その男、激情!33

「おいガキ、お前、早死にしたいのか? それともオツムが弱いのか? これが何だか分かるだろ」

橋爪が銃口を青年の額に向けた。

「久しぶりに出て来て、まだ人をガキ扱いよっ、あんた今組長じゃないんだから、無礼も何もないよな」

その銃口を邪魔だと青年は手で払い、身を橋爪の方に自分から乗り出すと、橋爪の掛けていたサングラスを瞬時に外した。

「ヤバイよっ、あんたっ、腹いて~~~~っ、」

橋爪の顔を見るなり、ぎゃははは、と馬鹿笑いを始めた青年に、橋爪は言葉を失った。

「なに、その髪型とその顔のミスマッチッ! あ~~、あんたに長髪は似合わね~ッて。あ~よかったっ、あんたが、今オッサンの上司じゃなくて。思いっきり笑っても、叱られないっ!」

オッサンが誰の事を指すのか、橋爪には見当も付かない。
だが、自分がこの若造に非常にバカにされていることだけはわかった。
仕事以外の殺しは趣味じゃないが、この時ばかりは、目の前の大笑いの青年に殺意が芽生えた。

「…黙れ」

橋爪が唸る。
馬鹿笑いで忙しい青年の耳には届かなかったらしい。 
涙を零して笑っている。

「黙れ、ガキ」

銃の柄で、青年の首の付け根を激しく打ち付けた。

「な、…に、」

大笑いの最中に、突然の衝撃を受け、青年は意識を失った。
途端車内が静寂になる。
橋爪は一旦車から出ると運転席に回り、青年を蹴飛ばし助手席へ移すと、自分がハンドルを握った。

「ガキは静かに寝てろっ」

青年を乗せたまま、橋爪は車を出した。

「は?」

走行を始めた橋爪が、スポーツカーの狭い後部座席を陣取る物体に気付き、思わず声を出した。

「着ぐるみか? 中に入っているならサッサと姿を現わせ」

と言いながらハンドルから片手を離すと、バックミラー越しに焦点を定め、銃を放った。
鈍い音がして、物体の中心から煙が上がる。

「ふん、ただの縫いぐるみか。桐生っていうのはアホの集団なのか?」

時枝を撃った時も、時枝を含めた三人が奇妙な被り物をしていた。
そして、自分を馬鹿にしたように大笑いした青年の車には、大型の熊の縫いぐるみ。
どう考えても普通じゃなかった。
李からの仕事の依頼を考えると、桐生は名の通った組のはずだ。
しかし、台湾で身を寄せていた裏の世界とは違いすぎる。
後部座席を陣取っている熊の縫いぐるみから、焦げ臭い匂いが漂ってきた。
鼻腔を擽る匂いが、橋爪に自分の仕事を思い出させた。 
最初から嫌な予感がした日本到着だったが、想定外の事ばかりだ。
今に李から催促の連絡が入るだろう。
入れば終わりだ。
失敗は自分の死を意味する。
そういう世界だ。
李は、何か知っているのか?
橋爪は、ふとそんな気がした。

「まあ、いい。仕事は仕事でやり遂げるさ。この生意気なガキ使ってな」

自分から出向くより、相手を誘き寄せた方が早い。
どこまでこのガキが桐生に関わっているかにもよるが、黒瀬を出迎えに行ったことと、自分をを知っているような生意気な口のきき方からして、橋爪は使えると踏んだ。

「…いてぇ…」
「やっとお目覚めか?」
「…さむっ」
「そりゃ、その格好だからな」
「…格好? ――うわっ!」

痛む首を押さえながら、青年が自分の姿を確認した。

「どういうことだっ! 俺をまさかっ」

下半身、剥き出しだった。
下だけ何も身に着けていない。
下着、靴下、靴、全部脱がされていた。
そして、片手にだけ鉄の輪が嵌められており、そこから伸びた鎖の先を橋爪が手にしていた。

その男、激情!32

***

 

気が付くと、橋爪の瞼は血糊で蓋をされた状態だった。 
意識はあるのに、目が開かない。
最初は目脂(めやに)かと思ったが、違った。
微かに鼻腔を擽る血の匂いに、額を切ったことを思い出す。
そして、消し去りたい昨日の一連の出来事も。
指を唾液で濡らし、ゆっくり上下の瞼のとじ目を擦る。 
一度ぐらいでは取れそうにない。
何度も指を口に含み、濡らしては目を擦る。
目が開くより先に、口の中に指に付着した血の味が広がる。
自分の血など、不味くて仕方ない。
だが、違う血の味も知っている。
今までに殺してきた相手ではない。
死体の血を啜るようなおぞましい変態チックな趣味はない。
しかし自分の血ではない、鉄臭い味を確実に知っている。

いつ、どこでだ?

橋爪は自問した。
しかし、橋爪は深くは考えたくなかった。
その先にあるものが、昨日の不快な出来事に繋がりそうだったからだ。

「…馬鹿馬鹿しい…」

全てをそちらに繋げる気かと、橋爪は自嘲した。
やっと、上下の瞼が離れた。
ビジネスホテルの狭いバスルームに行くと、洗面台の鏡が無残な姿を晒していた。
従業員にバレる前に退散した方が良さそうだ。
落ちてきそうな鏡の欠片に注意しながら、棺桶以上に狭いバスタブの中で、シャワーを浴びる。
髪に付いた血を流し身体を洗うと、髪も乾かさず荷物を纏めた。
そして、急いでチェックアウト。
橋爪は荷物をコインロッカーに預けると、新たな銃を調達し、時枝のいる病院へと向った。

「あの若いのは…確か…」

橋爪が病院前の木陰から様子を伺っていると、見覚えのある若造が駐車場から正面玄関に向って歩いて来た。 
スポーツカーで黒瀬達を運んで行った青年だと思い出す。

「…つまり、桐生関係者か? 組員には見えない、隙だらけだ」

こりゃいい、と橋爪が青年の背後に回り込む。

「なっ、」

肩に手を掛け、銃口を突き付けた。
驚き振り向こうとした青年に、

「前を向いてろ」

と、命じた。

「背中に何が当てられているかわかるよな、坊主」
「…嘘だっ、」

銃口に驚き出た言葉だと橋爪は思った。
だが、違った。

「…その声、あんた、生きてたのかっ、…嘘だッ!」

銃口より、橋爪の声の方が青年を驚愕させたらしい。

「ふん、どいつもこいつも、頭おかしいヤツばかりか? 騒ぐな。一緒に来い」

橋爪は銃口を青年の脇腹に移動させ、彼の腕を掴むと歩き始めた。

「お前車だろ。一緒にドライブでもしようじゃないか」

青年を自分の車まで歩かせる。
勿論その間、銃口は青年の脇腹を向いていた。

「スポーツカーとは良いご身分だな。乗れ」

助手席側から青年を押し込み運転席に移動させ、橋爪も助手席に乗り込んだ。

「逃げようとはしなかったな。褒めてやろう」
「なんで、俺が逃げるんだよっ。ふん、あんた何やってんだっ? 変な格好してっ!」
「えらく威勢のいいガキだ。ガキ、車を出せ」
「い、や、だ、」

本当にガキだった。
ベーッと舌を出され、橋爪は面食らった。

その男、激情!31

「だったら、退院するより大人しくここに入院していた方が、会えますよ。慌てなくても向こうから来る」
「本当だなっ、来るんだな? 絶対現われるんだな?」

今度は黒瀬の胸を時枝が掴む。

「ええ。時枝の息の根を止めにやって来ますよ。居場所も直ぐに佐々木が突き止めるでしょうし。ふふ、一つ確認」
「何だ、武史」

完全に時枝は地に戻っていた。
今、自分の前にいる男は、株式会社クロセの社長で自分の元上司ではなく、惚れた男の弟でしかなかった。

「今の兄さんは別人。時枝の知っている兄さんじゃない。時枝の事だって覚えてない。仕事のターゲットぐらいにしか思ってない。それでも会いたいの? 会ってどうするつもり?」
「黒瀬っ! …そんなこと、今、時枝さんに…言うなよ」

現実を突き付ける黒瀬の言葉に、時枝より先に潤が反応した。

「構いません。潤さま」

時枝の口調が元に戻る。

「会ってどうするのかは、会ってから決めます。ただ、勇一が私を覚えてない、今の勇一が別人だということは、私には何の意味も持たない。それはあなた方が一番分るはず。潤さま、違いますか?」
「…それは…」

先程、黒瀬に言われた事だった。

「昔あなたに言いましたよね。社長があなたを忘れた時、好きで忘れた訳じゃない、と。勇一は、私を庇って撃たれ海へ沈んだ。それから何があったのか分らない。別人だと言うなら、余程の事があったのでしょう。過酷な道を生き抜いて来たはずだ。激怒していますよ。私に銃を向けるなんて。だが、それは勇一のせいじゃ…ない」

一旦落ち着いたようにみえた時枝の目に、涙が浮かぶ。

「切れなかった。…法事まで出したのに、現われたっ! 私を…俺を忘れているのに、俺の前に現われたんだっ、終わりじゃなかったって、ことだろっ! 俺達は繋がっているんだよっ。違うか、武史」

時枝の手が、激しく黒瀬の胸を打ち付ける。

「違いませんっ!」

答えたのは、黒瀬でも潤でもなく、佐々木だった。
医者に報告に行った男が戻って来たらしい。

「組長、時枝組長っ、その通りですっ! お二人は運命の真っ赤な糸で繋がれているんですっ。アッシはっ、アッシはっ、」

佐々木が黒瀬を押し退けるように、時枝の自由が利く方の手を両手で挟む。
その手の上には、桐生組若頭から滝のように流れ落ちる熱い雫が降りかかっていた。

「真っ赤と言うよりは、どす黒い赤じゃない?」

佐々木に場所を奪われた黒瀬が、呆れたように笑っている。

「――アッシはっ、お二人をっ、お二人の恋を応援しますっ!」

佐々木の何かのCMのようなフレーズに、時枝は冷静さをとり戻したらしい。

「佐々木さん、…悪いが手を離して下さい」
「何の心配も要りませんからっ。ぁあ、素晴らしいっ、…深い愛の絆だぁあああっ、」

ついさっきまで、残酷だと叫いたことなど、佐々木の頭からは消えているらしい。

「一体何の騒ぎですか。何をやってるんですか」

医者が看護師を引き連れ、入って来た。

「安静にしてないと、ダメじゃないですか。横になって下さい」

医者に叱られ、時枝が身体を倒そうとするが、佐々木が離れなかった。
潤が佐々木の胴体を掴むと、引き離した。

「あなた達、患者を興奮させないで下さい。まったく、手術したばかりだと言うのに…回復が長引いても知りませんよ」
「申し訳ございません」

潤一人、医者に謝った。

「血圧が上がってます。寝た方がいいでしょ。寝られないようなら、睡眠薬を処方しますが。それと、そこのあなたには、精神安定剤でも打ちましょうか?」

そこのあなたとは、勿論佐々木の事だ。

「結構です。その男には、まだ仕事がありますので。ねえ、佐々木。忘れているようだが、することあるよね?」

黒瀬が佐々木に、汚い涙を流す暇があるならサッサと勇一の居場所を突き止めてこい、と冷ややかな笑みを向けた。

その男、激情!30

「それから、…俺、黒瀬に謝らないと」

潤が佐々木から黒瀬へと視線を移す。
照れ臭そうな顔だった。

「何を?」
「黒瀬は、組長さんが現われて、嬉しかったんだろ? だから、時枝さんも嬉しいと分るんだ。組長さん、黒瀬の血の繋がった家族なのに…俺、酷い事言った。組長さんが生きて目の前に現われて、嬉しいに決ってるのに。残酷だ、って、酷い事言った。ゴメン」
「兄さんに、特別な感情はないよ。人騒がせな兄を持つと、弟は大変なだけだ」
「嘘つき。黒瀬は時々、バレバレの嘘を付くから」

嘘つき呼ばわりされ、黒瀬は嬉しいらしい。

「そう?」

込み上げて来る愛おしさを、隠すつもりもなかった。 
潤に視線に絡める。
潤には、黒瀬の視線が「潤だけが分ってくれればいいよ」と、語っているように思えた。

「佐々木さん、残酷なんかじゃないよ。今までの方がきっと、時枝さんには残酷で辛い時間だったんだよ」

黒瀬と視線を絡めたままだった。
言葉だけ、佐々木に向いていた。

「佐々木、時枝の目が覚めたこと、医者に報告しなくてもいいの?」

潤と同じく、黒瀬もまた言葉だけ佐々木に向ける。

「あっ、行ってきます」

佐々木がやっと床から腰を上げた。
ドタドタと足音を立て黒瀬と潤の前から消えると、二人の絡んだ視線の距離が縮まった。

「…黒瀬、」
「…潤、おいで」

二人の世界が今、まさに始まろうとしていた。
しかし、接近した唇が重なる事はなかった。

『クソッタレがっ!』
「…今の、…時枝さん?」

泣き声が徐々に聞こえなくなったと思ったら、罵り言葉が聞こえてきた。

『出て来たと思ったら、俺を痛めて楽しんでいるのか? ド変態野郎に成り下がりやがって。流血のプレイが好きなS野郎か? 俺を殺す? 馬鹿かっ! てめぇが助けた命だろうがっ! ふざけるなッ』

ドガッ、と音まで聞こえた。

「ふふ、時枝、元気が出てみたい」
「今の音、まさか…」

黒瀬の腕から離れ、潤が病室に慌てて戻った。
てっきりベッドから時枝が転げ落ちたと潤は思った。 
しかし、違った。

「時枝さんっ!」

起き上がれるはずのない時枝が上半身を起し、撃たれてない方の手で枕を壁に向って投げつけたらしい。

「さすがに、兄さんの存在は大きいね。時枝がゾンビになった気がするよ。ふふ、撃たれたぐらいじゃ、死なないね」

潤の後から入って来た黒瀬は笑っていたが、潤は青ざめた。

「安静にして下さいっ! 手術したばかりなんですよっ! 傷が開いたらどうするですか」

潤が枕を拾いあげ、ベッドに戻す。
時枝の肩を抱き倒そうとしたが、時枝が振り払った。

「今すぐ、退院の手続きをして下さい。こんな所でゆっくり寝てられませんっ! あのバカに会わねばっ!」
「時枝さん、落ち着いてっ。まだ無理です!」
「生きていたんですよっ! 勇一が、生きていたんですよっ! 俺の側まで来たんだっ! あのバカがっ、早くっ、早くっ、…会わせろぉおおおっ!」

動く方の手が、潤の胸ぐらを掴む。
哀しみからか、喜びからか、それとも怒りからか、想像を絶する力が時枝には働いているらしい。

「そんなに、会いたいんだ。自分を殺そうとした男に」

時枝の潤の胸を掴む手が、黒瀬には気に入らないらしい。
潤の胸から時枝の指を外しながら、視線も向けずに訊く。

「当たり前だっ。俺が、どれだけ待っていたと思うんだ。俺を殺す? 上等だ。結構だっ。生きてなきゃ、出来ない芸当だろっ、違うか武史っ!」

やはり、嬉しかったのだ。
時枝の腹の底からの歓喜の叫びが、潤にも痛いほど届いた。

その男、激情!29

「ふふ、優しいね、潤。私も潤の事は潤以上に知ってるよ」

潤の頭に黒瀬がキスを落とす。

「…時枝さん、……本当に、嬉しいと思う?」
「思う」
「撃ったのが組長さんだったって、時枝さんに言う?」
「目が覚めたらね」
「――覚めて……います…」

黒瀬の背後から、微かな声が届く。

「時枝さんっ!」

潤が黒瀬を押し退け、時枝の側に行く。

「時枝さんっ、今の話…まさか…えっと、」
「潤さまの大声で、覚醒したようです…。どこからか現実か…分りません……が、…勇一が…、」

時枝の目からツーッと一筋の滴が、頬から耳の下を通り、枕に着地すると小さな染みを作った。

「…勇一がっ、……あの馬鹿がッ…生きて、…生きて…っ、…くっ、申し訳ございません、一人にしていだけませんかっ、」

顔を背けた時枝からは、嗚咽だけが聞こえてくる。

「…時枝さん、」

時枝の涙が、潤の心にキュンと突き刺さる。
何と声を掛けていいのか、分らなかった。
そんな潤の肩を黒瀬が抱え込み、『行こうか』と耳元で囁いた。
黒瀬に促され、潤は時枝のいる個室を出た。
ドアが閉まった瞬間、中から「ウォオオオオッ」と、獣のような咆吼が洩れる。
多数の銃弾を受けた身体から発せられているとは思えぬような、張り裂けんばかりの声だった。

「時枝組長っ!」

ドアの側に立っていた佐々木が、声に驚き中に飛び込もうとしたが、黒瀬に首の襟を後ろから掴まれ阻まれた。
「歓喜に浸っているのを邪魔しない」
「歓喜? 喋ったんですかっ! 狙撃したのが先代だって、ばらしたんですかっ!」

振り返り、佐々木が黒瀬に食って掛かる。

「興奮しない。潤との会話を時枝が盗み聞きしただけ」
「――そんなぁ…」

佐々木がその場に崩れる。
そして、そのまま自分の太腿を殴り付けながら、泣き始めた。

「…可哀想だっ、…組長が、時枝組長が…、何をしたって言うんですかっ、…くそっ、」

佐々木の背中を、黒瀬が足で蹴った。

「時枝に対して失礼だろ。脳味噌が空のゴリラに同情されるなんてね。あんなに喜んでいるのに、失礼なヤツ」
「…黒瀬、泣いてたぞ…時枝さん、涙零してた…」

佐々木じゃなく、潤が控えめに反論した。

「そうだね。嬉し涙流していたね」

潤には優しく黒瀬が答える。

「…本当に黒瀬は、時枝さんが喜んでいると思っているのか?」
「当たり前じゃない。さっさきも言っただろ。ふふ、時枝の時間が動き始めるよ、これで」

嬉しそうなのは、時枝よりも黒瀬のように見える。
まだ床で泣いている佐々木に、黒瀬が再度蹴りを入れる。

「泣いている暇があったら、仕事すれば? 兄さん、また時枝を殺そうと画策するよ。兄さんの居場所突き止めたりとすることあるんじゃない? 佐々木も兄さん見て分っただろ。兄さんは、時枝の事も我々の事も忘れているようだから、邪魔となれば桐生の組員だって殺すよ」
「…ボン、…アッシ達は、勇一組長から時枝組長と桐生を守らねばならないということですかっ」
「そういうこと。少なくとも、今の兄さんは味方じゃない。今後は分らないが」
「…やはり、残酷じゃ、ねぇですか。恋人同士だった者が敵味方って…、酷すぎますっ!」
「だった、って、過去形にしちゃって。佐々木も案外冷たい男だ。時枝の中ではまだ続いていると思うけど」
「そんな、言葉尻はどうでもいいでしょ!」

佐々木が床から黒瀬を見上げ、叫(わめ)く。

「佐々木さん、ここ、病院だから…」

先程のリベンジではないだろうが、潤が佐々木を注意をする。

その男、激情!28

「信じないっ、…信じられるものか…」

佐々木の腕を振り切るように、掴んでいた手を離すと、よろよろと潤は黒瀬の方に移動を始めた。
足元がおぼつかないのは、足がふらつくというよりは、涙が目の縁に溜まって視界が揺らいでいる為だ。

「潤、どうして泣くの? 嬉しくないの?」

潤が自分の元まで辿り着くと、黒瀬が立上がり、潤を自分の胸に抱き締めた。

「嬉しい? 組長さんが、時枝さんを殺そうとしたのに、嬉しいはずないっ!」
「どうして? 兄さんの生存分って良かったじゃない? ふふ、一番嬉しいのは時枝かな?」

安否不明、でも生きていると信じていた。
いや、信じていたかった。
だが、どこかで、もう、この世にいないのかも知れないとも思っていた。
それは決して口には出さなかったし、その考えが浮かべば、そんなことはない、と頭を振って否定してきた潤だった。
しかし、潤も佐々木同様、ショックと言いようのない憤りと哀しみに襲われていた。

「…どうして、時枝さんが喜ぶんだよっ、…ひっ、…残酷だよっ、――こんなに待っていたのに…何で殺そうとするんだよっ!」
「私だったら嬉しいよ、潤」

黒瀬が二十七にもなる青年の背を、ヨシヨシと、幼児にするようにさすった。

「…っく、…嬉しい?」

潤が黒瀬の顔を見上げた。

「私と潤に置き換えて想像してみて。もし撃った相手が潤だと分ったら、きっと幸せ絶頂で天国に旅立てるかも」
「…な、に、…ソレッ。俺が撃つはずないっ!」
「だから、もしも、の話だよ」

納得がいかない潤の背を、またもや黒瀬がさする。

「ずっと安否が分らない、死んだかも知れないと思っていた潤が、私の目の前に現われてくれるなら、それが私を殺す為に送られた刺客でも嬉しい…。生きて、現われたんだよ? どんな潤でも私は嬉しいに決っている。潤だってそうじゃなかったの? 私が潤の事を思い出せないでいた時、あんな酷い事ばかりしていたのに…一緒にいてくれたのはそういうことじゃない?」
「…そうだけど、――でも黒瀬は俺を殺そうとはしなかった」
「厳しいこと言ってもいい?」

大丈夫? と黒瀬が潤に問う。
潤が、うん、と頷いた。

「あの時の私なら、…ペットとしか思ってない相手になら…必要があれば何の躊躇もなく殺(や)れたよ。私の本質はそういう男なんだよ?」
「違うっ! 違うっ、ちがーーーーうっ!」

病室のガラス窓が、音波で割れるんじゃないかと思える程の大声で、潤が否定した。
佐々木が鼻に掛かった声で、えらく控えめに、

「あまり騒ぎますと…えっと、そのぅ…、個室といえども、看護師さんから叱られるんじゃないかと…」

と注意を入れたら、黒瀬から睨まれた。
そして手でシッシッと、犬のように追い払われた。

「…えっと、看護師が来ましたら、アッシが代りに叱られますので…ごゆっくり……」

鼻を啜りながら、佐々木が個室の前に立った。
急に鼻炎になったわけではない。
黒瀬と潤の関係に感動しての事だ。
殺されても嬉しいと言う黒瀬と、黒瀬の自虐的な告白を強く否定した潤に、込み上げてくる熱いモノがあった。
殺し屋となって現われた勇一の件で動揺していただけに、一気にそれは佐々木を突き上げた。
かろうじてその感動は鼻で止っていたが、いつ大粒の滴となって目から溢れてもおかしくない状態だった。

「黒瀬はそんな男じゃないっ! 黒瀬よりも黒瀬の事は俺の方が知っているンだッ! 俺が違うって言ったら、違う!」

個室の中では、まだ潤が大声を張りあげていた。

その男、激情!27

「…ボ、…武史さまっ、…それっ、アッシの、――いつの間にッ」
「弾が入ってないって、どういうこと? あの人も動揺していたみたいで、気付かれずに済んだけど」

佐々木が腹を押さえながら、黒瀬の手から自分の拳銃を取り戻した。

「…威嚇(いかく)にと、持っていただけです。病院内で、発砲する気はありませんから」
「ふふ、甘いね。そんなことじゃ、兄さんに時枝殺されちゃうよ?」

小馬鹿にしたような口調で、黒瀬が佐々木を冷ややかに笑う。

「…本当に、組長なんですかっ! 先代なんですかっ!」

拳銃をしまいながら、佐々木が黒瀬に食って掛かる。

「顔は整形で似せられても、声は無理じゃない? 物まね芸人じゃあるまいし。それに、体臭もね。兄さんと同じ匂いだったよ」
「――そんなァ…」
「なに落胆してるの? 喜ばしいことじゃない? 消息不明で死人扱いだった人間が、戻って来たんだから。時枝に教えてやらないとね…ふふふ」

黒瀬が邪魔だと佐々木を押し退け、時枝のいる個室へ向う。

「黒瀬、どうだった? 現われたの?」

時枝の側に、潤が付いていた。

「現われたよ」
「怪我は? 大丈夫なのか?」
「見ての通り、私はかすり傷一つない。時枝は、まだ目が覚めないの?」
「うん。夢見ているみたい。時々『勇一』って唸ってるよ」
「何年経っても、兄さんで時枝の中身は埋まっているってことか。ふふ、だとしたら、時枝が引き寄せたのかな?」
「引き寄せた? なに、それ」

黒瀬が時枝のベッドの側に寄る。

「ボンッ、」

その時、佐々木が個室へ飛び込んで来た。

「ダメですっ!」
「うるさいよ、」

黒瀬が、佐々木を睨む。

「残酷な事、言わないで下さいっ! 勇一組長が、狙撃犯だったなんて、残酷過ぎますっ!」
「…佐々木さん?」
「あ、」

慌てて佐々木が自分の口を手で塞いだ。
黒瀬が時枝のベッドに腰を降ろしながら、

「ふふ、自分で言っちゃったよ」

と、佐々木を一瞥した。

「なんだよ、どういうこと? 佐々木さん、今、勇一組長って、言った?」

潤が佐々木に詰め寄る。

「…えっと、…その、」
「狙撃犯って、どういうことだよっ!」

潤が自分より体格のいい佐々木の腕を掴み、佐々木を揺らす。

「時枝、兄さん生きてたよ。良かったね」

黒瀬が時枝の頬をなで下ろしながら、目を閉じたままの時枝に告げる。

「黒瀬っ、組長さん、生きてたのかっ!」

潤は時枝のことを今でも時枝さんと呼ぶので、組長とは先代の勇一のことだ。
佐々木の腕を掴んだまま、潤が黒瀬を振り返る。

「殺したいぐらい、愛されているのかな? 兄さんから受けた銃弾に倒れて。兄さんは時枝の前に姿を現わそうとしたよ。ついさっき、拳銃を持参で」

潤にというより、黒瀬の言葉は時枝に向かっていた。

「――バカな…、…そんなこと、…そんなぁ…、組長さんが…時枝さんを…有りえない!」
「事実だよ。おいで、潤。佐々木にしがみつくぐらいなら、私の胸にどうぞ。ジェラシーで佐々木を殺す前においで」

ベッドの腰掛けた黒瀬が、自分の胸を軽く叩く。

その男、激情!26

「クソッ!」

部屋に入るなり、安っぽいベッドを橋爪が力任せに蹴り上げた。
キルト部分がほつれているのか、羽毛が数枚舞い上がった。
朝、チェックアウトしたホテルとは別のビジネスホテル。
本来ならもう台湾に戻っているはずだった。
しかし、仕事をしくじったばかりに、仕方なく滞在延長となった。
だがそれも、一泊だけの予定だった。

「何が兄さんだっ! 何が組長だっ! 人をおちょくりやがってっ!」

一度までか二度までもしくじった。
最悪なのは、子ども騙しな罠にはめられ、ターゲットの身内に逃がされたという事実。

「あれが、やつらの手なのか? 心理作戦ってやつか? あの男は、俺の記憶の欠落を知っていて、身内に仕立て上げようという魂胆か? クソッ!」

あの男、黒瀬に、兄さん、と呼ばれてから頭痛が酷い。
吐きそうだ。
橋爪は頭を両手で抱え、床に踞った。
左目の横に傷のある男、黒瀬が「佐々木」と呼んだ男が口にした言葉が真実だとすると、橋爪の顔と桐生の前組長は同じ顔だということになる。
ガンガンと唸る頭を支えバスルームへ移動し、橋爪は鏡の前に立った。

「何故、同じ顔なんだ…? 知らない間に、顔を整形されたのか? それとも自分の意思で俺は顔を変えたのか? まさか…桐生の組長と双子なのか…」

今のこの顔の記憶しかない。
これは自分の顔だ。
他の誰の顔でもない、この俺の顔だ。
台湾で劉(りゅう)と呼ばれ、ここでは橋爪という名の殺し屋の顔だ。
それ以外の人生があったというのか?

「…バカな。有りえない…初めて会う顔ばかりだ。夢で見たこともない…。桐生の場所にデジャブ―すら感じない…クソッ、欺されないぞっ、」

ふと、桐生の事務所前で張っていた時のことを思い出す。
橋爪の声に桐生の組員が騒いでいた。

「…声まで、…同じ?」

喉に手を当てた橋爪が首を振る。

「だから、何だって言うんだッ」

鏡に映る自分の顔に、橋爪は頭を叩きつけた。
鏡にヒビが入るぐらい、激しく何度も。
視界が赤くなり顔を上げる。
ヒビの入った鏡に、赤い血を額から流し、その血で眼球を染めた顔が、壊れた万華鏡のように映っていた。
元々の頭痛と打ち付け切れた箇所の痛みが重なり、意識が遠のいていくのを橋爪は感じた。
外側から白く靄が掛かる視界が、完全に白く閉ざされる前に、どうにかベッドに辿り着く。
そこで橋爪は意識を失った。

 

「ボン、どういう事ですかっ! 説明して下さいッ」

黒瀬が時枝が本当にいる病室へ向っていると、佐々木が視界に入ってきた。
鼻腔を広げ、鼻息荒く黒瀬に詰め寄った。

「廊下で騒ぐと迷惑だろ。説明? その前に、」

黒瀬が、佐々木に冷たく微笑みかけた。
微笑みに『冷たい』という形容詞が付く人間はそうはいない。
身の凍るようなゾッとする黒瀬の微笑みに、佐々木はヤバイッ、と自分の失態を自覚したが、時既に遅し。
腹にめり込む衝撃を感じた。

「ぐっ、ふっ」
「珍しく気分が高揚しているので、殺してやってもいいけど。ほら、こういうオモチャ、持ってるし」

腹を押さえる佐々木の前に、黒瀬が拳銃をちらつかせた。

その男、激情!25

「離せっ、…ゴチャゴチャ言ってないで、手を離せっ、黒瀬武史」
「光栄ですよ、兄さん。俺の名前、覚えてくれてましたか?」
「兄さんやら組長やら、バカな事ほざいてないで、手を離せ。命が惜しくないのか?」
「この状況で、何を言ってるんですか。命の心配した方がいいのは、兄さんの方でしょ?」
「そうか?」

男が、黒瀬に捕られてない方の手を、ポケットに入れると中から拳銃を取りだした。

「一つだけとは、限らないんだよ、残念だったな。手を離せ」

男が黒瀬のこめかみに銃口を突き付けた。

「ボンッ!」

佐々木が慌てて二人の前に飛び出そうとすると、

「おっと、動くとこの男の命はないぞ?」

男は引き金に手を掛けて見せた。
黒瀬が佐々木に問題ない、と目で合図を送る。

「そう、良い子だ。そのままにしてろよ」

男は黒瀬を人質に取り、病室から通路に出た。

「兄さんと、夜の病院を散歩ですか? ふふ、深夜の病院で死んだはずの人間と歩く。幽霊話としては、ありきたりですね」

こめかみに突き付けられていた銃口は、脇腹に移動している。

「黙れっ!」
「ふふ、時枝を殺すのを邪魔して悪かったですね。自分が命を掛けて守った男を、自らの手で殺す。狂気めいていて、私好みですよ」
「黙れっ! 本当に撃つぞっ!」

二人は非常口に着いていた。

「どうぞ。撃ちたければ構いませんよ。弾の入ってない拳銃で人は殺れないとは思いますが」

黒瀬が男の前に拳を突き出すと、ゆっくり開いて見せた。

「バカな。…いつの間に」

掌で鈍い輝きを見せる五つの弾。

「殺し屋さんが、武器を一つしか所有してないと思う程、あいにく世間知らずではありませんよ。兄さんが佐々木に気を取られている隙に、抜いておきました」
「じゃあ、何故、ここまで来た!」
「ふふ、そんなの決まっているじゃないですか、兄さんを逃がす為でしょ。顔色悪いですし、早く休みたいんじゃないんですか? それとも、桐生の連中に引き渡されたいですか? それはそれでも、楽しそうですけど」

形勢はまた逆転した。
黒瀬が男が突き付けていた拳銃を取り上げ、自分が隠し持っていた別の拳銃を男の脇腹に突き付けた。

「兄さんだの組長だの、訳のわからない話で俺に手を引かせたいつもりか? 殺すなら、殺せばいい。命乞いなどはなっからするつもりはない」
「でしょうね。殺すのは簡単ですけど、肉親を手に掛けるのは、多少私の良心も痛みますし」
「いい加減なこと、言うなっ。何が肉親だっ!」

二人はもう非常口の外に出ていた。
怒鳴る男に、黒瀬が静かに、と口に指を当てる。

「気の毒に。洗脳されたわけじゃなく、記憶そのものが、ないらしい。ふふ、時枝を殺すまで、頑張ってみればいい。その前に、時枝から殺されないように」

さあ、行って下さい、と黒瀬が男を手で払う。
銃口は依然男の方を向いていたが、撃つ気はないらしい。
男が外階段を降りていく。
途中、何度も振り返り黒瀬を見上げていたが、その顔には覇気がなかった。
顔色が悪いだけあって、体調が優れないらしい。

「時枝に殺される前に、階段から落ちて死ぬんじゃないの?」

黒瀬はご丁寧に、男が地上に辿り着き、建物から去るまで、上から見届けていた。

「ふふ、やっと止まった時計が動き出したね」

独り言を楽しそうに呟くと、黒瀬が建物内へ戻った。

その男、激情!24

「黒瀬!」

背後から潤が呼び止める。

「どこ行くんだよ」
「ちょっと院長先生へご挨拶に。潤は入院の事務手続きを。秘書さんはそういうことにも精通しているよね? 終わったら時枝の側にいてあげて。う~~ん、そこのゴリラは仕事あるよね。分っていると思うけど」
「…警察ですか?」
「そろそろご到着じゃない? 本人はしゃべれないだろうし、対応よろしく」
「お任せを」

銃撃され救急車で運ばれたのだ。
警察が動かないはずがない。
既に銃撃現場での検証は終わっているはずだ。
警察が握っている情報を引き出すことも、警察に必要以上、時枝や桐生に張り付かれないようにすることも、佐々木のすべき仕事だ。
潤と佐々木、そして黒瀬、三方に別れ、今すべきことに取り掛かった。

 

***

 

「見張りが寝て、どうする」

白衣に聴診器をぶら下げた医師が、壁にもたれて座る男二人を見下ろし呆れ気味に呟くと、『時枝勝貴』と書かれた病室の中に入った。

「お休みのようですね、時枝さん」

照明を点けることなく、暗い病室を懐中電灯で照らしながら進む。
懐中電灯の灯りをベッドの上に這わすと、包帯を巻かれた頭部が見えた。
仰向きで寝ているようだが、首は横を向いている。 
傷口を無意識に庇っているのだろう。

「夢の中ですか?」

医師が白衣の深いポケットに手を入れ、何かを漁っている。

「寝る事は良いことですよ。このまま、永遠に寝て下さいね」

医師が取りだしたのは、ボールペンでも体温計でも注射器でもなく、サイレンサー付の拳銃だった。
銃口を布団の上から心臓部分に突き付ける。

「世話を掛けやがって、この野郎」

低音の声で唸るように呟くと、引き金に手を掛けた。
その瞬間、布団の中からニュッと手が出て来て拳銃を持つ手をギュッと掴まれ捻り上げられた。

「なっ!」
「お医者様に、こんな物騒な物は必要ないと思いますが?」

布団が跳ね上がり、時枝が…違う、時枝でなかった…転げ落ちた懐中電灯が照らしたのは、包帯を一部巻いているが、時枝とは明らかに違うウエーブがかった長髪の男だった。
グッと更に掴まれた手を捻られる。
捻りながら、男はベッドから降りた。
そして、医師の顔から変装用に掛けてあったメガネとマスクを外した。

「お久しぶりですね、まさかこんな形で再会出来るとは思ってもいませんでしたよ、兄さん」

その瞬間、病室の照明が付き、二人を煌々とした灯りが照らした。

「…組長…、―――そんなぁあ…、バカな事が…」

入口に佐々木が立っていた。
病室の照明スイッチを指で押したまま、驚愕のあまり、これ以上ないぐらい目を見開いている。
通路で座っていた男の一人が佐々木だった。
黒瀬の命令で、不審者をわざと病室内へ入れたのだ。 
もちろん、時枝は安全な場所にいる。
これは銃撃犯がトドメを刺しに来るのを見越しての黒瀬が仕掛けた罠だった。
意外と身近なヤツが犯人かも、と黒瀬から聞かされていた佐々木だったが、それが先代組長だとは思いもよらなかった。

「―――どうして、この男は、…組長と同じ顔をしているんですかっ! ボンッ!」
「本人だからじゃない?」
「嘘だぁあ…、そんなはず…、――銃撃犯が勇一組長? 何かの間違いだっ!」

佐々木が、吠える。