「それから、…俺、黒瀬に謝らないと」
潤が佐々木から黒瀬へと視線を移す。
照れ臭そうな顔だった。
「何を?」
「黒瀬は、組長さんが現われて、嬉しかったんだろ? だから、時枝さんも嬉しいと分るんだ。組長さん、黒瀬の血の繋がった家族なのに…俺、酷い事言った。組長さんが生きて目の前に現われて、嬉しいに決ってるのに。残酷だ、って、酷い事言った。ゴメン」
「兄さんに、特別な感情はないよ。人騒がせな兄を持つと、弟は大変なだけだ」
「嘘つき。黒瀬は時々、バレバレの嘘を付くから」
嘘つき呼ばわりされ、黒瀬は嬉しいらしい。
「そう?」
込み上げて来る愛おしさを、隠すつもりもなかった。
潤に視線に絡める。
潤には、黒瀬の視線が「潤だけが分ってくれればいいよ」と、語っているように思えた。
「佐々木さん、残酷なんかじゃないよ。今までの方がきっと、時枝さんには残酷で辛い時間だったんだよ」
黒瀬と視線を絡めたままだった。
言葉だけ、佐々木に向いていた。
「佐々木、時枝の目が覚めたこと、医者に報告しなくてもいいの?」
潤と同じく、黒瀬もまた言葉だけ佐々木に向ける。
「あっ、行ってきます」
佐々木がやっと床から腰を上げた。
ドタドタと足音を立て黒瀬と潤の前から消えると、二人の絡んだ視線の距離が縮まった。
「…黒瀬、」
「…潤、おいで」
二人の世界が今、まさに始まろうとしていた。
しかし、接近した唇が重なる事はなかった。
『クソッタレがっ!』
「…今の、…時枝さん?」
泣き声が徐々に聞こえなくなったと思ったら、罵り言葉が聞こえてきた。
『出て来たと思ったら、俺を痛めて楽しんでいるのか? ド変態野郎に成り下がりやがって。流血のプレイが好きなS野郎か? 俺を殺す? 馬鹿かっ! てめぇが助けた命だろうがっ! ふざけるなッ』
ドガッ、と音まで聞こえた。
「ふふ、時枝、元気が出てみたい」
「今の音、まさか…」
黒瀬の腕から離れ、潤が病室に慌てて戻った。
てっきりベッドから時枝が転げ落ちたと潤は思った。
しかし、違った。
「時枝さんっ!」
起き上がれるはずのない時枝が上半身を起し、撃たれてない方の手で枕を壁に向って投げつけたらしい。
「さすがに、兄さんの存在は大きいね。時枝がゾンビになった気がするよ。ふふ、撃たれたぐらいじゃ、死なないね」
潤の後から入って来た黒瀬は笑っていたが、潤は青ざめた。
「安静にして下さいっ! 手術したばかりなんですよっ! 傷が開いたらどうするですか」
潤が枕を拾いあげ、ベッドに戻す。
時枝の肩を抱き倒そうとしたが、時枝が振り払った。
「今すぐ、退院の手続きをして下さい。こんな所でゆっくり寝てられませんっ! あのバカに会わねばっ!」
「時枝さん、落ち着いてっ。まだ無理です!」
「生きていたんですよっ! 勇一が、生きていたんですよっ! 俺の側まで来たんだっ! あのバカがっ、早くっ、早くっ、…会わせろぉおおおっ!」
動く方の手が、潤の胸ぐらを掴む。
哀しみからか、喜びからか、それとも怒りからか、想像を絶する力が時枝には働いているらしい。
「そんなに、会いたいんだ。自分を殺そうとした男に」
時枝の潤の胸を掴む手が、黒瀬には気に入らないらしい。
潤の胸から時枝の指を外しながら、視線も向けずに訊く。
「当たり前だっ。俺が、どれだけ待っていたと思うんだ。俺を殺す? 上等だ。結構だっ。生きてなきゃ、出来ない芸当だろっ、違うか武史っ!」
やはり、嬉しかったのだ。
時枝の腹の底からの歓喜の叫びが、潤にも痛いほど届いた。