その男、激情!28

「信じないっ、…信じられるものか…」

佐々木の腕を振り切るように、掴んでいた手を離すと、よろよろと潤は黒瀬の方に移動を始めた。
足元がおぼつかないのは、足がふらつくというよりは、涙が目の縁に溜まって視界が揺らいでいる為だ。

「潤、どうして泣くの? 嬉しくないの?」

潤が自分の元まで辿り着くと、黒瀬が立上がり、潤を自分の胸に抱き締めた。

「嬉しい? 組長さんが、時枝さんを殺そうとしたのに、嬉しいはずないっ!」
「どうして? 兄さんの生存分って良かったじゃない? ふふ、一番嬉しいのは時枝かな?」

安否不明、でも生きていると信じていた。
いや、信じていたかった。
だが、どこかで、もう、この世にいないのかも知れないとも思っていた。
それは決して口には出さなかったし、その考えが浮かべば、そんなことはない、と頭を振って否定してきた潤だった。
しかし、潤も佐々木同様、ショックと言いようのない憤りと哀しみに襲われていた。

「…どうして、時枝さんが喜ぶんだよっ、…ひっ、…残酷だよっ、――こんなに待っていたのに…何で殺そうとするんだよっ!」
「私だったら嬉しいよ、潤」

黒瀬が二十七にもなる青年の背を、ヨシヨシと、幼児にするようにさすった。

「…っく、…嬉しい?」

潤が黒瀬の顔を見上げた。

「私と潤に置き換えて想像してみて。もし撃った相手が潤だと分ったら、きっと幸せ絶頂で天国に旅立てるかも」
「…な、に、…ソレッ。俺が撃つはずないっ!」
「だから、もしも、の話だよ」

納得がいかない潤の背を、またもや黒瀬がさする。

「ずっと安否が分らない、死んだかも知れないと思っていた潤が、私の目の前に現われてくれるなら、それが私を殺す為に送られた刺客でも嬉しい…。生きて、現われたんだよ? どんな潤でも私は嬉しいに決っている。潤だってそうじゃなかったの? 私が潤の事を思い出せないでいた時、あんな酷い事ばかりしていたのに…一緒にいてくれたのはそういうことじゃない?」
「…そうだけど、――でも黒瀬は俺を殺そうとはしなかった」
「厳しいこと言ってもいい?」

大丈夫? と黒瀬が潤に問う。
潤が、うん、と頷いた。

「あの時の私なら、…ペットとしか思ってない相手になら…必要があれば何の躊躇もなく殺(や)れたよ。私の本質はそういう男なんだよ?」
「違うっ! 違うっ、ちがーーーーうっ!」

病室のガラス窓が、音波で割れるんじゃないかと思える程の大声で、潤が否定した。
佐々木が鼻に掛かった声で、えらく控えめに、

「あまり騒ぎますと…えっと、そのぅ…、個室といえども、看護師さんから叱られるんじゃないかと…」

と注意を入れたら、黒瀬から睨まれた。
そして手でシッシッと、犬のように追い払われた。

「…えっと、看護師が来ましたら、アッシが代りに叱られますので…ごゆっくり……」

鼻を啜りながら、佐々木が個室の前に立った。
急に鼻炎になったわけではない。
黒瀬と潤の関係に感動しての事だ。
殺されても嬉しいと言う黒瀬と、黒瀬の自虐的な告白を強く否定した潤に、込み上げてくる熱いモノがあった。
殺し屋となって現われた勇一の件で動揺していただけに、一気にそれは佐々木を突き上げた。
かろうじてその感動は鼻で止っていたが、いつ大粒の滴となって目から溢れてもおかしくない状態だった。

「黒瀬はそんな男じゃないっ! 黒瀬よりも黒瀬の事は俺の方が知っているンだッ! 俺が違うって言ったら、違う!」

個室の中では、まだ潤が大声を張りあげていた。