その男、激情!31

「だったら、退院するより大人しくここに入院していた方が、会えますよ。慌てなくても向こうから来る」
「本当だなっ、来るんだな? 絶対現われるんだな?」

今度は黒瀬の胸を時枝が掴む。

「ええ。時枝の息の根を止めにやって来ますよ。居場所も直ぐに佐々木が突き止めるでしょうし。ふふ、一つ確認」
「何だ、武史」

完全に時枝は地に戻っていた。
今、自分の前にいる男は、株式会社クロセの社長で自分の元上司ではなく、惚れた男の弟でしかなかった。

「今の兄さんは別人。時枝の知っている兄さんじゃない。時枝の事だって覚えてない。仕事のターゲットぐらいにしか思ってない。それでも会いたいの? 会ってどうするつもり?」
「黒瀬っ! …そんなこと、今、時枝さんに…言うなよ」

現実を突き付ける黒瀬の言葉に、時枝より先に潤が反応した。

「構いません。潤さま」

時枝の口調が元に戻る。

「会ってどうするのかは、会ってから決めます。ただ、勇一が私を覚えてない、今の勇一が別人だということは、私には何の意味も持たない。それはあなた方が一番分るはず。潤さま、違いますか?」
「…それは…」

先程、黒瀬に言われた事だった。

「昔あなたに言いましたよね。社長があなたを忘れた時、好きで忘れた訳じゃない、と。勇一は、私を庇って撃たれ海へ沈んだ。それから何があったのか分らない。別人だと言うなら、余程の事があったのでしょう。過酷な道を生き抜いて来たはずだ。激怒していますよ。私に銃を向けるなんて。だが、それは勇一のせいじゃ…ない」

一旦落ち着いたようにみえた時枝の目に、涙が浮かぶ。

「切れなかった。…法事まで出したのに、現われたっ! 私を…俺を忘れているのに、俺の前に現われたんだっ、終わりじゃなかったって、ことだろっ! 俺達は繋がっているんだよっ。違うか、武史」

時枝の手が、激しく黒瀬の胸を打ち付ける。

「違いませんっ!」

答えたのは、黒瀬でも潤でもなく、佐々木だった。
医者に報告に行った男が戻って来たらしい。

「組長、時枝組長っ、その通りですっ! お二人は運命の真っ赤な糸で繋がれているんですっ。アッシはっ、アッシはっ、」

佐々木が黒瀬を押し退けるように、時枝の自由が利く方の手を両手で挟む。
その手の上には、桐生組若頭から滝のように流れ落ちる熱い雫が降りかかっていた。

「真っ赤と言うよりは、どす黒い赤じゃない?」

佐々木に場所を奪われた黒瀬が、呆れたように笑っている。

「――アッシはっ、お二人をっ、お二人の恋を応援しますっ!」

佐々木の何かのCMのようなフレーズに、時枝は冷静さをとり戻したらしい。

「佐々木さん、…悪いが手を離して下さい」
「何の心配も要りませんからっ。ぁあ、素晴らしいっ、…深い愛の絆だぁあああっ、」

ついさっきまで、残酷だと叫いたことなど、佐々木の頭からは消えているらしい。

「一体何の騒ぎですか。何をやってるんですか」

医者が看護師を引き連れ、入って来た。

「安静にしてないと、ダメじゃないですか。横になって下さい」

医者に叱られ、時枝が身体を倒そうとするが、佐々木が離れなかった。
潤が佐々木の胴体を掴むと、引き離した。

「あなた達、患者を興奮させないで下さい。まったく、手術したばかりだと言うのに…回復が長引いても知りませんよ」
「申し訳ございません」

潤一人、医者に謝った。

「血圧が上がってます。寝た方がいいでしょ。寝られないようなら、睡眠薬を処方しますが。それと、そこのあなたには、精神安定剤でも打ちましょうか?」

そこのあなたとは、勿論佐々木の事だ。

「結構です。その男には、まだ仕事がありますので。ねえ、佐々木。忘れているようだが、することあるよね?」

黒瀬が佐々木に、汚い涙を流す暇があるならサッサと勇一の居場所を突き止めてこい、と冷ややかな笑みを向けた。