その男、激情!73

「……か、つき?」

青白い顔。
肩に見える包帯。
白いガーゼの掛布の上に伸びた腕には、点滴針が刺さっている。

「…デジャブ―…じゃない、よな?」

過去にも同じような場面があった。
あの時は顔の腫れも酷かったが、今は顔は綺麗だ。
その分、生気が感じられない。

「なんだよ…何の冗談だ? これは、どういう事だっ」

毟るように掛布を剥いだ。

「はあ? 嘘だろっ、…一体誰にやられたっ!」

この世で一番大事にしたい人間が、重態だと一目でわかる有り様で横たわっていた。
パジャマや寝巻きは着けてなかった。
だが身体中に渡る白い包帯とガーゼで、その肌が見える部位は半分にも満たなかった。

「勝貴、オイ、勝貴ッ!」

痛々しい身体を揺さぶるわけにもいかず、勇一が大声で名前を呼んだ。
ピクッと瞼が動いた。

「勝貴ッ、俺が敵をとってやる。だから、戻って来いっ!」

再度瞼が動いた。
微かに開いた瞼の前に、勇一が自分の顔を持っていく。

「…、ゆ、…ういち?」

消え入りそうなぐらいの微かな声。

「勝貴ッ、どうしたんだよっ。何があった!」
「…そうか…。やっと地獄に着いたわけだ…はは、地獄でも俺はベッドの上か」
「しっかりしろ、勝貴。地獄じゃないだろっ」
「…そうだな。またこうしてお前と会えたんだから、…地獄でも、俺には極楽浄土だ…。たまには武史も……役にたつ」
「どうしたんだよ、なんだよ、地獄って。武史がどうした? これは、武史のせいなのかっ! あのヤロ―ッ」
「…もう武史には俺達会えないんだから、カッカするな。まさか、こっちに来ても傷だらけとは思ってなかったが…。死んでも痛みはあるんだな」
「死んでも? 不吉なこというなっ。俺を置いて死ぬなんて、許すかっ!」
「…落ち着け。死んでもバカは治らないって本当なんだ…。お前、自分が死んだってことに、気付いてないんだな……。ドアホの勇一だ…。本物の勇一だ……嬉しい…」

本当に嬉しいのだろう。
徐々に湿る声で、感極まっているのが勇一にも伝わった。

「勝貴? 身体をやられただけじゃなくて、…頭までおかしくなったのか?」

普通じゃない言動に、勇一の不安が募る。
脳に残る厄介な薬物でも打たれのかと、点滴の為に伸びた腕に視線を落とした。

「…死んでもお前は、失礼なヤツだ。二人だけになったんだ。嬉しくないのか?」

点滴周辺の痛々しい内出血以外、特に薬物を連想させる痕はなかった。
頭を強く殴打されたのだろうか?

「勝貴、お前が少しぐらいおかしくなっても、俺の愛は変わらないからな。クソッ、絶対俺が仇(かたき)をとってやるっ!」
「…バカだな…。仇なんて良いんだよ…。俺は気にしてないから…お前とこうしてまた一緒にいられるだけで、俺は幸せなんだよ…。仇なんて物騒なことは忘れて、俺と幸せになろう」

悟りを開いて、仏にでもなったつもりか?
医者は何て言ってるんだ?

「勝貴、ここは医務室だって、分るか?」
「…みたいだな。針山じゃなくて、良かったよ。こっちでも現世と同じ風景なんだな」
「現世も何も、現実に、ここは医務室なんだよ。桐生本宅だ」
「…お前、自分が死んだ記憶ないんだ」
「俺は死んでない。勝貴も死んでないっ! 俺達が死んだと言うなら、佐々木達も死んだのか? 煩いガキも死んだのか?」
「…あの二人は関係ないだろ。俺達だけだ」
「そうか。分った。ちょっと待ってろ」

勇一が医務室を出た。

その男、激情!72

「…ダイダイ。組長が、戻って来たっ! 良かったぁああっ、……ん? 浮気ィ?」
「浮気だろ。人の目、盗んで告(コク)ってんじゃねえよ。何が愛してます、だ。オッサンの愛は、俺に向いているんじゃなかったのかよ。そんなんだからゴリラにまで、色目使われるんだよっ!」
「ダイダイッ、それは誤解だっ!」

畳みの上の佐々木が、若い男の足に縋った。

「そりゃそうだろ。誤解じゃなく本当だったら即離婚だからな。伴侶をゴリラと頭のおかしいオヤジに盗られたんじゃ、俺の面子も居場所もないじゃん」
「コラ、ガキ。頭のおかしいオヤジって、俺の事か? …お前」

思春期でもあるまいし、一日二日での急激な成長はないだろうが印象が違う。
未成年独特の少年臭さが抜け、大人になった青年の顔だ。

「…一日で老けたな」
「一日? 笑わせるよな。ふん、やっと桐生勇一の登場かよ。いい加減うぜぇんだよ、あんた。俺は認めないからな。あんたがちゃんと自分のしたこと償わない限り、組長とは認めないし、あんたに敬意なんか払わないから。これだろ、探していたの」

目を釣り上げた青年が男に帯を渡す。

「なんだとぉおっ、このガキ、もう一遍言ってみろ。朝っぱらからこの俺にケンカ吹っかけるとはどういう了見だ。あ?」

男が生意気な青年の胸ぐらを掴んだ。
だが、それに青年が怯むことはなかった。

「佐々木――ッ!」

男が反抗的な目を向ける青年を睨み付けたまま、畳の上の佐々木を怒鳴る。

「ハイッ、組長ッ!」
「組長って、呼ぶなっ、オッサン。こんなヤツ、組長の資格なんかねぇだろッ」
「テメェは、自分のイロの躾もできねぇのかっ!」
「申し訳ございませんっ! こ、こらっ、ダイダイ、組長に何て口きくんだ」
「オッサン、ゴリラとイチャ付いている間に頭おかしくなったのか? 今の桐生の組長はコイツじゃないだろっ!」
「クソガキがぁああっ。オカシイのはお前だろっ! 桐生の組長は、この桐生勇一だろうがっ! 朝っぱらから寝言言ってるんじゃねえっ!」

男の拳が青年の顔めがけて飛んだ。

「ぐへっ、」

だが拳が着地したのは青年の頬ではなく、畳の上に居たはずの佐々木の頬だった。
泣きっ面をしていても、そこは桐生のナンバーツーだ。
俊敏な動きで、二人の間に割って入った。

「オッサンっ、大丈夫か。このクソオヤジ、俺のオッサンになんてことするんだっ」

自ら、桐生の組長を名乗るだけの事はある。
男のパンチは半端なく効いたらしい。
みるみる間に、佐々木の顔半分が腫れてきた。
全くなんて朝なんだ。
帯がないことから始まって、臑は打つは、ギャアギャア二人掛かりで叫(わめ)かれるは。
しかも共通しているのが、人物確認だ。
一人は何故か分りきっていることに興奮しているし、一人は、認めるだの認めないだの生意気に楯突いてくるし。

「ウルセ―ッ! もう、イイ加減にしろ。二人揃って、頭でも打ったんだろ。しばらく俺の前に顔見せるなっ。お前らに付合っていると、こっちがおかしくなる。アイツ呼べ」

面倒な事を押し付ける気はないが、煩いガキの教育は、相方の得意分野だ。

「アイツ? …それ、まさか、時枝のオヤジのことかよ」
「他に誰がいる」
「ハハハ、マジかよ。黒瀬さんの予想的中かよ。めでて~男だよな、あんた」

バカにしたように笑いながら、青年の目は怒火に満ちていた。
男は……桐生勇一は、大喜が自分に反抗しているのは、ガキなりに何か深い理由があるのかと、自分に向けられた憎しみすら感じる怒りを見て思った。

「時枝のオヤジは、呼んでもこね~よ」

大喜の顔から、笑いが消え怒りの部分だけが残る。

「会いたきゃあ、自分から行けよ。もっとも居場所が分ればの話だけどな」
「どういう意味だ」
「意味? 意味もクソもあるかっ」

大喜が勇一の腕を掴むと、歩き出した。

「こら、待てっ、クソガキッ!」

下着姿一枚での勇一が、大喜に引っ張られる。

「…ダイダイッ、」

顔を腫らした佐々木が、慌てて立上がり、二人を追う。
大喜は、勇一を桐生本宅内にある医務室の前まで連れて行った。
警察沙汰にしたくない負傷者を手当するために、この医務室には街の診療所並の設備が整っている。

「あんたの頭の中がどうなってようと、俺には関係ないけどさ、現実はしっかり見ろよなっ!」

事務室のドアを開けた大喜が、勇一一人を中に押しやった。

その男、激情!71

あまりの空腹で、男は目が覚めた。
昨日の記憶はないがところをみると、余程呑んだのだろう。
頭が痛い。
だが、腹は減っている。
何時だ、とベッド脇の目覚まし時計を確認した。
長年愛用の時計が、男に朝の五時を告げていた。
腹時計と見事にマッチしたその時刻に、男は「だろうな、朝飯の時間だ」と納得した。
ベッドから抜けだし、一気に着ていたパジャマを脱ぐ。
下着一枚で桐箪笥の引き出しに、お気に入りの紺地の着流しを探した。

「ん? この間着たばかりだと思うが…」

全ての着物が新品のたとう紙に包まれ、防虫剤の小袋が引き出しの隙間に置かれていた。
虫干しした記憶も無かったが、気の利く相方が業者に頼んでいたのかもしれない。
男はたとう紙を捲りながら、紺地の着流しを探した。

「帯がない」

着流しは直ぐに見つかったが、帯が見あたらない。
いつもの収納場所にない。
帯は帯で一段使っていたが、そこには、見覚えのないスラックスがズラッと並んでいた。

「誰が勝手に移動させたんだっ」

空腹も手伝って、男は癇癪気味にスラックスの入った引き出しを抜き、床に投げつけた。
それから、部屋の入口の引き戸を引いた。

「誰でもいいから、直ぐに来いっ! …ってぇええ」

怒鳴りながら、部屋を出ようとして足元の大きな物体に躓いた。
思い切り臑を打ち、腹いせ紛れに物体を叩いた。

「うわ、わっ、く、く、く、組長!」

大きな物体は、人間だった。
戸の前に座っていたらしい。
手には何故か木刀を持っている。

「何やってるんだ? …なんだ、その面は?」

元々ある刀傷の他に、小さなひっかき傷が顔中に散らばっていた。

「ガキにやられたか。情けね~ヤロウだ。それで、人の部屋の前に逃げて来たのか? あ? それでも桐生の若頭かっ、」

再度、男が腕を振り下ろした。
帯の件に追い打ちを掛けるように痛む臑。
そして、朝っぱらから見る情け無い面。
男の機嫌の悪さに拍車が掛る。
情け無い顔の物体が、人間であることを主張したいのか、叩かれた頭を抑えながら立ち上がった。

「…アッシの事が分るんですね…、そうなんですね、…アッシが桐生の若頭って、」

立ち上がった物体、イヤ、人間が、機嫌の悪い男の上腕を掴んだ。
そして、男の身体を縋るように揺さぶった。

「佐々木、俺に叩かれてアホに磨きがかかったか? 鬱陶しい、離れろっ!」

男はヤバイ、と思った。
目の前の顔が、大洪水を起こす一歩手前になっていた。

「組長っ! 組長ですよね? 本物の組長ですよね? 正真正銘、桐生勇一ですよねっ、どうなんですかッ!」

離そうとしているのに、離れるどころか顔を至近距離に近付けて、唾を飛ばしながら叫(わめ)かれた。

「テメーッ、朝からナニ人を呼び捨てにしてるんだっ。本物って、何だ? 俺が偽物だって言いたいのかっ、この薄らボケがッ!」

掴まれ身動きができない上半身は諦め、男は自由がきく足で迫ってくる男、佐々木の臑を蹴り上げた。
ウッという唸り声と共に佐々木の顔が男の前から消えた。

「いい加減にしろ。アホなことほざいてないで、俺の帯を出せ。どこに隠した。俺に下着一枚で一日を過ごせと言うつもりか」

踞ったまま、立上がろうとしない佐々木を見捨て、男が歩き出した。

「他に誰かいないのか! 帯を持ってこいっ、メシの用意はどうなってるっ!」

怒鳴った所で、男の背にドサッと重いモノ覆い被さった。

「ぐ、はっ。降りろっ、離れろっ、」

床に踞っていたはずの佐々木が、男の背中に飛び掛かってきたのだ。正しくは、抱きついて、だが。

「組長だっ。本当に組長なんですね。…ひっく、戻って来てくれたんですねっ、アッシは、アッシはぁあああ、ぐぁああああ、組長ぅうう、…嬉ヒィ… 愛ヒィてますっ! もう、絶対に、離ヒィま…せんっ!」
「いい加減にしろッ!」

男が、背中の佐々木を背負い投げで投げ飛ばした。

「そうだよ、オッサン。朝っぱらから浮気してるんじゃねえよ。全く油断も隙もねぇよな」

ドサッと佐々木が畳みの上に落ちたと同時に正面の襖が開き、若い男が帯を持って歩いて来た。

その男、激情!70

切りの関係で、かなり短いです(此処までが三巻です)

***

 

「ボス、香港からたった今コレが」

自宅で息子と遊んでいた台湾マフィア李強の元に、小箱が届けられた。
送り主の欄には、知らない名前が書かれている。
箱を開けてみると、茶色のガラス瓶、カード、それに写真が入っていた。

「パパ、何なの? お菓子?」

写真を見て薄笑いを浮かべた李を見て、息子が箱の中身に興味を示した。
箱の中を覗こうとする息子を制し、中身が見えないよう息子の頭より高い位置に箱を持ち上げた。

「悪いが、仕事関係だ。向こうでケーキでも食べて来なさい」

連れて行け、と箱を届けた男に目配せで命じた。
まだ父親と遊びたかったのか、それとも箱の中身が見たかったのか、しょぼくれたまま、李の息子は部屋を出て行った。
部屋に一人になると、李は改めて箱の中身の確認を始めた。

「劉(りゅう)か」

写真に写っていたのは、自分が日本に送った殺し屋と、そのターゲットだった。
二人が折り重なって倒れていた。

「失敗したと報告が入っていたが、結果相討ちか?」

茶色のガラス瓶を照明に透かして見た。

「…ではなさそうだ」

中に入って居るのは、眼球だった。
ご丁寧にも二つ入っていた。
最後にカードを広げてみた。

『貴公が仕事を依頼した劉(りゅう)は、当方で始末した。死体は既に処理済みだ。眼球だけそちらへお返しする。日本の桐生に何かしら仕掛けた証拠があがったら、その時は貴公と貴公の一族が眼球だけ残すことになるだろう。 緑龍』

手に持っていたガラス瓶を壁に向って投げつけた。
ガラスは砕け、中に入っていた眼球が絨毯の上に落ちる。
転がった眼球が、李を別々の方向から睨み付けていた。

「ハハハ、…ハハハ。グリーン直々に、この俺を抹殺しようというのか」

笑いながら、李の全身は震えていた。

 

その男、激情!69

「勇一、どうした? …社長? 武史っ、何を…したんだっ」
「殺し屋さんを、殺しただけ」
「…ころ、…した…、勇一を? 嘘だっ、そんなはず、」
「ふふ、私が殺すはずないと思った? この人が生きていると、時枝、理性が飛ぶようだから。時枝のせいだよ」
「…俺の、……せい? ……俺が、……殺した?」

明らかに、時枝は正常な思考を失っていた。
混乱し、黒瀬が撃った事実よりも、自分が理由だという黒瀬の言葉が時枝を襲っていた。

「…嫌だっ! 折角戻って来たのにっ! 勇一ッ、勇一ッ、」
「時枝さん、危ないっ、」

時枝が不自由な身体でベッドから乗りだそうとするので、支えていた潤が時枝の胴体に腕を回し、自分の方へ強く引いた。

「勇一っ、…俺の勇一がっ、勇一ィイイイ――――ッ!」

窓ガラスが共鳴するぐらいの時枝の叫び。

「鼓膜が破れる。ウルサイよ、時枝」

黒瀬の言葉など、時枝には届いてなかった。
声が枯れるまで、叫び続け、しまいには、荒い呼吸だけになっていた。

「側に居たいんだろ? 運んであげるよ、時枝」

黒瀬が二つの銃を潤に渡し、潤が支えていた時枝の体をひょいと抱え上げた。

「体中、ぐっしょりだ」

橋爪とのセックスで、かなりの汗を掻いていた。
それだけでなく、顔から胸にかけては流れた涙ですっかり濡れていた。
更に抱え上げた拍子に、橋爪が放った物が時枝からトロトロと流れ始めた。

「すごい量、溜め込んでいたんだ~。そんなに、おいしいミルクとは思えないけど」

黒瀬の手によって、床に倒れる橋爪の上に時枝は降ろされた。
自分が乗っても、ピクリとも動かない体。

「…起きろ、勇一。俺を置いて二度も逝くつもりか? …俺も連れて行けっ、俺を殺しに来たんだろ? なあ、勇一っ、目を開けてくれよ、…酷い男だっ、…イヤだっ、俺も連れて行けっ、俺も、俺もッ…」

叫びすぎて枯れた声で、時枝が訴える。
橋爪の頭を抱えて顔を確認したくとも、それができるほどの腕力が今の時枝にはなかった。
伸ばすのがやっとの腕なのだ。
床に顔を横にした橋爪、その頬に時枝が頬を重ねた。

「…武史、…俺も、……俺も逝かせてくれ。もう、桐生に十分恩は返したじゃないか。頼むっ、俺も…」
「折角助かった命なのに?」
「意味ないだろッ! 何の為に生きなきゃならないんだっ」

時枝の魂の叫びだった。
この数年、踏ん張ってこれたのも、勇一の生死が不明だったからだ。
でも、今は違う。
時枝の目の前で橋爪を名乗る勇一は倒れていた。

「…黒瀬、時枝さんを早く楽にしてあげて。もう、十分頑張ったよ」

潤が黒瀬に銃を手渡した。

「潤がそう言うなら、仕方ないね」

黒瀬が、時枝に銃口を向けた。

「言い残すことは?」
「…ありがとう、武史、潤…感謝している…」

そういうと、時枝は目を閉じた。

「…何いっているんだよっ。俺の方が時枝さんには、言葉に出来ないぐらい感謝しているんだっ! …幸せになってよぅ」

潤の言葉が終わると同時に、パンと乾いた音が再び響いた。
その音と同時に時枝の上半身が倒れ、乗っていた橋爪の身体に重なった。

「――終わった」

潤が黒瀬の側に歩み寄り、黒瀬の肩にもたれた。

「…終わったよ、黒瀬」

ツーッと一筋の涙と共に、潤が静かに呟いた。

「そうだね。これからか大変だけど、潤、大丈夫?」
「……でも、これが始まりなんだろ、」
「そういうこと。そろそろ、煩い猿も来る頃じゃない?」

バタバタと騒がしく音をたて、近付いてくる者がいる。

「黒瀬、どうして分ったんだ? …来たみたい」

足音が止み、ドアが開いた。

「オッサンもココか?」
「佐々木は動物園でメスゴリラと浮気中だと思うけど?」
「動物園? 何の事だよ。車いらないなら、俺帰るぞ…って、時枝のオヤジは?」

時枝を内緒で退院させるから、ワゴン車を持ってこいと大喜は黒瀬に命じられていた。
その当の時枝の姿がベッドから消えている。

「時枝は、こっち」

黒瀬が指さす方へ、大喜が視線をずらす。

「え? …どうなってるんだ? ……まさか」

男が二人、重なって倒れている。

「ふふ、心中ってところかな」
「嘘だろ、…黒瀬さん、二人を殺ったのか?」
「お猿にしては、鋭いね」
「マジ? 嘘だろっ、……死んでるのか?」

大喜は信じられない光景に、慌てるどころか、むしろ冷静になっていた。

その男、激情!68

「グホッ」

潤の暴力は想定外だった。
セックスに溺れている橋爪は、明らかに油断していた。
潤の怒りの鉄拳は、橋爪の左頬にめり込んだ。
それから先は、スローモーションのような時間の流れに、橋爪はいた。
意識のない時枝の身体から、橋爪の身体が離れる。
瞬間、黒瀬が時枝の身体を支えた。
そして、横に半円を描くように落下する橋爪。
ハッと思った時は、病室の床に頭を打ち付ける寸前だった。
咄嗟に右手を床に突いた。
頭は無事だったが、その時、手首にグイっという嫌な音と痛みが走った。
片手で身体を支えきれず、捩ったのだ。

「右手をやられたら、拳銃無理じゃない? 橋爪さん、右利きだし、左で扱えるほど、器用じゃないみたいだし」

黒瀬は、橋爪が手を捻るのを見逃さなかった。

「うるせーっ!」

橋爪が下半身剥き出しの情け無い格好のまま、左手で黒瀬に渡された拳銃を探す。

「潤、時枝をよろしくね」

自分の暴力にショックを受け、呆然としている潤に黒瀬が時枝を預けると、橋爪の側に寄った。

「捜し物はコレでしょ?」

橋爪が持っていたはずの銃と、元々黒瀬が持っていた銃を左右別々に持ち、黒瀬は床の橋爪に向けた。

「そろそろ、遊びの時間は終わりにしましょう。もう、十分でしょ? 殺し屋として、ターゲットを殺せないあなたに、未来はない」
「殺せない? バカな事いうなっ!」
「時枝の身体、ふふ、今のあなたには撃てないでしょ?」
「…そ、そんなことはっ、」

ない、と言い切れなかった。

「仕事をしくじれば命がないのが、あなたの所属している世界でしょう? 二度のチャンスがあったのに、まだ、時枝は生きている」
「銃を貸せ」
「嫌です」

黒瀬が、右手に持った銃のトリガーガードからトリガーに指を移動した。

「はん、最初から、俺を始末つもりだったんだろ」
「時枝も、満足したようだし、もう橋爪さんに生きて頂く理由がないですから」
「最後の晩餐が、あいつのふざけた身体だったというわけか」

橋爪が、潤に身体を支えられている時枝を見た。
意識のない時枝の目から、スーッと一筋、涙が零れていた。
橋爪が自分から離れたことを、意識ないまま嘆き哀しんでいるように見える。

「兄さんだったら、歓迎したんですけどね。橋爪さんでは、時枝が自分を見失うだけですので、ふふ、死んで下さい」

橋爪が目を閉じた。
黒瀬のマンションで同じような状況があったが、さすがに今度はオモチャだった、というオチは用意されていないだろう。
橋爪自身、黒瀬が手にしている拳銃を確認している。
弾は一発。
この距離で黒瀬が外すとは思えない。
前回と違って、感傷に浸ることもなかった。
下半身を晒したままのこんな姿で三途の川を渡るのかと思うと、感傷どころか笑いさえこみ上げて来る。

「薄気味悪い笑いですね。何か、言い残すことはありますか? 李に伝えることは?」
「地獄で会っても声を掛けるな、とでも言っておけ」
「承知しました。ふふ、では、橋爪さん、さようなら」

黒瀬が笑みを浮かべながら、トリガーを引いた。
サイレンサーが効いているのか、パンという乾いた音が小さく響き、そして橋爪が額から血を流し倒れた。

「実に呆気ない。これが、橋爪さんの最後とは」
「…勇一?」

銃声ではなく橋爪が床に倒れた音で、時枝の意識が戻った。
真っ先に勇一の姿を探すと、床に倒れた姿があった。 
その前方では、両手に銃を握った黒瀬が立っていた。 
右手の銃口からは微かに白い煙が上がっている。

その男、激情!67

「…まさかぁ、失神だよ…ね?」

恐る恐る、潤が二人が交わっているベッドに近付いて行く。
橋爪に巻き付けていた手もダラリと落ちている。

「…時枝さん?」

潤が時枝の肩を指でちょんちょんと突いた。

「うるせーっ、邪魔するなッ!」

橋爪が潤を一喝する。

「邪魔してないだろっ。あんた、時枝さんに何したんだよっ! いい加減終わりにしろ!」
「こいつの望み通り、犯してやってるだけだろうが。…なっ、に?」

夢中になりすぎて、橋爪は時枝の意識が飛んでいることに気付いてなかった。
潤に反論され、そこで気付いた。

「…いつだ?」

気付かないのも無理はない。
時枝の中は、動いていた。 
橋爪を締め付け、離すまいと絡むように律動を繰り返していた。
そういえば、勇一、勇一という耳障りな連呼がここ数分止んでいた。

「こんな身体で激しいセックスに耐えられるはずないだろ。誰かさんが蜂の巣みたいに撃ったんだからッ! 終わりにしろよ。時枝さんを殺す気かよ」
「はい? 俺は殺し屋だ。だいたい、誰が望んでこんなバカバカしいことになってるんだ? あ? そんなにお前はこいつの事が分っているか? お前は、そこの変態の事だけ心配してろっ!」
「…少なくとも、殺し屋のあんたより、俺の方が時枝さんのこと、分ってる。どんなに組長さんを愛していたかなど、今のあんたには分らないじゃないかっ!」

そこの変態と呼ばれた黒瀬は、珍しく傍観を決め込んでいる。
潤が橋爪に激しく応戦するのを愛おしそうに見つめていた。

「言いたい事はソレだけか? 指を出せ。いかにお前がこいつのことを理解していないか証明してやるッ!」
「指で、何が証明出来るって言うんだッ!」
「人差し指だけ貸せ。そうすれば、自分がいかに自意識過剰な愚か者か、分るだろうよ」

潤が、ムッと敵意剥き出しの顔をする。
そして、眉間に皺を寄せ、困ったように黒瀬を見た。
黒瀬は、優しく笑みを浮かべた。潤の判断に任せるよ、と言うことらしい。
潤が橋爪に指を出すと、潤の指を自分の雄が収まったままの時枝の孔に這わせた。

「何がしたいんだっ!」
「俺のに沿わせて挿れてみろ」
「俺は時枝さんから、早く抜け、と言ってるんだっ。そんな拷問みたいな真似出来るかっ。あんたじゃあるまいしっ、」

数年前に、橋爪、いや勇一にされたことを潤はリアルに思い出し、身体がゾクッと震えた。

「いいから、サッサと挿入しろッ!」

橋爪が潤の指の関節を持ち、強引に中に押し込んだ。

「…時枝さ…ん、な、んで」

ネットリと絡みついてきた時枝の内壁。
解した時とは明らかに違う律動。
橋爪の雄で広がったソコに、潤の指など辛い存在のはず。
だが、時枝のソコは悦びを見せていた。
潤は、慌てて指を抜いた。

「…意識ないのに、…どうして、」

潤にも分った。
終わりにしたくないのは、むしろ時枝の方なのだ。
意識が飛んでいても、細胞の一つ一つが、愛しい男を離したくないと訴えているのを感じだ。

「…こんなに、組長さんを欲していたんだ。…こんなに、深く……。この三年間、必死で仮面を被って生きていたんだ……くっ、くっ、…うっ」

涙を静かに流しながら、潤が左右の手をギュッと強く握りしめる。
爪の先が皮膚を刺すぐらい固く握った右の拳を振り上げた。

「…くっ、そぉおおッ!」

潤の頭に血が逆流していた。
その昔、ヒースロー空港で黒瀬を平手で叩いた時も、冷静さは残っていた。
怒りに任せ、出せる力の全てを拳に込めた。

その男、激情!66

「振り落とされないように、しっかり掴んでろッ」

時枝の腕を橋爪が自分の腰に回した。
そして、繋がったまま、時枝の腰を持ち上げ自分の足を前に投げ出し、対面座位の体勢をとった。

「これで文句無いだろがっ、」
「――ゆう、いちぃっ、」

上に乗っているため、時枝の顔の位置が橋爪より少し上になる。
時枝が、顔を橋爪の肩に載せ、歓喜の涙を零していた。

「お前の身体は俺の物だ。お前を生かすも殺すも、俺が決めるっ!」

仕事のターゲットではなくなったと言ってるのも同然の台詞。
依頼主の意向に背くとどうなるか、考える余裕が橋爪にはなかった。
ただ、溺れた。
淫乱だと軽蔑していた男の身体に溺れきっていた。
背後でドアが蹴破られる音がしたことも気付かないほど、橋爪も時枝もお互いに溺れていた。

「・・・な、なんてこったぁ…」

蹴破ったのは、もちろん、黒瀬の手により放り出された佐々木である。

「若頭、お願いですっ、俺達の事が可愛くないんですかっ!」

今にも室内に入って来そうな佐々木を、若い衆が身体を張って止めていた。
一歩でも佐々木が中に入れば、明日は冷たい海の中だと、彼等も必死である。

「…組長が…組長に…、」
「もう、邪魔できないよ、佐々木。交尾中の犬と同じだから。ふふ、二人を引き剥がそうとしても、無理だから」
「…記憶が、…戻ったん…ですか?」

上半身だけ、室内へ乗り込ませ、佐々木が恐る恐る訊いた。

「まさか。そう簡単に戻るものでは、ないんじゃない?」
「黒瀬は、俺を思い出してくれたよ?」
「ふふ、私の愛は、海よりも深いからね。世界一、いや、太陽系、ううん、銀河系一、潤を愛してるよ」
「…黒瀬、」

潤が黒瀬の双眸に吸い込まれるように、黒瀬を見上げた。
二人の顔の距離が縮まり、二人の小宇宙が生まれそうになった、まさにその時、

「ストーップ! それどころじゃないでしょっ! 記憶が戻ってないって…じゃあ、あれはっ、強姦じゃないですかっ!」

佐々木は、時枝が橋爪が持つ銃に額を当てた時の短い時間しか、事の成り行きを知らない。
直ぐに放り出されたため、橋爪が時枝を無理矢理に抱いていると思い込んでいた。

「私達の邪魔までしてくれるとは、全く邪魔なゴリラだ」

今にも飛び込んで来そうな佐々木の元まで、黒瀬が進む。

「強姦の定義は何? 時枝が望んでいるんだから、メイクラブじゃないの? ふふ、私が潤を覚えてなくても可愛がっていた時、佐々木邪魔しなかったくせに、時枝の時は邪魔するっていうの? 大いなる矛盾を感じるけど?」
「ボンッ、あの時とは事情が違いますっ! 殺そうとしたんですよっ! 殺されてしまいますっ!」
「ボン? 学習能力のない人間は本当に嫌いなんだけど。腹上死、結構じゃない。ふふ、それはそれで、幸せだと思うけど?」

と言いながら、黒瀬が佐々木の腹に拳を埋めた。

「若頭っ!」

佐々木の下半身を支えていた若い衆が同時に叫んだ。

「君達、ここはいいから、この頭の悪いゴリラを、動物園にでも連れて行ってくれる? それと、ここで見たこと・聞いたこと、全て忘れて。他に洩らしたら…分っているよね?」

失神した佐々木を見下ろしながら、黒瀬が桐生の組員を脅す。
死んだはずの勇一と時枝が合体していたなど、他の組に知れ渡ったら、今の段階ではまずい。

「ハイッ、東京湾でありますっ!」

桐生の組員達は緑龍のことを知らなくとも、本当に黒瀬を恐ろしいと思っている。
ヤクザと言えども命は惜しいので、外部に言いふらすことはない。

「ふふ、正解。では、よろしくね」

佐々木が蹴飛ばし外したドアを黒瀬と潤で元通りにしている間も、ベッドの上では橋爪が時枝を突き上げていた。

「…黒瀬、アレ、」

潤が時枝を指さした。

「本当に、腹上死?」

橋爪に抱かれている時枝の首は、ガクンと前に傾いていた。
口元から涎を垂らし、二つの目は完全に瞼が下りていた。

その男、激情!65

訪れた奇跡だった。
もう、本当に死んでもいい。
欲しければ、こんな命くれてやる。
時枝は肩の痛みを無視し、両腕とも自分の上に被さろうとする橋爪に伸ばした。

「邪魔だ、退けろっ!」

時枝が伸ばした手を振り払うと、傷を負った時枝の上半身に橋爪は手を突いた。

「ぐッ」
痛みに顔をしかめながらも、時枝はその手から受ける勇一の重みさえ、勇一の生存の証だと嬉しかった。

「犯されたいんだろッ、ド変態!」

貶し言葉を吐きながら、勇一が時枝の中に突き進んだ。

「ぅあぁ―っ、ぁああう、ゆう…いっ、」

時枝が、首を左右に激しく振る。
拒絶するように激しく振られた首は、時枝のこの上もない喜びの表われだった。

「ぁあう、勇一ッ、勇一ッ、勇一ィイイイッ!」

『勇一』と呼ぶなと言われたことなど、完全に時枝から消えていた。

「うるさいッ!」

橋爪が、時枝の頬を音が出るぐらい激しく叩いた。
時枝の顔に既に眼鏡はなかったが、それでも強く叩かれれば被害は大きい。
時枝の鼻から赤い筋が垂れてきた。
潤が駆け寄ろうとしたが、黒瀬が止めた。
どうしてだよ、と潤が黒瀬の手を振り払おうした。

「よく見てご覧、アノ顔」

黒瀬が、時枝の顔を指した。
叩かれ腫れた頬、鼻血の垂れた顔、目からは大粒の涙、だが、幸せで堪らないという表情に、潤も納得した。

ズッシリとした熱の塊が自分の中に埋まる感触、それは黒瀬や他の男達とはまるで違う物だった。
初めて自分の中に押し入って来たときから、勇一だけが時枝の心まで満たしていた。
どんなに乱暴に抱かれても、彼だから本能以上の悦びに繋がった。
勇一が消え、黒瀬に乱暴に犯され、桐生の組を率いるようになり、他の男達と遊ぶようになっても、渇ききった心を満たすようなセックスなど一度もなかった。
どんなに激しい交わりでも、無茶なプレイでも、それは虚しさしか時枝に残さなかった。
心がないセックス。
それは、今も同じかもしれない。
だが、違うのだ。
時枝の想いの分、勇一に犯されることは、暴力でもなければプレイでもなかった。

―――なんなんだ、こいつの身体はっ!

時枝が歓喜している一方で、橋爪は時枝の身体に、説明し難い融合感を感じていた。

―――喰われているのは、俺の方か?

溶かされるんじゃないかと思うぐらい、熱い。
ドロドロした物が纏わり付いてくる感じがする。
あくまでも感じるだけで、実際は潤っているだけだろう。
橋爪の経験ではない感触が時枝の中にはあった。

「くっ、…お前、…どうなってるんだっ!」

良すぎるのだ。
今までに突っ込んだどの女よりも、橋爪の雄を興奮させる感触。
いや、感触だけじゃない。
時枝から発せられる汗の匂いも、犯されているというのに、嬉しそうに勃起した先端から漂う時枝の匂いも。
腰の動きが止まらない。
乱暴に突き上げても、もっと激しくと、挑発するようにドロドロの内部が締め付けてくる。
野生の獣そのものに、自分の下に組み敷いた獲物を、ただ、犯したくて堪らない。
突いて突いて突き上げて、息の根を止めたくなるほど。

―――この身体は、俺のものだっ!

「ぁああうっ、…ゆう、…ぃちっ」

時枝が、懲りずにまた手を伸ばす。

「何度言っても分らないやつだっ!」

橋爪が、時枝の両腕を腕を乱暴に掴んだ。

「何をするつもりだ!」

時枝ではなく、潤が怒鳴る。

「うるせーっ、外野は黙ってろ」

橋爪は潤を一喝すると、時枝の傷の状態などお構いなしに、

「来いっ!」

時枝の腕を力任せに引き寄せ、上半身を起こそうとした。
時枝本人の力が入らないその身体は、かなり重く、腕だけで持ち上がるようなものではない。
下手をすると脱臼ものだろう。

「手伝えっ!」

潤と黒瀬に、橋爪は横柄に命じた。

「人使いの荒い人だ。私をこき使うとは、ふふ、高くつきますよ」

黒瀬が潤を促し、二人掛かりで時枝の上半身を起こしてやる。

その男、激情!64

橋爪が何を考えていようと、二人には関係なかった。 
潤は、今すべき、自分の役割を理解していた。
黒瀬が素早く臨戦態勢に入れるよう、黒瀬を挑発するように口を半開きにし、濡れた視線を黒瀬に返した。

「ふふ、私の準備も完了。兄さんの目の前で時枝を犯れるなんて、楽しくてたまらない。あの時の報復が、今頃になって出来るなんてね。状況も似てるし。ふふふ」
「あの時? …アノ償いは、もうしたはずですっ!」
「たったアレだけで? 大丈夫、私は兄さんほど鬼畜ではないから、道具など使わないよ」

黒瀬が、時枝に先端を押し付けた。

「ハッ、嫌ですっ」
「一気に突いてあげるから」

黒瀬が先がグッと中に押し込められた。

「嫌、ヤメロ――ッ!」
「ふふ、久しぶりだけど、時枝のココは覚えてくれているみたいだよ。口ほどには嫌がってない」
「違うっ、勇一の前で変な事言うなっ!」

知られたくなかった。
勇一がいない間に黒瀬と寝たことなど、例え、それが「橋爪」を名乗る男でも、時枝は知られたくなかった。

「ふん、結局、こいつもただの淫乱だってことだろ。だから、自分を殺そうとした俺に犯せとか言えるんだ。変態野郎」

吐き捨てるように、橋爪が言った。

「サッサと突っ込んでやれ。俺に仕事を早くさせろ」

無性にイライラする。
仕事が出来ないからイラつくのか、この馬鹿げた行為を見せつけられるからなのか。
縋るように俺を見る時枝の目が気にくわないからなのか。

「ふふ、ではご要望にお応えして」

黒瀬がチラッと潤を見た後、時枝の内部を突き上げた。

「ヒィッ、勇一ィイイ―――ッ!

時枝の絶叫が、部屋中に響き渡った。
瞬間、橋爪は黒瀬を殴り飛ばしていた。
ベッドから転がり落ちた黒瀬が、切れた口の端を手の甲で拭いながら、橋爪を見上げた。
獣のごとく、どう猛な目をした橋爪が、ベッドの上でファスナーに手を掛けていた。
何が起きているのか、一番分かっていないのは、橋爪本人だった。
自分の中に突如湧き上がってきた強い衝動に橋爪は支配されていた。
とにかく黒瀬が許せず、淫乱と自ら時枝を罵ったくせに、時枝の体を汚していいのは自分だけなんだと、黒瀬の場所を奪った。

「俺が犯してやるッ!」

突然の交代劇。

「――勇一ィ、」

時枝の涙が、歓びに変わろうとしていた。

「その名で呼ぶなッ」

時枝は、勇一と名前が零れないようにと口をギュッと閉ざし、数年ぶりに触れようとする愛しい男を見つめた。
ファスナーを開き、太腿まで下衣を一気に下げた橋爪の中心には、雄々しく勃起した物が存在していた。
黒瀬みたいに、自慰で成した訳ではない。
そんな兆候など時枝の悲鳴を聞くまで一切なかったのに、橋爪を支配する激しい衝動に連動して、筋を浮き立つぐらい成長していた。

「この中に入れりゃ、いいんだろ」

黒瀬の規格外を含んだ後で、時枝のソコはまだ小さく口を開いていた。
そこに、遠慮なく橋爪が先端を押しつけた。

「ゅう、…」

間違いなく、勇一だった。
何一つ変わっていない感触だった。
勝手な言いぐさで体の関係を持った時から、この体を愛し続けた、勇一の雄の象徴。
勇一が橋爪になろうと、自分を殺そうとしようと、そこは雄として自分の前で勃起している。
生きている。
勇一は生きている。
勇一、と名を呼びたい時枝が開きかけた唇をギュッと噛み、心の中で『勇一』と叫ぶ。