その男、激情!72

「…ダイダイ。組長が、戻って来たっ! 良かったぁああっ、……ん? 浮気ィ?」
「浮気だろ。人の目、盗んで告(コク)ってんじゃねえよ。何が愛してます、だ。オッサンの愛は、俺に向いているんじゃなかったのかよ。そんなんだからゴリラにまで、色目使われるんだよっ!」
「ダイダイッ、それは誤解だっ!」

畳みの上の佐々木が、若い男の足に縋った。

「そりゃそうだろ。誤解じゃなく本当だったら即離婚だからな。伴侶をゴリラと頭のおかしいオヤジに盗られたんじゃ、俺の面子も居場所もないじゃん」
「コラ、ガキ。頭のおかしいオヤジって、俺の事か? …お前」

思春期でもあるまいし、一日二日での急激な成長はないだろうが印象が違う。
未成年独特の少年臭さが抜け、大人になった青年の顔だ。

「…一日で老けたな」
「一日? 笑わせるよな。ふん、やっと桐生勇一の登場かよ。いい加減うぜぇんだよ、あんた。俺は認めないからな。あんたがちゃんと自分のしたこと償わない限り、組長とは認めないし、あんたに敬意なんか払わないから。これだろ、探していたの」

目を釣り上げた青年が男に帯を渡す。

「なんだとぉおっ、このガキ、もう一遍言ってみろ。朝っぱらからこの俺にケンカ吹っかけるとはどういう了見だ。あ?」

男が生意気な青年の胸ぐらを掴んだ。
だが、それに青年が怯むことはなかった。

「佐々木――ッ!」

男が反抗的な目を向ける青年を睨み付けたまま、畳の上の佐々木を怒鳴る。

「ハイッ、組長ッ!」
「組長って、呼ぶなっ、オッサン。こんなヤツ、組長の資格なんかねぇだろッ」
「テメェは、自分のイロの躾もできねぇのかっ!」
「申し訳ございませんっ! こ、こらっ、ダイダイ、組長に何て口きくんだ」
「オッサン、ゴリラとイチャ付いている間に頭おかしくなったのか? 今の桐生の組長はコイツじゃないだろっ!」
「クソガキがぁああっ。オカシイのはお前だろっ! 桐生の組長は、この桐生勇一だろうがっ! 朝っぱらから寝言言ってるんじゃねえっ!」

男の拳が青年の顔めがけて飛んだ。

「ぐへっ、」

だが拳が着地したのは青年の頬ではなく、畳の上に居たはずの佐々木の頬だった。
泣きっ面をしていても、そこは桐生のナンバーツーだ。
俊敏な動きで、二人の間に割って入った。

「オッサンっ、大丈夫か。このクソオヤジ、俺のオッサンになんてことするんだっ」

自ら、桐生の組長を名乗るだけの事はある。
男のパンチは半端なく効いたらしい。
みるみる間に、佐々木の顔半分が腫れてきた。
全くなんて朝なんだ。
帯がないことから始まって、臑は打つは、ギャアギャア二人掛かりで叫(わめ)かれるは。
しかも共通しているのが、人物確認だ。
一人は何故か分りきっていることに興奮しているし、一人は、認めるだの認めないだの生意気に楯突いてくるし。

「ウルセ―ッ! もう、イイ加減にしろ。二人揃って、頭でも打ったんだろ。しばらく俺の前に顔見せるなっ。お前らに付合っていると、こっちがおかしくなる。アイツ呼べ」

面倒な事を押し付ける気はないが、煩いガキの教育は、相方の得意分野だ。

「アイツ? …それ、まさか、時枝のオヤジのことかよ」
「他に誰がいる」
「ハハハ、マジかよ。黒瀬さんの予想的中かよ。めでて~男だよな、あんた」

バカにしたように笑いながら、青年の目は怒火に満ちていた。
男は……桐生勇一は、大喜が自分に反抗しているのは、ガキなりに何か深い理由があるのかと、自分に向けられた憎しみすら感じる怒りを見て思った。

「時枝のオヤジは、呼んでもこね~よ」

大喜の顔から、笑いが消え怒りの部分だけが残る。

「会いたきゃあ、自分から行けよ。もっとも居場所が分ればの話だけどな」
「どういう意味だ」
「意味? 意味もクソもあるかっ」

大喜が勇一の腕を掴むと、歩き出した。

「こら、待てっ、クソガキッ!」

下着姿一枚での勇一が、大喜に引っ張られる。

「…ダイダイッ、」

顔を腫らした佐々木が、慌てて立上がり、二人を追う。
大喜は、勇一を桐生本宅内にある医務室の前まで連れて行った。
警察沙汰にしたくない負傷者を手当するために、この医務室には街の診療所並の設備が整っている。

「あんたの頭の中がどうなってようと、俺には関係ないけどさ、現実はしっかり見ろよなっ!」

事務室のドアを開けた大喜が、勇一一人を中に押しやった。