その男、激情!25

「離せっ、…ゴチャゴチャ言ってないで、手を離せっ、黒瀬武史」
「光栄ですよ、兄さん。俺の名前、覚えてくれてましたか?」
「兄さんやら組長やら、バカな事ほざいてないで、手を離せ。命が惜しくないのか?」
「この状況で、何を言ってるんですか。命の心配した方がいいのは、兄さんの方でしょ?」
「そうか?」

男が、黒瀬に捕られてない方の手を、ポケットに入れると中から拳銃を取りだした。

「一つだけとは、限らないんだよ、残念だったな。手を離せ」

男が黒瀬のこめかみに銃口を突き付けた。

「ボンッ!」

佐々木が慌てて二人の前に飛び出そうとすると、

「おっと、動くとこの男の命はないぞ?」

男は引き金に手を掛けて見せた。
黒瀬が佐々木に問題ない、と目で合図を送る。

「そう、良い子だ。そのままにしてろよ」

男は黒瀬を人質に取り、病室から通路に出た。

「兄さんと、夜の病院を散歩ですか? ふふ、深夜の病院で死んだはずの人間と歩く。幽霊話としては、ありきたりですね」

こめかみに突き付けられていた銃口は、脇腹に移動している。

「黙れっ!」
「ふふ、時枝を殺すのを邪魔して悪かったですね。自分が命を掛けて守った男を、自らの手で殺す。狂気めいていて、私好みですよ」
「黙れっ! 本当に撃つぞっ!」

二人は非常口に着いていた。

「どうぞ。撃ちたければ構いませんよ。弾の入ってない拳銃で人は殺れないとは思いますが」

黒瀬が男の前に拳を突き出すと、ゆっくり開いて見せた。

「バカな。…いつの間に」

掌で鈍い輝きを見せる五つの弾。

「殺し屋さんが、武器を一つしか所有してないと思う程、あいにく世間知らずではありませんよ。兄さんが佐々木に気を取られている隙に、抜いておきました」
「じゃあ、何故、ここまで来た!」
「ふふ、そんなの決まっているじゃないですか、兄さんを逃がす為でしょ。顔色悪いですし、早く休みたいんじゃないんですか? それとも、桐生の連中に引き渡されたいですか? それはそれでも、楽しそうですけど」

形勢はまた逆転した。
黒瀬が男が突き付けていた拳銃を取り上げ、自分が隠し持っていた別の拳銃を男の脇腹に突き付けた。

「兄さんだの組長だの、訳のわからない話で俺に手を引かせたいつもりか? 殺すなら、殺せばいい。命乞いなどはなっからするつもりはない」
「でしょうね。殺すのは簡単ですけど、肉親を手に掛けるのは、多少私の良心も痛みますし」
「いい加減なこと、言うなっ。何が肉親だっ!」

二人はもう非常口の外に出ていた。
怒鳴る男に、黒瀬が静かに、と口に指を当てる。

「気の毒に。洗脳されたわけじゃなく、記憶そのものが、ないらしい。ふふ、時枝を殺すまで、頑張ってみればいい。その前に、時枝から殺されないように」

さあ、行って下さい、と黒瀬が男を手で払う。
銃口は依然男の方を向いていたが、撃つ気はないらしい。
男が外階段を降りていく。
途中、何度も振り返り黒瀬を見上げていたが、その顔には覇気がなかった。
顔色が悪いだけあって、体調が優れないらしい。

「時枝に殺される前に、階段から落ちて死ぬんじゃないの?」

黒瀬はご丁寧に、男が地上に辿り着き、建物から去るまで、上から見届けていた。

「ふふ、やっと止まった時計が動き出したね」

独り言を楽しそうに呟くと、黒瀬が建物内へ戻った。