その男、激情!68

「グホッ」

潤の暴力は想定外だった。
セックスに溺れている橋爪は、明らかに油断していた。
潤の怒りの鉄拳は、橋爪の左頬にめり込んだ。
それから先は、スローモーションのような時間の流れに、橋爪はいた。
意識のない時枝の身体から、橋爪の身体が離れる。
瞬間、黒瀬が時枝の身体を支えた。
そして、横に半円を描くように落下する橋爪。
ハッと思った時は、病室の床に頭を打ち付ける寸前だった。
咄嗟に右手を床に突いた。
頭は無事だったが、その時、手首にグイっという嫌な音と痛みが走った。
片手で身体を支えきれず、捩ったのだ。

「右手をやられたら、拳銃無理じゃない? 橋爪さん、右利きだし、左で扱えるほど、器用じゃないみたいだし」

黒瀬は、橋爪が手を捻るのを見逃さなかった。

「うるせーっ!」

橋爪が下半身剥き出しの情け無い格好のまま、左手で黒瀬に渡された拳銃を探す。

「潤、時枝をよろしくね」

自分の暴力にショックを受け、呆然としている潤に黒瀬が時枝を預けると、橋爪の側に寄った。

「捜し物はコレでしょ?」

橋爪が持っていたはずの銃と、元々黒瀬が持っていた銃を左右別々に持ち、黒瀬は床の橋爪に向けた。

「そろそろ、遊びの時間は終わりにしましょう。もう、十分でしょ? 殺し屋として、ターゲットを殺せないあなたに、未来はない」
「殺せない? バカな事いうなっ!」
「時枝の身体、ふふ、今のあなたには撃てないでしょ?」
「…そ、そんなことはっ、」

ない、と言い切れなかった。

「仕事をしくじれば命がないのが、あなたの所属している世界でしょう? 二度のチャンスがあったのに、まだ、時枝は生きている」
「銃を貸せ」
「嫌です」

黒瀬が、右手に持った銃のトリガーガードからトリガーに指を移動した。

「はん、最初から、俺を始末つもりだったんだろ」
「時枝も、満足したようだし、もう橋爪さんに生きて頂く理由がないですから」
「最後の晩餐が、あいつのふざけた身体だったというわけか」

橋爪が、潤に身体を支えられている時枝を見た。
意識のない時枝の目から、スーッと一筋、涙が零れていた。
橋爪が自分から離れたことを、意識ないまま嘆き哀しんでいるように見える。

「兄さんだったら、歓迎したんですけどね。橋爪さんでは、時枝が自分を見失うだけですので、ふふ、死んで下さい」

橋爪が目を閉じた。
黒瀬のマンションで同じような状況があったが、さすがに今度はオモチャだった、というオチは用意されていないだろう。
橋爪自身、黒瀬が手にしている拳銃を確認している。
弾は一発。
この距離で黒瀬が外すとは思えない。
前回と違って、感傷に浸ることもなかった。
下半身を晒したままのこんな姿で三途の川を渡るのかと思うと、感傷どころか笑いさえこみ上げて来る。

「薄気味悪い笑いですね。何か、言い残すことはありますか? 李に伝えることは?」
「地獄で会っても声を掛けるな、とでも言っておけ」
「承知しました。ふふ、では、橋爪さん、さようなら」

黒瀬が笑みを浮かべながら、トリガーを引いた。
サイレンサーが効いているのか、パンという乾いた音が小さく響き、そして橋爪が額から血を流し倒れた。

「実に呆気ない。これが、橋爪さんの最後とは」
「…勇一?」

銃声ではなく橋爪が床に倒れた音で、時枝の意識が戻った。
真っ先に勇一の姿を探すと、床に倒れた姿があった。 
その前方では、両手に銃を握った黒瀬が立っていた。 
右手の銃口からは微かに白い煙が上がっている。