?」

これこそ潤の冗談だったが、二人の顔色が変った。

「潤さま、怒りますよ。笑えません」

ムッと、した表情の時枝と

「アッシには、ダイダイだけが…あ、いやっ、もちろん組長は、…えっと、尊敬してますっ! しかし、…ダイダイだけが…その、あ、いえ、組長も、そりゃ、素敵なお方で…」

しどろもどろになりながらの佐々木の反応に、潤がユウイチを抱えたまま大笑いする。
ユウイチも潤が笑いに釣られ、キャンキャンと陽気に鳴く。

「笑ってないで急ぎますよ。社長から私まで沈められそうだ。佐々木、大森をまさか社長の側に残してないだろうな?」
「大丈夫です。家に戻しています。二人っきりにはさせません」
「なら、いい」
「二人とも酷いな。黒瀬がダイダイに何かするはずないだろう?」
「大森を人間とは認識してない所が、社長にはありますので、念の為ですよ」

退屈しのぎに、黒瀬が大喜を裸に剥くことを二人は心配していた。
黒瀬にしてみれば猿山の猿を転がして遊ぶ感覚だが、される方にしてみたら、たまったもんじゃない。
黒瀬のことを言われ、今度は潤が面白くなかったが、確かに過去大喜を二人で裸にした経験がある。
それ以上潤は何も言わなかった。
そう、ここに来るまで、様々な歴史が彼等にはある。