その男、激情!113

「あんた、大概にしろよっ!」
「うるせーっ! 屋根の下で寝たいなら言われた通りにしろ。金がなきゃ、腹も満たせね~だろうが」

夜の繁華街。
煌めくネオン。
男性が男性を求めて入る店や、元性別男のお姉様方が接客をしてくれる店や、男性同士が一晩過ごせるホテルが多く並ぶ一角。
車から降ろされた大喜は、とあることを橋爪に強要されていた。

「俺はホモじゃねえっ!」
「ホモだ。自覚しろ自覚」
「ジジィは好みじゃねえっ!」
「佐々木っていうのは、年食ってるよな? あれが二十代の青年とは言わせないぞ」
「オッサンは特別なんだっ!」
「じゃあ、他のジジィも特別にしろっ」
「だいたい、今時援交なんて、ダサイんだよっ。女子高生でもないのに、やってられるかっ!」
「じゃあ訊くが、コンビニ強盗やひったくり、お前にできるのか? 警察に捕まったら誰が哀しむんだろうな」
「援交だって、同じだろっ。離せ、俺は帰る」
「アホか。命が惜しかったら、言う通りにしろ。ちなみに、美人局(つつもたせ)だ。運が良ければ尻掘られる前に助けてやるさ」
「運が良ければじゃねえよっ。100%保証しろ。掘られる前に助けるって約束しろっ」
「―――お前、泣いてるのか?」

強気の大喜の目に、ネオンの反射だけではない輝きが含まれている。

「…る、せーっ。…他の男だけは嫌だっ。そんなことなったら、俺、オッサンの所に…戻れないっ、…もう、二度と嫌なんだっ、」

思い出したくない、過去の汚点を大喜は思いだしていた。
ステージの上で、ショウの一環として未開通のソコを掘られた。
それも金の為に自ら志願して。
もう今の自分は違う。
金の為に何でもありだった過去の自分に嫌悪さえ感じている。

「うるせーな、クソガキ。泣くと顔が腫れて、いいカモが釣れねーだろ。軍資金さえ手に入れば、解放してやるから、頑張れ」

煩いガキに仕事させる為には嘘も方便と、橋爪が変な慰めを入れる。
まさか、その言葉を信用するとは思っていなかったが、大喜の涙はピタッと止まった。

「…マジか? 金さえ入れば、解放してくれのか?」

案外、単純なガキだ。
利用するには持ってこいだ。
あの黒瀬やらその傍らにいた潤とかいう若造とは違って、アクがない。

「ああ。だから、仕事と割り切って頑張れ。金が入手できないなら、お前を売り飛ばす方向に変更するからな。そうしたら、二度とお前のオッサンにも家族にも会えね~ぞ。再会出来たとして、眼球一つの瓶詰めになっているか耳朶か」

鞭も忘れない。

「やりゃ、いいんだろっ! 任せとけ。この俺様の魅力に堕ちなかったのは、オッサンぐらいだ」
「墜とせなかったのか? あんな中年一人を? お前ら、まさかのプラトニック? お前の尻の孔が緩いのは、別の男のせいか? な~にが他の男は嫌だだ」
「違うっ! 時間か掛っただけで、俺とオッサンは歴とした、」

夫婦だと言いたかったが言えなかった。
籍も入ってないし、何より大喜は佐々木の家を飛び出し、実家に戻った身だった。

「――とにかく、金持ってそうなジジィをホテルに連れ込めばいいんだろ? 任せとけ」

急にやる気を見せる大喜に、腹の中で橋爪はほくそ笑んでいた。
本当に単純なガキで良かったと。
墓地の駐車場で車に乗り込んだ時、まさか自分が十分な金もカードも所持していないとは思わなかった。
着流しのそでにも、車の中にも財布がなかった。
帯に千円は挟まれていたが、それだけだ。
ガキの小遣い程度じゃ、この先のガソリン代にも困るのは明白だった。
自分の荷物をコインロッカーに預けていたことを思い出しそこに向かったが、辿り着く前に肝心の鍵を持ってないことに気付いた。
金も無ければ、着替えもない。
ならば調達するまでだと中華街に寄った。
台湾から連絡が来ているのか、誰も相手にしてくれなかった。
橋爪を見ても、「橋爪? 誰だ? お前など知らない」で、追い返された。
懐が寂しい橋爪の横で、大喜が呑気に

「腹減った~」

とほざいた。
その緊張感のない顔に、ガキに稼がせる手があったと思いつき、今に至る。

その男、激情!112

「ふふ、一緒に逃避行中かもね。あの人、自分が気付いてないだけで、お猿が好きなんじゃないの? 橋爪になるとその隠れた欲望が現われるとか? 時枝は殺したくなるけど、お猿は裸に剥きたくなるみたいだし。今頃、どこで何をしているやら」
「ええ、そうですね」

時枝のこめかみが、ピクッと青筋をたて撓るのを潤は見逃さなかった。

「そう辺は、私もジックリ問い詰めてみたい箇所です」

この分だと、勇一が戻ってきたら、間違いなく一騒動あるだろうと潤は思った。

「すぐに、姿を現わすんじゃない? 殺しに来るのか、時枝を犯しに来るのかは分からないけど。ふふ、橋爪でも時枝の身体には興味持ったみたいだし…凄かったよね、病室であの人。白目剥いた時枝でも腰を振り続けていたから。ふふ、時枝で覚えた味が忘れられなくて、今頃お猿の赤いお尻で遊んでたりして」
「そんなこと、許しませんっ! もし、本当にそんなことが起こっていたならば、私がこの手で勇一の息の根を止めます。第一、大森と佐々木さんに申し訳がたたない―――佐々木さんは? 大森が一緒なら大騒ぎしているはずじゃ?」

車椅子を動かしドアを開け、本宅内の様子を時枝が窺う。
静かだった。
その瞬間は静寂していた。
が、ドアを閉めようとした瞬間、聞き覚えのあるサイレンの音が飛び込んで来た。

「近くで事故でしょうか?」

本宅を通り過ぎると思われた音が、ピタッと止まった。

「木村さんが、呼んだのかも」
「ふふ、じゃあ、ゴリラ、やっぱり死んじゃった?」
「死んでると判断したら、木村さんなら通夜の手配するんじゃない? 俺が救急車か通夜って言ったんだけど、――…本宅に救急車って大丈夫なの?」
「どういうことですか? もちろん、大丈夫じゃありません。また何かあったと他の組に腹を探られる。私に分かるように説明して下さい」

車椅子の時枝が、怪訝そうに二人に詰め寄った。

「さあね。何があったかは知らない」

確かに、正確には、潤も黒瀬も何が佐々木の身の上に起きたのかは知らない。
音を聞いただけだ。
黒瀬が説明する気がないと知ると、時枝は潤に絞って問い詰めた。

「潤さま、あなたが木村に救急車を勧めたのなら、その理由があるはずです。それは何ですか?」

秘書室長時代の時枝を思わせる、鋭い眼光で睨まれ、潤は懐かしい緊張感に見舞われていた。

「――それは、佐々木さんの所に寄ったら玄関先で凄い音がして、…多分、慌ててて躓いたか何かで、頭を玄関の扉で激しく打ったんじゃないかと。その後、倒れたような音が聞こえて、結局佐々木さんは出てこなかったから、意識がないと思う。でも、黒瀬の言うように、実際、玄関が開かなかったので、何があったかは正確には分からない…です」

最後だけ、丁寧な語尾を付け足した。
新人と時枝に呼ばれ続けた日々が、潤に蘇った為だ。

「確かに、それだと医者が必要かもしれませんね。ただ、桐生の医務室でも事足りた気がしますが。――はあ、既に来てしまったものは仕方ありませんね」

と、時枝が窓の外に顔を向けると、担架で佐々木が運ばれているのが見えた。
救急隊員を一緒に木村もいた。

「まさか、木村まで救急車に乗り込むつもりじゃないでしょうね。勇一が不在、佐々木が病院、となると、誰が組をまとめるんですか。まったく、木村も、もう少し思慮深くてもいいと思いますが。――仕方ありませんね」

クルッと車椅子ごと向きを変え、時枝が黒瀬を見据えた。

「橋爪のアホを、桐生組で――私のこの手で、捕らえます。私の命も狙ってくるでしょうし、何より大森を一刻も早くあのアホから解放しないと。私を桐生の事務所に連れて行って下さい。佐々木さんがいないのなら、私が組長に復帰します。あんなヘボい殺し屋にやられてばかりじゃいられませんから」
「時枝さん…うそぉぅ、時枝さんが橋爪を殺すのっ!?」

驚愕の潤に、ゴホンと時枝がわざとらしく咳払いを向けた。

「誰も殺すとは言ってませんが? 勇一でも橋爪でも、どちらも同じ事です。あのアホがバカな事をしでかすなら、徹底的にその性根をたたき直してやろうという深い愛情と、桐生の組の面子の問題です」
「――アホがバカな事、って、…確かにそうだけど…」

自分が言うのはいいが、他人に言われるのは面白くない。
時枝がムッとして潤を睨んだ。
潤を庇うように、黒瀬が口を挟んだ。

「ふふ、深い愛情ね。どちらかと言えば、深い嫉妬だと思うけど。それに、時枝、ついさっき、殺すって言ってたじゃない。この手で息の根を止めるって」
「それはっ、あのアホが大森相手にしでかした時ですっ。そうなる前になんとしてでも、アホを捕らえて、二人を引き離せばならないでしょっ! 早く、出ましょうっ!」
「ふふ、桐生の面子は関係ないじゃない。結局は、怨念タップリのジェラシーじゃない」
「何を言ってるんですか! 社長ともあろう方が。ヘボい殺し屋に舐められていたら、それこそ他の組から見てどう思われるか。橋爪の正体が既に他に洩れているとしたら、桐生の内紛として、つけ込む好機到来と思われかねない。嫉妬も否定しませんが、私個人の感情だけの問題でもないでしょ。第一、大森は、まだ一般人ですよ。一般人を巻き込んでいいわけがない。なんとしても彼を無事に保護しなければ……。佐々木さんになんて言い訳するんですかっ」
「ふふ、結局ソコに行きつくんだから。まあ、でも、時枝の言うことは、珍しく正解。時枝が組長復帰して、指揮を執るのが一番」 
 
潤に、行こうか、と促し黒瀬がスタスタと歩き出した。 
車椅子を押してやるようなことはしない。
もちろん、そんなこと、時枝も期待していない。
潤が車椅子に手を掛けたが、時枝が、結構です、と断った。
必要なのは自分を甘やかす手伝いではなく、目的達成の為の補助だけだった。
そう車で運んでもらえれば、時枝には十分だった。

その男、激情!111

「あ、いた。木村だ」

佐々木の自宅と本宅は繋がっている。
正面玄関には回らず、そこから二人は本宅へ乗り込んだ。
すぐに黒瀬が知った顔を発見する。

「も、元組長代理っ! お、お早うございますっ!」

黒瀬の顔を見て、ギョッと驚いた様子の木村が、慌てて頭を下げた。

「止めてくれない? その呼び名。ダサイ」
「し、失礼致しましたっ! …あの、本日は、どのようなご用件で」

床を見ながら、木村が訊ねた。

「木村さん、佐々木さんがご自宅で倒れているようなので、至急安否の確認をして下さい。救急車か、通夜の手配か、どちらかが必要かもしれません」
「…救急車か、通夜? えぇえええっ!」
「ふふ、タンコブだけってこともあるけどね」
「ははっ! 大至急、向かいますっ」

顔をあげ、慌てて張りし去ろうとする木村の衿を「ちょっと、待って」と黒瀬が掴んだ。

「玄関鍵が掛っているから、こじ開けるモノ、持って行った方がいいですよ」

黒瀬に捕まった木村に潤が助言を入れる。

「承知しましたっ!」

木村は解放され、今度こそ本当に佐々木の自宅に向け走り去った。

「はあ、来るかと思っていましたよ」

朝から理学療法士の資格を持っている組員とリハビリ中の時枝が、黒瀬と潤を見るなり嫌そうな顔をした。

「一週間でここまで回復するとは、時枝って、妖怪だったんだ」

腕はまだ吊っているものの、歩行訓練を始めていた。

「はい、そうみたいですね。否定はしませんよ。あなたの秘書時代に、とっくに人間は捨てましたよ」
「朝っぱらから、可愛くないね」
「ふん、あなたが可愛いと思っているのは、そちらの秘書さんだけでしょ。お早うございます、潤さま。二人揃ってこちらとは。仕事は大丈夫ですか?」
「はい。もちろん、大丈夫です」
「そうですか。あまり、社長を甘やかないように。朝から、仕事をサボらせるのは感心しませんよ。私や勇一の事で仕事を後回しにするのは感心しませんね」
「…勇一の事って、…時枝さん、…知ってるの?」

潤の質問に答える前に、時枝がリハビリに付き合っていた組員を下がらせた。

「知ってるも何も、勇一は昨夜帰宅しなかった。一緒にいるはずの佐々木さんは、コッソリ一人で帰って来た。本宅からではなく、自宅に直接。つまり、佐々木さんは自分だけ帰宅したことを私に悟られたくなかった、ということでしょ? となると、勇一に何かあったと思うのが普通です。ソコまで私もバカではありませんから」

汗を拭きながら、時枝が自力で車椅子に座る。

「佐々木さんが、帰宅したこと知ってたんだ」
「当たり前です。ヒソヒソ裏から帰宅しても、部屋に灯りが点けば、誰でも気付きますよ。だいたい、仕事で遅くなるとか泊まりとか、佐々木さんは嘘が下手過ぎます。本当にそうなら、勇一本人から、私の携帯に直接連絡するはずです。つまり、」

そこで、はあ~、と深い溜息。

「消えたんでしょ? あのアホ、姿を消した。そんな所でしょう」

潤が、時枝の表情を観察する。
呆れてはいるようだが、哀しみに打ち拉がれているようには見えない。

「勇一~~って、泣かないの? 面白くないな~。どちらかと言えば、気合い十分って感じも受けるけど?」

黒瀬の言う通りだ。
想像ついていたのに、朝から汗を流し、スポーツジムさながらのリハビリ。

「どうして、私が泣くんですか。バカバカしい」
「バカバカしいって…。時枝さん…、ちょっと前までは……」
「それ以上は結構です。何を仰有りたいのか分かりますから。感動の再会も果たせましたし、生きているこの現実、哀しいことは何一つありません。むしろ、怒っています」
「…それは、消えた理由を知っているってこと?」
「事実は知りませんよ。ですが、考えられる理由は『橋爪』でしょ?」
「やだな。私と時枝の発想が同じって、どう思う、潤?」
「時枝さんとだけ発想が同じなら、ジェラシー感じちゃうけど、俺も同じだから…嬉しいよ。でも、時枝さんは一点だけ、知らない事がある」
「何ですか?」
「ダイダイの事」
「――まさか、勇一、…またですか?」

ダイダイと聞いただけでピンと来るところは、さすが時枝だ。

その男、激情!110

「組長さん、やはり戻らなかったんだ」

朝食の準備をしながら、携帯を切ったばかりの黒瀬に潤が尋ねた。

「そうみたい。しつこいね、橋爪も」
「時枝さんに知らせるの?」
「ふふ、どうしようかな。潤はどう思う?」
「組長さんが帰宅しないことの説明、難しいと思う。それに、命狙われるなら…、時枝さん本人が知っていた方がいいとは思うけど…」
「けど、時枝が傷付くんじゃないか心配?」

うん、と頷きながら、オムレツを盛ったプレートを潤が黒瀬の前に出す。

「あぁ、いい香り。潤の手料理は、どんな高級レストランのディナーよりも私の食欲をそそるよ。ふふ、食欲じゃないものもそそるけど。潤の細い指が、食材を触ったかと思うと」
「毎晩、食材じゃないのも触ってるけど? 朝から欲情してくれるのはとても嬉しいけど…」
「時枝と兄さんとお猿のことが気になる?」
「気になるというか…、心配。これからどうなるんだろうかって」

潤が席に着きながら溜息交じりに言うと、黒瀬が潤の手に自分の手を重ねた。

「潤は、優しいね。ふふ、もう、時枝は何を知らされてもこれ以上は傷付かないから大丈夫。私と違って、そこまで繊細な男じゃないから」

潤以外の者がいたら、きっと皆、『私と違って』の部分で、「え?」と思っただろう。
内心で「誰が繊細だって?」とツッコミを入れるに違いない。
だが、今此所にいるのは潤だけだ。

「…そうだよね。時枝さんだもんね。あれだけいろんな目に遭えば、今更、組長さんが橋爪に戻ったと聞いたところで、哀しむことはないかも知れない」
「ふふ。そうだよ。可愛い秘書さん、私の午前のスケジュールは変更がきくかな?」
「はい、社長。社内会議ですので調整できます。――本宅へ、行かれますか?」

背筋を伸ばして、潤が秘書の顔になる。

「同行してくれるかな?」
「はい、お伴させて頂きます」
「有能な秘書が側にいて助かるよ。ふふ、スケジュールの無理も聞いてもらえるし」
「ありがとうございます」

潤が秘書の顔を続けるので、黒瀬が吹き出した。

「ふふ。秘書の熱い眼差しもいいけど、朝食は、可愛い潤と食べたいな。もちろん、潤も食べたいけどね」
「黒瀬、…嬉しいけど、冷める前に食べよう」
「そうだね。頂きます」

と、黒瀬がオムレツを食べるより先に潤の唇をチュッと頂く。

「最初にデザートからも悪くない」
「んもう、黒瀬。…俺、ホント、幸せだ」
「私もだよ。…本宅行く前に、ちょっとだけ潤を食べてもいいかな?」
「ちょっと? いいよ、いっぱい食べても」

潤の顔は、既に桃色に染まっていた。
一時間後、二人は本宅へ向けて出発した。

 

 

「ゴリラ、いる?」
「佐々木さん、潤です。開けて下さいっ!」

本宅敷地内にある佐々木宅の玄関先で、黒瀬と潤が佐々木を呼ぶ。
中から慌てて掛けてくる佐々木のスリッパの音が聞こえた。
そして、土間で蹴躓いて、ドアで頭を激しく打ち付けた音も。
気を失ったのか、ドサッという音を最後に静かになり、そして玄関が開く気配はなかった。

「…死んじゃった?」
「かもね」
「どうしよう…、開けないと…」
「放って置けばいいじゃない」
「だって、生きてるなら、急いで救急車呼ばないと。死んでるならこのままだと腐敗するよ」
「ふふ、潤は優しいね」

潤の言葉のどこに優しさが含まれていたのかは疑問だが、倒れているであろう佐々木を放置したままというのは、確かにマズイ。
理由はもちろん、潤の言葉通りだ。

「じゃあ、誰かに開けさせよう。時枝の所にはゴリラ抜きで、行こう」
「途中に、誰かいるよね」

ダイダイのことを心配していた佐々木も同行させようと考え、本宅に直接上がらず、佐々木宅から先に訪問したのだが、結果、二人きりで会うことにした。

その男、激情!109

「今までの話は、全て、仮定に過ぎない。兄さんは兄さんのままかもしれないし、ただ、ぶらついているかもしれないし。但し、」

一旦区切った黒瀬を、潤と佐々木が、食い入るように見つめた。

「今夜一晩、二人とも戻って来ない場合は、お猿は橋爪と一緒だと考えた方がいいだろうね。今の兄さんが、時枝の元に帰らないなんて、有り得ないから」
「…黒瀬、」

潤が、戸惑いながら名を呼んだ。

「…橋爪だったら、…また、時枝さんを殺そうとするんじゃ、」
「強気に仕掛けてくるかもしれないね。人質とってるから」
「それって、ダイダイですかっ!」

また、佐々木が興奮して、立上がる。

「他に誰がいる? ふふ、とにかく、今は仮定の話だから、後は明日になってみないとね。佐々木は、自宅で待機した方がいいんじゃない? お猿、携帯持ってないなら、連絡は公衆電話から実家か、佐々木の家かじゃない?」
「ですが、アッシは、今組長と一緒にいることになってるんです。…時枝さんの手前」
「建物独立しているんだから、コッソリ戻ればいいじゃない。秘書さん、お客さまのお帰りだよ」

もう、佐々木に用はないということらしい。というか、初めから、黒瀬には用はなかった。
佐々木が押しかけたのだから。

「はい、社長」

潤が黒瀬の胸から離れ、佐々木の為に社長室のドアを開けた。
黒瀬が「もう終わり」というオーラで威圧してくるので、佐々木は素直に帰って行った。

 

 

「――はい、そうなんです。本人から連絡があったら、知らせて頂けますか? 何時でも構いません。ご心配おかけして、申し訳ございません。よろしくお願いします」

黒瀬から言われたように、本宅敷地内にある自宅に戻った佐々木は、真っ先に大喜の実家に連絡を入れた。
自分のせいで部屋を飛び出したようなので、連絡があったら教えて欲しいと。
男の子なんだから、一晩や二晩帰宅しないこともありますよ。大丈夫ですから、と何故か慰められた。
勇一でも心配なのに、一緒なのが橋爪となると、大喜が襲われているんじゃないかと落ち着かず、佐々木は電話機の前から離れる事が出来なかった。
結局、電話は鳴らず、勇一も戻らず、一夜が明けた。

「佐々木です。朝っぱらから申し訳ございません。…はい、組長は、戻って来ませんでした。ダイダイからの連絡もありません…くっ、ボンッ、アッシは、一体どうしたら、いいのでしょうかっ。…え? 海底に沈んでろ? あっ、……ダイダイにもしものことがあったら、その時は、東京湾でもアラスカでも好きな場所に沈めてくだせぇ…くっ、ダイダイッ、」

黒瀬に指示を仰ぐつもりが、怒りを買っただけだった。 
泣き喚く佐々木がウザかったのか、『ダイダイ』と叫んだ所で、ツーッと音信不通になった。
涙が零れて止らないのは、極度の不安が佐々木を襲っているからだ。
実際、大喜は以前橋爪の手で、下半身を剥かれていた。
あの時の映像が、佐々木の脳裏にずっと浮かんでいた。

「こんなことじゃ、ダイダイを助けられね~っ」

意を決したのか、佐々木は袖で自分の顔面に貼り付いた水分を乱暴に拭くと、風呂場に飛び込み、冷たいシャワーを頭から浴びた。

その男、激情!108

「お猿は佐々木に会いたくなくて、家を抜け出した。そこで、偶然、外に出ていた兄さんと会う。兄さんにしてみれば用事があったわけだから、当然お猿に話があるから一緒に来いと持ちかける。そこで、お猿は桐生の事務所なら佐々木と会うかも知れないので、行かないと言う。じゃあ、佐々木の割り込んで来ない場所で、という話になり…。ふふ、その場所が、何処かは知らないけど、二人っきりになれるような場所じゃない?」

意味ありげに黒瀬が佐々木を見た。

「ホテルとかね」

そして、続けた。

「ホテル――ッ!」

予想を裏切らない佐々木の悲鳴。

「ダイダイっ、ダイダ―――イッ!」
「佐々木さん、声が大きすぎますよ。ここは会社ですよ。お静かにお願いします」

天井を仰ぎ見ながら叫ぶ佐々木を潤が窘めた。

「たとえば、と社長は仰有ったんですよ。聞いてました? 現実そうとは限りません。だいたい、橋爪じゃあるまいし、元に戻った組長さんがダイダイとどうこうなんて、―――あ、」

潤が、何かを思い付いた。

「…いや、…そんな、ことは…」
「ふふ、潤は優秀だからね」
「黒瀬も? 失礼しました。社長も同じことを?」
「ふふ、そこの単細胞ゴリラとは違うからね。話を聞いた時、最初に思い付いたのはソレ」
「…でも、そうなると…」

潤の表情が暗くなる。

「……嫌だっ。ゾンビかよっ、あいつ」

秘書の仮面が潤から外れていた。

「そうかもね」
「時枝さんが…可哀想じゃないかッ…。もしそうなら…」

潤が、ギュッと膝の上で自分の手を握った。
その拳を黒瀬が優しく自分の手で包み込む。

「潤は優しいね」

黒瀬が、おいでと潤を自分の胸に抱き寄せた。

「――あのう、」

話についていってない佐々木が、申し訳なさそうに声を掛けた。

「…一体、…お二人は、何のお話を?」
「決ってるだろっ、橋爪の話っ!」

潤が黒瀬の胸の中から、怒鳴りつけるように激しく言い捨てた。

「橋爪? …って、あの、橋爪ですか?」
「そうだよ、時枝さんを銃撃した、あの橋爪っ!」

って、ことは…、と佐々木が一、二秒、頭の中をフル回転させ、『橋爪』が意味する内容を導き出した。
くどいようだが、この男も決してバカではない。
大喜と恋愛話が絡むと、少々『おバカ』になるだけで、時枝が桐生の組長としてやってこれたのは、この男の支えがあったからだ。

「ダイダイが、橋爪と一緒だと言うんですかっ!」

佐々木が、興奮の余り、ソファから立上がる。

「落ち着け、ゴリラ」

潤には優しい黒瀬だが、それは潤だからであって、佐々木にはもちろん冷たい。

「座れ。立たれると、目障り」
「落ち着いている場合じゃないでしょっ。死んだはずじゃないんですか。ヤツは消えたはずじゃっ!」
「消えるも何も、元々、橋爪も兄さんじゃない。兄さんは二重人格とは違うよ。記憶喪失の男が自分を殺し屋だと思っていただけの話」
「…そうなの?」

黒瀬の胸の中から、潤が聞く。

「一人の人間の中に、二つの人格があるのが、二重人格だよ、潤。兄さんは、そうじゃなかったじゃない。橋爪の時も私の目からみたら常に桐生勇一だったよ。だから、病室で私を押し退けて時枝に跨がったんだよ。別人格なら、時枝に興味なんて、持つはずないからね。時枝だよ?」
「でも、ボンッ! 橋爪は橋爪ですっ。橋爪だったら、ダイダイに何が起こるか分かりませんっ! それに時枝さんに、なんて言うんですかっ。あんなに戻って来たと喜んでいるのにっ」
「東京湾の底で、しばらく頭を冷やしてくれば、佐々木」

興奮した佐々木の言葉の中に自分の嫌いな呼称が含まれていたことを、黒瀬は聞き逃さなかった。

「あっ、」

佐々木が口を押さえた。
黒瀬の氷のように冷たい視線が佐々木を射るので、佐々木の興奮は一気に収まり、腰をソファに降ろした。

その男、激情!107

「ダイダイを呼んでこい、と組長に命じられまして。仕事の話があるって仰有ってたんですが、本当かどうか。とにかく話があるから連れて来いと言われ…ダイダイの実家に行ったら、」
「いなかったんだ」
「アッシが行くまでいた様子なんです。ご両親も部屋に籠っていると教えてくれたので。…部屋にダイダイはいなかった…。丸めた布団の中にメモが一枚残ってました…ぐっ、…うっ、」
「佐々木さん、鼻、垂れてますよ」

潤が自分のハンカチを差し出した。
ありがとうございます、と佐々木が受け取る前に、黒瀬がそれを奪った。

「潤にゴリラ菌が感染したら、大変だ」
「…菌は、持ち合わせてないと思いますが…」

鼻をぐずつかせながら、佐々木が真面目に答える。

「では、お待ちを」

潤がサッと立上がり、隣の秘書課からポケットティッシュとゴミ箱を持って来た。

「どうそ、お使い下さい」
「ゴミ箱とは、潤は気が利くね」
「社長室のゴミ箱では、社長が不快な思いをされるかもしれませんので。もちろん、佐々木さんの鼻水が、とてつもなく汚いと言っている訳ではありませんので」

言ってるのと同じ事だが、佐々木はその辺は深く考えてなかった。
与えられたティッシュで鼻をかみながら、溢れてくる涙をなんとか堰き止めようと必死だった。

「メモにはなんと?」

潤の一言で、佐々木の堤防は決壊した。

「バァアアア」

泣きながら喋るのでハッキリ聞こえない。

「バ~カ、って大きな文字で書いてあったらしいよ」

黒瀬が楽しそうに佐々木の代弁をする。

「ダイダイらしいというか、分かりやすいというか。とにかく、部屋にいるはずが、抜け出していたというわけですね。じゃあ、組長さんは?」
「…組に、…もどるとっ、…姿がなくてっ、…んぐっ、…本宅にも戻ってねぇ…、」
「あのう、佐々木さん、それって…」

言っていいものか、一瞬迷ったが、

「ただ、偶然二人が同じ時間帯に出掛けているだけじゃ…。二人とも大人なんですし、外で誰かと会ったり、買い物したり…、」

当たり前の発想を潤が口にした。

「どうしてそれが二人の駆け落ちにまで、飛躍するんですか?」

今の話が、佐々木がさっき言っていた「行方不明」に該当するとは潤には思えなかった。

「…だって、おかしいじゃっ、ないですかっ! 時枝さんにも連絡入れないでっ、アッシにも組のモンにも何一つ残さないで、…勝手に組長がいなくなるって。 それに…携帯も繋がらないッ…。お戻りになっての初出勤だったんですよっ、…だいたい、組長がダイダイに仕事頼むこと自体、ありえねーっ!」

佐々木が興奮し、潤に食って掛かる。

「落ち着け、ゴリラ」

黒瀬に注意され、あ、と佐々木が我に返る。

「携帯って、ダイダイのは居場所は分かるはずじゃ。組長さんのもGPS機能付きでしょ?」
「…ダイダイの携帯は、実家から動いていません。…携帯持って出掛けてないっ。組長は電源すら入ってない…。これって、他の人間と連絡取る気がないってことですよねっ、違いますか?」

佐々木的には、違う、と言って欲しかった。

「そういうことなんじゃない? 駆け落ちかどうかは、知らないけど、二人一緒の可能性はゼロではないかもね。例えば、」
「たとえば?」

潤が黒瀬の方を向く。
潤の視線が佐々木から自分に移っただけで、潤を溺愛している男の表情は柔和になる。

その男、激情!106

(ここから日曜日の更新です…)

「イロイロ反省したんじゃないの? ふふ、休憩時間に突然やってきて、潤の可愛い姿を全部見てたからね。邪魔もしようとしてたし」
「…そのぅ、通りです」

黒瀬からやられたという訳にもいかず、

「自責の念で、自分でやりました」

と佐々木は言った。

「それで、潤は、ゴリラとクマとどっちに興味がある?」
「ゴホン、社長、仕事中ですので、そのような事にはお答え出来ません。佐々木さん、お茶をどうぞ」

黒瀬が、佐々木を睨む。
潤にお茶を出させるとは、いい度胸しているね、と黒瀬が思っているのが佐々木には手に取るように分かった。

「アッシの為に、あ、ありがとうございますっ」

さっきまでの佐々木はどこに行ったのやら。
すっかり萎縮していた。

「佐々木さん、一大事と大騒ぎしていましたが、もう、その話は?」
「はい、させて頂きましたっ」
「社長、私が伺っても問題ない内容でしたら、教えて頂けませんか? 佐々木さんが騒いでいらしたので、少し気になります」
「ふふ、駆け落ちしたんだって」
「ぁあ、なるほど。それで焦っていたのですね」

潤が妙に納得した表情を見せる。
佐々木の慌てぶりからして、駆け落ちしたのが、実家に戻った大喜であることは予測ができた。

「なるほどって、潤さまはご存じだったんですか?」
「何を?」

質問に質問で潤が佐々木に返した。

「ダイダイと組長の駆け落ちですっ!」
「組長? どこの組? 女の子かと思ったら、違うんだ……意外ですね」
「女の子? 潤さま、それは、一体どういう意味ですかっ! ダイダイにガールフレンドが? 組長だけじゃ、ない…」

佐々木の顔が真っ青になっていく。

「ガールフレンドはいても問題ないじゃない。日本語の意味なら。ふふ、英語の意味なら、小猿もヤルね」
「…そんなぁ…」

女の子との駆け落ちなど、一切考えてなかった。
大喜に会いたがっていた勇一のことしか、佐々木の頭には思い浮かばなかった。

「話が反れたけど、組長って、兄さんのことらしいよ」
「まさかっ。そんなことあるはずないでしょ。佐々木さん、大丈夫ですか?」

女の子なら佐々木に焼き餅を焼かせる為にそれもありかなと思ったが…。
相手が勇一となると、潤の中では有り得ない可能性だった。

「…ダイダイが、……アッシの目を盗んで…女の子と…。いや、祝福してやるべきか…」

佐々木が湯飲みを覗き込んだまま、ブツブツ言い始めた。

「…でも、…組長の可能性も…、いや、組長の方がっ、」

佐々木の中で一巡して、結局勇一に戻ったらしい。

「どうして、組長さんなんですか?」
「…それは…、…二人とも、行方不明なんです」
「行方不明?」

その言葉で、あながち佐々木の被害妄想ではないかもしれないと潤は思った。

「詳しくお聞かせ下さい」
「…先程もお話しましたが…」

ちょっと待って、と黒瀬が遮った。
立ったままの潤が、不憫になったのだ。
黒瀬の思考的には、ゴリラが座っているのに、どうして潤が立ちっぱなしなんだ、ということだろう。
黒瀬が隣に座るように勧めたが、勤務時間中ですので、と潤が断った。
仕方ないと黒瀬が潤の腰に腕を回し、強引に自分の横に座らせた。
潤が座ると、黒瀬が続けろ、と佐々木に無言で命じた。

 

その男、激情!105

(土曜日上乗せ追加分2)

「…来て、…黒瀬ぇ…」

真横で苦しむ佐々木を無視し、潤と黒瀬は遂に身体を繋げた。
佐々木が激痛から半分逃れたとき、黒瀬と潤は隣の仮眠室に移動していた。

「開けて下さいッ! ボンッ! 潤さまっ!」

変に内股の佐々木が、仮眠室のドアを叩く。

「一大事なんですっ!」

さすがに秘書課の連中もおかしいと感じたのか、秘書課と社長室の境になっているドアがノックされた。

「社長?」

声を掛けたが、中から黒瀬の返事はなかった。
だが、男が叫んでいるのが聞こえる。
秘書課では、警備を呼んだ方がいいのかと相談を始めた。
社長室に、社外の人間がいることは確かだ。  
声に聞き覚えがあるから、社長の知り合いには間違いない。
社長秘書以外は、社長からの呼び出しを除き、社長室への入室を許可されていない。
あと五分で休憩時間も終わるし、社長秘書の市ノ瀬が戻って来たら、様子を見に行かせようか、という結論に至った。
そう、休憩時間まで、社長秘書の潤が黒瀬と一緒に過ごしているとは秘書課の人間は思っていなかった。
前任の時枝がそうであったように、休憩時間をちゃんと取ろうと思えば、社長秘書は社長から離れるのが一番なのだ。

「佐々木さん、いらっしゃいませ」

佐々木が叩いていたドアが突然開き、佐々木は額をガツンと打った。
中から頬が幾分赤いものの、凛とした表情の潤が出てきた。

「社長も時期に戻りますので、こちらでお掛けになってお待ち下さい」
「潤さまっ! 急いでるんですっ!」
「佐々木さん、ここは、クロセの社長室ですよ。大きな声は困ります。焦って解決するような問題ですか?」

さっきまで、そのクロセの社長室で淫らな行為に耽っていた人間とは思えぬ言葉と態度だった。
今の潤は、まさに時枝二世。
血の繋がりなど潤と時枝にあるはずがないが、秘書時枝の遺伝子を潤は間違いなく受け継いでいた。

「ですがっ!」
「一大事なら、尚更、落ち着いて、詳しく話をした方がいいのでは?」

潤は佐々木にソファに座るように促し、自分は秘書課に消えた。

「市ノ瀬君、社長室にいたんだ。一体何が起っているの? 警備呼ぶ?」

先輩秘書の一人が、潤が社長室から戻るなり駆け寄って来た。

「その必要はありません。ちょっと、緊急な要件のお客さまがいらしているだけです。少し興奮なさっていたようですが、落ち着かれたようですので」
「そう。社長周辺のことは君が一番把握しているだろうから、君の判断に任せるわ」

黒瀬の潤の仲は、社内では秘密だ。
潤は社長のお気に入り秘書ということは、前任の時枝がいた頃から周知の事実だが、そこまで深い仲とは思われていない。
先輩秘書の言葉に、深い意味はない。
社長秘書として、勤務時間の大半を社長と共に過ごしている潤ならということに過ぎない。
時枝が退職するとき、次の社長秘書は、彼しか有り得ないだろうと秘書課全員が秘かに思っていた。
綺麗過ぎる容姿と独特の雰囲気、それに切れ過ぎる頭を持った黒瀬に、他の秘書は秘書としての存在意義を見失うらしく、潤が時枝の後任に決ったときは、秘書課全員が、ホッと胸をなで下ろした。

「失礼します。お茶をお持ちしました」

潤が、社長室に戻ったとき、既に黒瀬が佐々木と対座していた。

「潤、佐々木がゴリラとイチャついている姿と、クマに襲われている姿と、どっちに興味がある?」
「…パンダ…」

問われていない動物が、潤の口から紡がれる。

「潤は、佐々木とパンダの交尾に興味があるの?」
「そうじゃなくて、佐々木さんの顔」

さっき、潤が見た時とは明らかに違う佐々木の顔。
左右両方の目のまわりが、青く変色していた。

「どうされました? 短時間でその変わりようは?」
「どうって…、」

佐々木が、チラ、チラッと黒瀬を見る。
正直に言っていいものか、どうか――

その男、激情!104

(土曜日上乗せ追加分1)

「元組長は?」
『時枝組長でしたら、自室でリハビリ中です』
「そうか。なら、伝えてくれ。勇一組長は今日帰りが遅くなる。今日は泊まりかもしれないが、俺が一緒だから心配しないように、と」

時枝に、勇一と大喜が駆け落ちしたなど告げる訳にはいかないと、こみ上げて来る嗚咽を押し殺し、伝言を頼んだ。

『かしこまりました。組長と若頭は、仕事がたて込んでいて、今日はお戻りにならないかもということですね。お仕事ですよね?』

刺のある言い方だった。
まさか出勤第一目から夜遊びで時枝を一人にするつもりじゃ、という家政婦頭の疑いがそのまま言葉に出ていた。

「当たり前の事を聞くなっ!」

ブチッと電源を切るなり、携帯を壁に向かって投げつけた。
木村が、それ、俺の携帯ですっ、と慌てて拾いあげたが、見事に液晶画面が割れていた。

「若頭、壊れてますよぅ」
「知るかっ。出掛けてくるっ!」

赤鬼の顔は、大洪水だった。
バンと窓が揺れるぐらい激しくドアが閉まり、佐々木が消えた。

「…携帯…、ぁああ、俺、何か、罰が当たることしたか? ……結構真面目に、ヤクザやってると思うけど……」

それから一時間程、壊れた携帯を胸に抱き締め、木村は独り言をブツブツと呟いていた。

 

潤の携帯が鳴ったのは、クロセの社長室で黒瀬との甘い休憩時間を過ごしている時だった。

「佐々木さんからだ。…あん、ダメだって、出ないと」
「私より、佐々木を優先する気?」
「…そうじゃないけど、…急用かもしれないし…んもう、…あ、…ばかっ、――もっとぅ、」

潤の意識と手から携帯が離れた。

「ふふ、次は、どこ?」
「ピアス、…ピアス、」

下半身の敏感な所に、装着されたオパールのピアスを黒瀬が歯で捉えると、軽く引っ張った。

「ん、…くっ、」

嬌声を噛み殺し、潤がビリッとした快感に耐えていたその時、

「失礼しますっ」

慌てた様子の男が、社長室に飛び込んで来た。
佐々木だ。

「…佐々木、さん。黒瀬、…佐々木さん」

社長の椅子に腰掛け身悶えている潤と、跪(ひざまず)き、潤への奉仕活動中の黒瀬。
黒瀬が横目で佐々木を捉えたが、潤への行為を中断しようとはしなかった。

「…ぁあん、――何事…、ですか」

佐々木が荒い鼻息をたて、二人の側に近付いて行く。
普段ならこの状況下、赤面し目を背けるはずの男が二人の行為などお構いなしといった感じだ。
二人の邪魔をした段階で、黒瀬からこの後どんな仕打ちが待ち受けているのか、予測できるだろうにその余裕もないようだ。

「消えましたっ!」

机に両手を叩きつけて、佐々木が唾を飛ばした。

「…潤、挿れてもいい?」

黒瀬の指が、潤の蕾を解しに掛っていた。

「ボンッ! アッシの話をちゃんと聞いて下さいっ!」

隣の秘書課にも届いたであろうというぐらいの怒鳴り声。
佐々木の顔が羞恥とも泣き顔とも違う理由で赤くなっていた。

「…いぃ、…そこ、…好きっ、――黒瀬、佐々木さんが……、」
「潤、返事がまだだよ。私のモノを、この中で愛してくれる?」
「ボン、それどころじゃ、ないんですっ!」

佐々木が潤と黒瀬の側に回り込み、命知らずにも、黒瀬の肩を揺さぶった。
さすがに無視できないと思ったのか、潤の中を解していた指を抜くと、その手で佐々木の股間を下から殴った。

「くっ、」

佐々木が股間を押さえ、前屈みになる。
赤から青に変わった顔に脂汗を浮かべ、必死で何かを話そうとしていたが、息にしかならなかった。