その男、激情!13

「やはりね」
「比喩はともかく、もっと具体的に訊かせて下さい」

そして、潤だけが

「金八さんって、あのドラマの? 幽霊?」

と、訳がわからない様子だ。

「具体的って…言われましても…、アッシが耳にしたのは、それだけですので…」

返答に困り、佐々木が黒瀬を見た。
時枝に聞かせたくない内容があるからだ。
勘のいい黒瀬がそれに気付く。

「つまり、変な輩が出没しているってことだろ。何かが起こる前触れじゃない?」
「黒瀬、縁起でもないこと言うなよ」

潤が、顔をしかめた。
勇一がいないことを除けば、ここしばらくは平穏な日々が続いていた。

「幽霊話が出るところからみて、誰かの怨念かもしれないよ」
「誰かさんじゃあるまいし、そうそう怨まれる覚えはありません」
「ヤクザのトップが何を言っているのやら。桐生の組長と言うだけで、黙って座っていても怨まれる対象じゃない。やはり、時枝、おバカになってきてない? ユウイチおいで」

時枝が、ムッとしているのを無視して、黒瀬が餌を食べ終わったばかりのユウイチを呼ぶ。

「お利口なユウイチの鼻はちゃんと働いているよね。血の匂いを身に纏った誰かが、時枝に近づいて来たら、ちゃんと教えてあげるんだよ? それが人間じゃなくても。いい?」

黒瀬がユウイチを抱き上げ、ユウイチの鼻先を自分の鼻に付け、諭すように語った。
黒瀬との距離の近さに、ユウイチはかなり緊張していた。
決して自分が上位になり得ない相手だと、ユウイチは黒瀬を認識している。

「返事は?」
「……ワンッ」

思い出したように、ユウイチが返事をした。

「ところで、佐々木、お猿は猿山?」

ユウイチの返事で、黒瀬の中で不審者の話は終わったらしい。

「ダイダイですか? 家の方でパソコンを弄っていると思いますが」
「そう、ちょっと猿と遊んで来るか。迎えに来てもらった礼を言うの忘れていたし」
「礼? ボンッ、ダイダイが、何か粗相を!?」
「ボン? 粗相は、佐々木じゃない? この組の者に、学習能力を期待する方がバカなのか? 佐々木を教育するより、猿を人間に進化させる方が早い気がする」
「ボ、…武史さま…そんなぁ。ダイダイは十分人間ですので…」
「まあいい。猿と遊んで来る。潤も来る?」

潤には黒瀬が別の意図で、この場を離れようとしていることが分った。
そうでなければ、最初から潤も同行することが前提のはずだ。
『潤も』と、言われた段階で、同席をして欲しくないのだと理解した。

「ユウイチと時枝さんと遊んでいるからいい。時枝さんと久しぶりにゆっくり話したいし」
「時枝、潤に私の悪口を吹き込むなよ」
「悪口? 吹き込むなら、それは全て事実です」

黒瀬がユウイチを潤に手渡すと、立ち上がり歩き出した。

「佐々木、行くよ」

当然のように黒瀬が佐々木を同行させる。
やはりね、と潤は思った。
時枝のいないところで、佐々木と話をしたいのだ。 
大喜は口実に過ぎない。
時枝もそれには気付いているだろうが、素知らぬ顔をしている。
潤はユウイチとじゃれながら、仕事の相談を時枝にしたり惚気話をしながら、黒瀬が戻ってくるのを待った。

その男、激情!12

「お待たせしました」

佐々木がユウイチの餌を持って戻ってきた。

「ゆっくり食べておいで」

佐々木が座卓の横に餌皿を置くと、時枝がユウイチを腕から解放した。
余程お腹が空いていたのだろう、物凄い勢いで餌にユウイチが飛び付いた。

「佐々木さんも、どうぞ。お疲れでしょう」

潤が佐々木にもお茶を煎れた。

「潤さま、駄目ですよ。茶ぐらい自分で…、」
「本当だよ、佐々木。私の潤にお茶を煎れさせるなんて、百年早いよ」

と、黒瀬が佐々木を冷ややかに睨む。

「細かいことはいいじゃない。もう煎れたんだし、どうぞ」

潤が黒瀬に笑顔を見せる。
すると、黒瀬の目が穏やかになる。
それから萎縮してしまった佐々木に茶を出すところは、さすが潤だ。
黒瀬の扱いには慣れている。

「潤の心の広さには、感服するよ。猿からゴリラ、眼鏡を掛けた神経質な山羊にまで愛情深く接することが出来る。さすが、私の潤だ」
「社長、その眼鏡を掛けた山羊って、まさか、」
「時枝に決ってるだろ」

自分をゴリラと評された佐々木が、溜まらず口に含んだお茶を噴きだした。
潤もケラケラと笑い出す。

「私は草食獣ですか? まあ、いいでしょう。こういう職業で、そういう風に見えることは逆に褒め言葉ですから」

時枝なりの嫌味を飛ばし、時枝もまたお茶を啜った。

「そういえば、その草食獣の周辺で肉食獣の匂いがするけど。佐々木、ここ最近、何か変わった事は?」
「どうして、佐々木に訊くんですか? 私に尋ねればいいでしょ」
「時枝に訊いても意味が無い。亡霊の三回忌の為に、取り憑かれたように本宅へ籠っていた男に訊いてもしょうがない。違う?」
「違いませんが、取り憑かれていた訳ではありません。業者と寺との打ち合わせを事務所でなくこちらでしていたものですから、結果外に出られなかっただけです」
「別にその辺はどうでもいいことだけど。籠っていたことは事実じゃない。気のせいか、組長になってから、どうも時枝がおバカになっていく気がする。潤を苛めていた頃が懐かしいね」

ギッと眼鏡越しに時枝が黒瀬を睨む。

「苛めてはいません。教育的指導です」
「物は言いよう、だね。だけど時枝、今、話題にしたいのは、別の事なんだけど。時枝、やはりおバカになっているんじゃない?」

時枝の歯軋りが聞こえてきそうだった。

「佐々木、変わった事が? 私は聞いていませんが?」

先程浦安から訊いた台湾の事がある。
それに黒瀬の鼻は確かだ。
黒瀬に引っ掛かる事があるなら、何かが動いている証拠だ。

「…いえ、特には。…変わった事は…、ん? アレか?――いや、あれは…、変ったと言えば、変っているような…だが…」
「何を一人でブツブツ言ってるんですか。判断はこちらでしますから、些細な事でも報告して下さい」
「時枝の言うとおりだ。ゴリラの脳味噌に判断は期待してないから。何かあったんじゃない?」
「…不気味な金八さんが…とか、幽霊が…とか、変な噂が…チラホラ」

きっと笑われると佐々木は思った。
二人が訊きたいのはこんな噂話じゃないはずだと。 
だから『変』ではあるが、言いたくなかった。
しかし、佐々木の予想に反して、意外にも二人は真剣な顔で食いついてきた。

その男、激情!11

「お待たせしました」

三人と一匹が、黒瀬の待つ座敷へ着いた。
法事が行なわれた仏間とは、別の部屋だ。
先代組長桐生勇一の寝室になっていた部屋に隣接している、身内が集う部屋である。

「遅かったね。浦安に誑かされて、ホテルでも行ってるのかと思ったよ」
「行くはずないでしょ。私だって好みというものがありますから」
「ふ~~ん、好みね~」

黒瀬が意味深な視線を時枝に送る。

「潤、悪戯されなかった?」
「大丈夫。時枝さんには俺よりユウイチじゃない?」
「相変わらず、ユウイチとは仲いいんだ、時枝」
「ええ、もちろん。どっかのアホみたいに、いなくなったりはしませんし、可愛いですよ」

時枝が潤の腕からユウイチを取り戻す。
黒瀬、潤、佐々木の前で、時枝がユウイチの口に自分の唇をチュッと重ねた。

「佐々木、悪いがユウイチの餌をここに」

はい、と佐々木が部屋を出て行き、時枝が組長に就任してから用意した黒檀の座卓を、三人で囲む。
ユウイチを抱えた時枝が、黒瀬の前に座し、気を利かせた潤が茶の用意をする。
組の者がいないからなのか、上座には当然のように黒瀬が座っている。
黒瀬の秘書としての年月が長いので、時枝にも黒瀬にも、それは自然な事だった。
尤も、組長として時枝が場に居るときは、兄の勇一が組長だった頃のように黒瀬が下座に回る。

「美味しい。煎れるのが上手くなりましたね。秘書として、満点でしょう」

時枝が潤の煎れたお茶を一口飲むと、潤を褒めた。

「ありがとうございます」

元上司兼教育係に褒められ、潤は嬉しかった。
一緒に働いているときは、叱られる回数の方が多かったから、余計だろう。

「本当に美味しいよ、潤。もう三回忌とはね~。ふふ、1年遅れだけどめね。兄さんも草葉の陰で泣いてたりして」
「何で泣くの?」
「そりゃ、時枝が見境なく遊んでいるからじゃない?」

黒瀬が、意味ありげに時枝を見る。

「時枝さん、そうなんだ。ちょっとショック」

時枝にとって、先代組長の勇一が一番であって欲しいと潤は思っている。

「何ですか、社長。アレが草葉の陰にいるかどうかも分からないのに。尤も草葉の陰にいてもいなくても、あのアホも散々やっていると思いますよ」
「ふふ、時枝、まだ兄さんの生存を期待しているんだ。健気だね」

ズズズと、黒瀬が茶を啜る。

「意地悪だな、黒瀬は。俺だって組長さん、あ、元組長さん、どこかで生きてると思っているのに」
「三回忌法要を終えた男の生存を信じている二人に、感動を覚えるよ」
「信じてはいませんよ。その可能性もゼロじゃないと思っているだけです。あの世ならあの世で化けてでも出てくる気概があるかと思えば…、全くあのアホは。私のことで泣いてくれているようなら、まだ可愛げもありますけど。ユウイチ、心配するな。同じ名前でもお前は可愛いぞ」

時枝の腕の中から、ク~ンと主を見上げるユウイチの頭を時枝が撫でる。
ユウイチが誰よりも時枝の心の機微を感じ取らしい。
時枝の強がりの中に紛れる本音と、主を想うユウイチの姿に、潤の涙腺が緩む。
誰よりも黒瀬を溺愛している潤には、時枝がどれほど勇一を愛していたか分かる。
打ち拉がれた時枝が、出口の見えない底なし沼で苦しんでいた三年前を見ているだけに、時枝の強がりが胸に刺さる。
が、涙は流さない。
今更時枝に同情するのは、失礼だろう。

その男、激情!10

「組長、潤さま、ボンがお待ちです」

桐生組若頭の佐々木が姿を見せる。
呼びにやったはずの潤が戻ってこないので、黒瀬が痺れを切らしたらしい。

「ボンって、黒瀬の事? 佐々木さん勇気ある~。明日は東京湾の底?」

潤がふざけ半分に、佐々木に言う。
黒瀬はボンと呼ばれるのを嫌っている。
普段は気を付けているので黒瀬を『武史さま』と呼ぶが、気が緩んだ時や目の前に黒瀬がいない時などは、ついつい『ボン』と呼んでしまうのだ。

「潤さま…勘弁して下さい。まだまだ、アッシが死ぬわけには…組と組長、ダイダイを残して先には逝けませんっ!」

からかわれただけなのに、佐々木は必死だった。
四十半ばを過ぎた、顔に傷持つ強面(こわもて)の男が、しどろもどろになる姿は滑稽だ。
まあ、無理もない。
『殺す』が口癖の黒瀬。
彼は自分の手を汚さず気に入らない人間を抹殺することなど、朝飯前の男だ。
佐々木が黒瀬から「殺す」と言われることは、決して珍しい事ではないが、どこまでが黒瀬の許容範囲か佐々木には分からない。
そろそろ今までの失言の積み重ねで、危ないと思っている。
四十半ば、まだまだ男の働き盛り。
守るべきモノも、大事なモノも一つじゃない。
佐々木にとって、大喜もその一つだった。
佐々木と、黒瀬と潤を迎えに行った大喜は、桐生本宅敷地内にある佐々木の家で、同居ではなく同棲中だ。

「冗談だよ。桐生にとって大事な人間が、いなくなると時枝さんも困るだろうしね」
「いえ、私は別に」
「…そんなぁ、組長ぅ~」
「はは、結構良いコンビなんだね。佐々木さん、いっそダイダイから時枝さんに乗り換えたら?」

これこそ潤の冗談だったが、二人の顔色が変った。

「潤さま、怒りますよ。笑えません」

ムッと、した表情の時枝と

「アッシには、ダイダイだけが…あ、いやっ、もちろん組長は、…えっと、尊敬してますっ! しかし、…ダイダイだけが…その、あ、いえ、組長も、そりゃ、素敵なお方で…」

しどろもどろになりながらの佐々木の反応に、潤がユウイチを抱えたまま大笑いする。
ユウイチも潤が笑いに釣られ、キャンキャンと陽気に鳴く。

「笑ってないで急ぎますよ。社長から私まで沈められそうだ。佐々木、大森をまさか社長の側に残してないだろうな?」
「大丈夫です。家に戻しています。二人っきりにはさせません」
「なら、いい」
「二人とも酷いな。黒瀬がダイダイに何かするはずないだろう?」
「大森を人間とは認識してない所が、社長にはありますので、念の為ですよ」

退屈しのぎに、黒瀬が大喜を裸に剥くことを二人は心配していた。
黒瀬にしてみれば猿山の猿を転がして遊ぶ感覚だが、される方にしてみたら、たまったもんじゃない。
黒瀬のことを言われ、今度は潤が面白くなかったが、確かに過去大喜を二人で裸にした経験がある。
それ以上潤は何も言わなかった。
そう、ここに来るまで、様々な歴史が彼等にはある。

その男、激情!9

「ユウイチ、腹が減ったのか?」

時枝の足元に、一匹のトイプードルが駆け寄った。 
時枝の問いかけに、そうだと言うようにキャンキャン吠える。

「皆、今日は忙しかったからな。お前の皿まで気が回らなかったのだろう。おいで」

時枝が両腕を広げてやると、ユウイチという名のトイプードルが時枝に飛び付いた。
ユウイチは時枝が飼っている犬だ。
秘書の時はマンションで一緒に住んでいたが、組長に就任し、住居を桐生本宅へ移したとき、一緒に連れてきた。
ユウイチを胸に抱くと、時枝が歩き出した。

「よしよし、良い子だ。潤と武史にも会いたいか? 今日は来てるぞ」

ワンと時枝の胸で、ユウイチが吠える。
会いたいという返事だろう。

「いいか、俺が名前を呼び捨てにしたことは、内緒だぞ?」

犬がペラペラ日本語を話すことは有りえないのに、時枝はユウイチに秘密の共有を強いる。
桐生組現組長の時枝には、お茶目な面があるらしい。
ユウイチが、犬のくせに神妙な顔をみせる。

「そうか、分かったか。さすがユウイチだ。賢い。どこかのドアホとは違うな…違う…」

時枝の声が一瞬湿ったように、ユウイチは感じた。 
犬は飼い主の心情に敏感なのだ。
時枝の胸から這い上がり肩に前足を掛けると、時枝の頬を舐めだした。

「大丈夫だ。泣いてない。あのアホの為に流す涙はもう枯れたよ」

ははは、と笑う時枝の頬を、更にユウイチが舐める。 
左右両方の頬を、自分の唾液でベトベトにすると、ク~~~ン、と寂しげにユウイチが鳴いた。
まるで泣けない時枝の代わりに、泣いてやる、とでも言うかのように。

「ユウイチ、お前は優しいな。法事も終わったし、今夜は、ベッドに上がってもいいぞ」
「ワン!」

久しぶりにご主人様と一緒に寝られると、ユウイチが嬉しそうに吠えた。

「組長さ~ん、時枝さ~~~ん、」

浦安の見送りに出たまま戻ってこない時枝を潤が迎えに来た。
手を振りながら時枝の方に歩いてくる。

「ユウイチも一緒だったんだ」
「ええ。お腹空かせているようです」
「時枝さんもじゃない? 会食の時、あまり食べて無かったし。ユウイチ、俺にもおいで」

ユウイチが、時枝と潤を見比べる。

「ユウイチ、私に気遣わなくていいですよ」

時枝のお許しが出ると、ユウイチが潤の方へ身を乗り出した。
それを潤が抱き上げる。

「久しぶり、ユウイチ。良い子にしていたか? …そうか、してたのか」

潤が勇一の頭に頬擦りしてやると、ユウイチも嬉しいのか、心地よさ気に目を細めた。

「さ、急ぎましょ。早く戻らないと社長の機嫌が悪くなりそうだ」
「黒瀬の?」
「信用がないんですよ。私に。まあ、原因は分かっていますけどね。心当たりあるでしょ、潤さまも」
「…それって、アレが原因?」

思い当たる節が潤にもあるらしい。

「はい」
「一体いつの話だよ…俺には一切何も言わないけど」
「言えないんでしょ。心が狭いと思われるのが嫌で。根にもつタイプですから」
「…そうか。黒瀬。ふふ」
「嫌ですよ、その笑い方。社長に似てきましたね~」
「可愛いなと思って。それに、俺、黒瀬が気にしていたことが嬉しい」

折角、久しぶりに会えた潤に抱かれていると言うのに、当の潤は時枝と話しに夢中で、ユウイチは面白くなかった。

「ク~~ゥ」
「ユウイチが、構って欲しいみたいですよ。仕事もバリバリこなす秘書に成長しても、相変わらずのお二人の関係に、感服です」
「ははは、相変わらずの時枝さんの嫌味聞くと、ホッとする」

これは潤の偽りのない気持ちだ。
時枝の中に、昔ながらの『時枝』を見つけると嬉しかった。

その男、激情!8

「一時はどうなるかと思ったが、桐生の結束は益々固くなって、いい組になったな」

桐生組が籍を置く、関東清流会のドン浦安が見送りに出た時枝に挨拶がてらに言う。

「ありがとうございます。桐生の血が私には流れていませんので、桐生のDNAを引き継ぐつもりでやっているだけです。佐々木以下組員がよくやってくれますので」
「他の組から見たら、内部揉めもなく組は大きくなるばかり。羨ましいだろうよ。三年前の事もある。気を付けろ、時枝。桐生を失うのはうちとしても、多いに困る」

そりゃ、困るだろう。
桐生が清流会に納めている上納金は、勇一の時の倍の額になっている。
クロセで社長秘書をしていた時枝だが、実際は陰の副社長、実質ナンバーツーにいた男だ。
時枝の手腕で、桐生は一端の企業並の収益を上げる組に成長していた。

「ご心配ありがとうございます。もし、私に何かありましたら、次はアレが引き継ぐ事になるでしょう。そんな危険な賭に出るヤツは、大バカ者だと思いますが」
「はは、そりゃそうだ。アレに戻られたら、厄介だ。だがな、時枝」
「はい」

二人は玄関の土間を出て、表門までの距離を並んで歩き出した。

「台湾が最近妙な動きをしている。国内の組はアレの恐ろしさを知っているが、海外となるとな。桐生というより、清流会そのものを関東から排除したいのかもしれん。となると、一番に狙われるのは、」
「うちでしょうね。肝に銘じます」

浦安が、足を止め空を見上げる。

「冬晴れのいい天気だな」

時枝もつられ、上を向く。

「やっこサン、天から桐生を眺めているか、どこかで風の噂を聞いているか…」
「組長、それはもう言わない約束です」
「そうだった。スマン。こんな良い男に時枝がなってるっていうのに、幽霊でもなんでもいいから出て来やがれ、っていうんだ。寂しかったら、いつでも相手してやるぞ、時枝」

ふざけているのか、本気なのか。
時ある事に浦安は時枝をからかう。

「そうですね。そのうち、囲碁か将棋でも、お手合わせ願いたい所です」

時枝に上手く躱されたが、悪い気はしないのか、浦安は笑っていた。

「ははは、そう来たか。まあ、いい。時枝、遊べよ。この世界、遊んでなんぼの所がある。男でも女でも好きなだけ侍らせろ」

浦安に限らず、時枝と先代勇一の仲は、知れ渡っていた。
勇一が組長だった頃、桐生内で公表したのが、外にも伝わっていた。
浦安は、時枝が勇一に操を立て、年相応な遊びもしていないと、思っていた。
人を寄せ付けない雰囲気が、浦安にそう思い込ませていた。

「はい。幸せな事に、遊ぶ相手には困っていません。ですが、まだまだ御大(おんたい)の域には達していませんので、見習わせて頂きます」
「時枝は、逃げるのも上手いのぅ」

時枝は真実を言ったまでだが、浦安に時枝の言葉は、ただのその場しのぎにしか聞こえなかった。

「逃げる? まだまだこの世界では、若輩ものですので、逃げる足も持ち合わせていません。ひたすら前に進むだけです」
「そうだったな。桐生の前進を楽しみにしているぞ。だが、台湾には、」
「はい、気を付けます。今日は、本当にありがとうございました」

正門を出たところで、時枝が深く頭を下げる。
清流会の車が走り去るまではと時枝が深々と頭を下げ続けていると、キャンキャンと犬の鳴声が聞こえてきた。

その男、激情!7

翌日、橋爪はクロセの本社ビルの周辺を下見した。
そしてそのまた翌日、ちょうど桐生で法事があると言っていた日に、クロセのビルのエントランスと裏入口の双方が見える斜め向かいのビルの屋上に陣取り、黒瀬が現われるのを待った。
時枝のこともあったので、初日で捕まるとは思わなかったが、引き籠もり男よりはマシだろうとコンビニで買ってきたパンを囓りながら気長に張っていた。
夕方、オフィスビルに似つかわしくないスポーツカーが一台、現われた。
サングラスの上から双眼鏡で確認すると、若い男が車から降り慌てて裏口へと入っていった。

「桐生のものか?」

組員には見えないが、上場企業の社員にも見えない。
何かあるな、とその男が出てくるのを待っていると、画像の男、黒瀬武史が出て来た。
スポーツカーから降りて来た男とは別に若い青年を連れている。
秘書だろう。
ネットの画像同様、生の黒瀬も企業のトップとは思えない水モノの雰囲気を漂わせている。
今から桐生にでも行くのか、車に乗り込もうとしている。

「変ってはいるが…アレが怯える程のものか?」

チンピラどもが怯える理由が分らず、橋爪は双眼鏡越しに、食い入るように黒瀬の姿を見た。
腰を屈め車に乗り込もうとする姿をレンズで追っていると、突然、黒瀬の顔がレンズの中心に飛び込んで来た。

「ナニ、…あいつ」

気付かれたようだ。
普通なら有りえないが、黒瀬の視線はハッキリと橋爪を捉えていた。
射るように冷たい視線を向けられ、思わず橋爪は双眼鏡を降ろした。

「ふん、なるほどな。相当危ないヤツだ、アレ」

今回のターゲットが黒瀬じゃなくて、良かったと思った。
黒瀬が相手となると、命がけの仕事になるのは目に見えている。
堅物のサラリーマンにしか見えないどっかの組長さんとは偉い違いだと、橋爪は帰り支度をしながら笑っていた。

 

***

 

「もう、三年か。あっという間だったね」
「何で潤が泣いてるの? そんな兄さんが好きだったんだ」
「バカ、何言ってるんだよ。時枝さんの事考えると切なくなってきたんだよ」
「時枝を殺したくなってきた。潤を泣かせていいのは私だけのはずなのに」

読経の流れる中、ヒソヒソと黒瀬と潤がやり取りしていると、シッ、と眼鏡を掛けた神経質そうな男に注意された。
時枝勝貴、桐生組現組長だ。
桐生組の先代で黒瀬武史の三つ違いの腹違いの兄、桐生勇一が銃撃され海に消えてから三年。
当初、組内外に、勇一の銃撃は知らされていなかったが、そうそう隠し通せるものでもない。
狙撃されたことは伏せ、療養中の自殺として処理されていた。
身元不明の死体を手配し、発見が遅れたからと先に荼毘(だび)にふしてからの葬儀告別式。
式を取り仕切ったのが、現組長の時枝勝貴だ。
跡目相続の争いが起こらなかったのは、若頭の佐々木を筆頭に、血縁関係にある黒瀬、構成員一同が時枝の組長就任を望んだからだ。
もともと時枝と先代の勇一は同級生だ。
親友として、お互いが地を見せくつろげる唯一の相手だった。
勇一が桐生を継ぎ、時枝が黒瀬の秘書として激務に励んでいる間も、親友としての付き合いは変らなかった。
長い間親友同士として、付合ってきた二人の関係が別のものに変ったのは二人が三十を過ぎての事だ。 
勇一の悪戯心で始まった関係ではあったが、気が付けば、二人は相手の為に自分を犠牲に出来るほど深い仲になっていた。
そう、勇一が狙撃されたのは、狙われた時枝を庇ってのことだった。
冬の日本海。
時枝を襲った悲惨で屈辱的な出来事を乗り越えての結婚式。
これから桐生を二人で盛り上げて行こうとしていた矢先の出来事。
上がって来ない勇一の遺体が、時枝に期待を持たせ、また、辛い日々を送らせていた。
諦めた訳ではない。
死んだとは思いたくない。
ただ、自分が現実を受け入れなければ、勇一が大事にしていた桐生が潰れてしまう。
勇一の為だけに、自分の感情と辛い涙を押し殺し、時枝自らの手で、勇一の生存を否定する葬儀まで取り仕切った…それが三年前だ。

その男、激情!6

「コーヒー、お代わり」

再度、店員に注文し、橋爪は煙草を咥えた。
納得いかないのか、人相の悪い連中がガヤガヤと煩い。
すると、代表格がまた声を張りあげた。

「お前ら、しっかりしろ。今の組長は時枝組長だろっ! 先代はもうあの世なんだ。明後日の三回忌の準備で、組長がお忙しい時に、幽霊見たみたいな顔をするなっ! 勇一組長は、こんなヘンなヤツじゃなかったっ!」

ヘン、とまで言われ、無視を決め込んでいた橋爪が煙草を灰皿に置くと、声の主を睨み付けた。
言葉で抗議はしなかったが、人を殺める事で身に付いた冷たいオーラは、サングラス越しでも十分相手を威圧したらしい。

「あ、――…すみません。お騒がせして」

橋爪の方を見て、頭を下げた。
自分が発した失礼な言葉には気付いてないのか、そのことに対する謝罪はなかった。

『木村さん、なんかあいつ、ヤバいですよっ』

声の主は木村という名前らしい。

『俺も、ビビッたぁ。元組長代理ぐらい、なんかヤバイ』

横にいる者と、ヒソヒソ話し始めた。

『黒瀬のボンと同じぐらいおっかないよな』
『…やはり、時枝組長で良かったよ』

黒瀬?
聞いたことがある名だ。
橋爪が手帳を取りだし確認した。
黒瀬武史。
株式会社クロセの取締役社長。
李が消したいと考えている、もう一人の日本人だ。 
写真はないが、名前だけは聞いている。
チンピラ連中の話で、黒瀬という男に興味を持った。
人を殺してきた自分と同等の雰囲気を持っているらしい。
ターゲットの時枝以上に、影響力があるようだ。
本来ダーゲットの情報は必要最小限と決めている。 
黒瀬は今回のターゲットではないので、周囲を嗅ぎ回っても問題ない。
ターゲットの時枝が法事やら何やらで表に出てこないなら、ちょっくら黒瀬の顔でも拝んでやろう。
橋爪は、黒瀬武史の確認に行くことにした。
喫茶店を出てホテルに戻ると、フロント横にあるコインPCで『黒瀬武史』を検索した。
株式会社クロセの若き取締役として、簡単にヒットした。
自社のHPには、社長挨拶として、黒瀬のコメントと写真が掲載されていた。
画像の黒瀬は、企業のトップというよりはホストかモデルのような印象だ。 
ロックバンドの人間かと、突っ込みを入れたくなるウエーブがかった長髪に、着ているスーツは普通社長は着ないだろうと思われる白だ。
何かの式典らしく、壇上に立って話をしている姿だ。 
端には今回のターゲットの時枝勝貴の姿も映っていた。
時枝は、元々クロセの社員か?
いや待てよ、桐生の組のやつらが黒瀬の名を口にしたってことは、黒瀬が元々桐生の関係者だってことか?
社歴に目を通す。
当たり前だが、桐生の名はない。
それどころか、やけにクリーンなイメージだ。
起業当初の小さな会社が、徐々に成長し、資本金が年々増加しているが、そこに怪しげな数字は出てこない。
取引銀行も、大手ばかりだ。
公表されている財務情報も株式情報もいたってまとも。
全てがまともで、順調すぎる。
しかし、このまともさが、逆にクロセがまともじゃないことを物語っている。
景気に左右されず、年々順調に成長を遂げる企業なんて、まずありえない。
どんな優良企業でも、決算の数字が赤字に転じることはあるし、赤字にならないにしても前年比を下回ることはある。
それがクロセにはない。
どちらにしても、黒瀬が裏社会と深く繋がっていることは間違いない。

その男、激情!5

***

ヤクザの組長。
狙うなら外に出ている時だ。
自宅や事務所に乗り込むようなバカなマネはしない。
呼び出すのも有りだが、組長を張るような男が、無防備に素直に出てくるとも思えない。
弱みになる何かを掴んでいれば別だが、元々情報がない。
ターゲットの外出時に、ビルの上階や屋上から狙撃するのが手っ取り早い。
護衛がいたとしても、頭上から弾が飛んでくれば防ぎようがない。
飛来する弾を避けるなんてこと、映画の中でもなければそうそう出来る芸当じゃない。
簡単に考えていた。
一週間もあれば確実に仕事終了。
サッサと台湾へ戻る予定だった。
早く戻りたかった。
違う、早く日本を離れたかった。
成田に降り立った時から、理屈じゃなく嫌な感じが橋爪を覆っていた。
日本の空気を吸ってからどうも調子が違う。
仕事前だからといってナーバスになるような橋爪ではない。
だが、今回はどうも落ち着かない。
その証拠に、塒に選んだビジネスホテルでは、一日目の夜から変な夢に魘された。
いつもは人を狙撃する側の橋爪が、狙撃されるのだ。 
場所は岸壁。
狙撃され冷たい海の底へ沈んで行く。
リアルな激痛と海水へ飲み込まれていく苦しさで、ハッと目が覚める。
すると夢の中の痛み同様、身体に残る銃創(じゅうそう)が疼いた。
今までも古傷が痛む事は何度もあったが、夢と直結した形で痛む事はなかった。
夢なのか、現実に起こった事なのか。
現実だったら、何だって言うんだ? と眠れぬ夜が続き、比例して仕事の方も思い通りに運ばなかった。

「ちっ、ヤツは引き籠もりか?」

ターゲットを張って一週間。
一向に姿を見せない『時枝勝貴』に、橋爪は苛ついていた。
桐生組の事務所ビル向かいの建物から、双眼鏡片手にターゲットが姿を現わすのを待っていた。
しかし、それらしき男は現われなかった。
今日も収穫無しかと、桐生組の事務所の明かりが消えてから、建物一階にある喫茶店で橋爪は一服していた。
桐生の組員も利用するらしい。
チンピラ風情の男が、喫茶店には多かった。
何かしら情報が得られるかもしれないと、橋爪は耳を澄ませていた。

「コーヒー、お代わり」

何故か懐かしい味だった。
日本に来て、橋爪が初めて美味しいと感じたコーヒーだった。
二杯続けて飲むことは珍しいが、一杯では物足りず、二杯目を注文した。
店員が返事をする前に、店内の客が一斉に橋爪を見た。

「…組長っ、」
「のはず、ないだろっ、ボケ」

何事だ、と橋爪も身を構えた。

「よく見てみろ。組長が、あんな髪型のはずがないだろ。中途半端に伸して、金八先生じゃないかよ。それに組長がサングラスなんかしてるはずない。もっと堂々とした立派なお方だ」

人違いらしい。
だが、組長と言われた事が気になるし、自分に対する形容が酷い事が癪に障る。
本人に聞こえるよう話すところからして、桐生の構成員はアホばかりか、と相手する気にもなれない。 
面倒なので、聞こえないふりをした。

その男、激情!4

「俺も時枝さん、ちゃんとしていると思う。黒瀬は時枝さんに厳しすぎるよ」

社長を黒瀬と潤が呼び捨てにするのは、もう社長と秘書としての時間は終わったからだ。
株式会社クロセ、取締役社長、黒瀬武史(くろせたけし)。
潤と姓が同じなのは、戸籍上、潤が黒瀬の養子になっているからである。
実はこの二人、養子といっても、親子としてではなく夫婦として暮していた。

「そう? 組長としては、まだまだ甘いと思うけど。冷酷さに欠ける」
「黒瀬さん基準にしたら、誰もそうだよ」
「ダイダイ、黒瀬は優しい男だ。失礼なこと言うな」
「失礼? 事実の間違いだろ」

そんなわけあるか、と潤が大喜を睨んだ。

「潤、動物相手にムキになる必要はない。お猿に何を言われても、私は平気だから。潤さえ理解してくれれば、それでいい」
「…黒瀬」

潤の目に、ハートマークが浮かぶのを感じ取った大喜が、

「ストーップ!」

二人の間に割り込んだ。

「イチャイチャは、後回しにしてくれよ」
「何もしてないだろっ」

潤が、ふて腐れたように言う。

「猿のくせに、一々癪に障るヤツだ」

黒瀬も苦々しく言う。

「するつもりだったくせに。ほら、一階に着いた。早く行こうぜ」

エレベーターが止まり、ドアが開く。

「車、こっちだから」

足早に歩く大喜の後ろを黒瀬と潤がついていく。
国産のスポーツカーがクロセの本社ビル裏の道路に寄せられていた。
大喜の車だ。

「早く乗ってくれよ」

潤が、後部座席のドアを黒瀬の為に開けているが、黒瀬が乗り込もうとしない。
早く発車したい大喜が、運転席から黒瀬を促す。

「棺桶みたいな狭さだ。こんな狭い所に私を押し込める気?」
「しょうがないだろ。スポーツカーなんだから。早く出ないと、時間もヤバイし、お巡りもヤバイって」
「黒瀬、狭い方が、密着できるぞ?」

黒瀬の扱いは、大喜より潤だ。

「ふふ、そうだね。なら、我慢しよう」

乗る気になった黒瀬が腰を屈め、乗り込もうとし、急に止まった。

「黒瀬?」

黒瀬が首だけ回し、視線を後方のビルの屋上へ向けた。

「…何でもない。行こうか」

一瞬、黒瀬の顔が嶮しくなるのを潤は見逃さなかった。
二人が後部座席に乗り込むと、大喜の運転するスポーツカーは目的地に向って発車した。
(続けると切りが悪くなるので、今の回は短めです)