その男、激情!108

「お猿は佐々木に会いたくなくて、家を抜け出した。そこで、偶然、外に出ていた兄さんと会う。兄さんにしてみれば用事があったわけだから、当然お猿に話があるから一緒に来いと持ちかける。そこで、お猿は桐生の事務所なら佐々木と会うかも知れないので、行かないと言う。じゃあ、佐々木の割り込んで来ない場所で、という話になり…。ふふ、その場所が、何処かは知らないけど、二人っきりになれるような場所じゃない?」

意味ありげに黒瀬が佐々木を見た。

「ホテルとかね」

そして、続けた。

「ホテル――ッ!」

予想を裏切らない佐々木の悲鳴。

「ダイダイっ、ダイダ―――イッ!」
「佐々木さん、声が大きすぎますよ。ここは会社ですよ。お静かにお願いします」

天井を仰ぎ見ながら叫ぶ佐々木を潤が窘めた。

「たとえば、と社長は仰有ったんですよ。聞いてました? 現実そうとは限りません。だいたい、橋爪じゃあるまいし、元に戻った組長さんがダイダイとどうこうなんて、―――あ、」

潤が、何かを思い付いた。

「…いや、…そんな、ことは…」
「ふふ、潤は優秀だからね」
「黒瀬も? 失礼しました。社長も同じことを?」
「ふふ、そこの単細胞ゴリラとは違うからね。話を聞いた時、最初に思い付いたのはソレ」
「…でも、そうなると…」

潤の表情が暗くなる。

「……嫌だっ。ゾンビかよっ、あいつ」

秘書の仮面が潤から外れていた。

「そうかもね」
「時枝さんが…可哀想じゃないかッ…。もしそうなら…」

潤が、ギュッと膝の上で自分の手を握った。
その拳を黒瀬が優しく自分の手で包み込む。

「潤は優しいね」

黒瀬が、おいでと潤を自分の胸に抱き寄せた。

「――あのう、」

話についていってない佐々木が、申し訳なさそうに声を掛けた。

「…一体、…お二人は、何のお話を?」
「決ってるだろっ、橋爪の話っ!」

潤が黒瀬の胸の中から、怒鳴りつけるように激しく言い捨てた。

「橋爪? …って、あの、橋爪ですか?」
「そうだよ、時枝さんを銃撃した、あの橋爪っ!」

って、ことは…、と佐々木が一、二秒、頭の中をフル回転させ、『橋爪』が意味する内容を導き出した。
くどいようだが、この男も決してバカではない。
大喜と恋愛話が絡むと、少々『おバカ』になるだけで、時枝が桐生の組長としてやってこれたのは、この男の支えがあったからだ。

「ダイダイが、橋爪と一緒だと言うんですかっ!」

佐々木が、興奮の余り、ソファから立上がる。

「落ち着け、ゴリラ」

潤には優しい黒瀬だが、それは潤だからであって、佐々木にはもちろん冷たい。

「座れ。立たれると、目障り」
「落ち着いている場合じゃないでしょっ。死んだはずじゃないんですか。ヤツは消えたはずじゃっ!」
「消えるも何も、元々、橋爪も兄さんじゃない。兄さんは二重人格とは違うよ。記憶喪失の男が自分を殺し屋だと思っていただけの話」
「…そうなの?」

黒瀬の胸の中から、潤が聞く。

「一人の人間の中に、二つの人格があるのが、二重人格だよ、潤。兄さんは、そうじゃなかったじゃない。橋爪の時も私の目からみたら常に桐生勇一だったよ。だから、病室で私を押し退けて時枝に跨がったんだよ。別人格なら、時枝に興味なんて、持つはずないからね。時枝だよ?」
「でも、ボンッ! 橋爪は橋爪ですっ。橋爪だったら、ダイダイに何が起こるか分かりませんっ! それに時枝さんに、なんて言うんですかっ。あんなに戻って来たと喜んでいるのにっ」
「東京湾の底で、しばらく頭を冷やしてくれば、佐々木」

興奮した佐々木の言葉の中に自分の嫌いな呼称が含まれていたことを、黒瀬は聞き逃さなかった。

「あっ、」

佐々木が口を押さえた。
黒瀬の氷のように冷たい視線が佐々木を射るので、佐々木の興奮は一気に収まり、腰をソファに降ろした。