その男、激情!5

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ヤクザの組長。
狙うなら外に出ている時だ。
自宅や事務所に乗り込むようなバカなマネはしない。
呼び出すのも有りだが、組長を張るような男が、無防備に素直に出てくるとも思えない。
弱みになる何かを掴んでいれば別だが、元々情報がない。
ターゲットの外出時に、ビルの上階や屋上から狙撃するのが手っ取り早い。
護衛がいたとしても、頭上から弾が飛んでくれば防ぎようがない。
飛来する弾を避けるなんてこと、映画の中でもなければそうそう出来る芸当じゃない。
簡単に考えていた。
一週間もあれば確実に仕事終了。
サッサと台湾へ戻る予定だった。
早く戻りたかった。
違う、早く日本を離れたかった。
成田に降り立った時から、理屈じゃなく嫌な感じが橋爪を覆っていた。
日本の空気を吸ってからどうも調子が違う。
仕事前だからといってナーバスになるような橋爪ではない。
だが、今回はどうも落ち着かない。
その証拠に、塒に選んだビジネスホテルでは、一日目の夜から変な夢に魘された。
いつもは人を狙撃する側の橋爪が、狙撃されるのだ。 
場所は岸壁。
狙撃され冷たい海の底へ沈んで行く。
リアルな激痛と海水へ飲み込まれていく苦しさで、ハッと目が覚める。
すると夢の中の痛み同様、身体に残る銃創(じゅうそう)が疼いた。
今までも古傷が痛む事は何度もあったが、夢と直結した形で痛む事はなかった。
夢なのか、現実に起こった事なのか。
現実だったら、何だって言うんだ? と眠れぬ夜が続き、比例して仕事の方も思い通りに運ばなかった。

「ちっ、ヤツは引き籠もりか?」

ターゲットを張って一週間。
一向に姿を見せない『時枝勝貴』に、橋爪は苛ついていた。
桐生組の事務所ビル向かいの建物から、双眼鏡片手にターゲットが姿を現わすのを待っていた。
しかし、それらしき男は現われなかった。
今日も収穫無しかと、桐生組の事務所の明かりが消えてから、建物一階にある喫茶店で橋爪は一服していた。
桐生の組員も利用するらしい。
チンピラ風情の男が、喫茶店には多かった。
何かしら情報が得られるかもしれないと、橋爪は耳を澄ませていた。

「コーヒー、お代わり」

何故か懐かしい味だった。
日本に来て、橋爪が初めて美味しいと感じたコーヒーだった。
二杯続けて飲むことは珍しいが、一杯では物足りず、二杯目を注文した。
店員が返事をする前に、店内の客が一斉に橋爪を見た。

「…組長っ、」
「のはず、ないだろっ、ボケ」

何事だ、と橋爪も身を構えた。

「よく見てみろ。組長が、あんな髪型のはずがないだろ。中途半端に伸して、金八先生じゃないかよ。それに組長がサングラスなんかしてるはずない。もっと堂々とした立派なお方だ」

人違いらしい。
だが、組長と言われた事が気になるし、自分に対する形容が酷い事が癪に障る。
本人に聞こえるよう話すところからして、桐生の構成員はアホばかりか、と相手する気にもなれない。 
面倒なので、聞こえないふりをした。