「武史、それは何だ?」
「見れば、分るでしょ? ハスキーです。兄さん、知らないんですか?」
大きな犬の縫いぐるみが入った紙袋が提げられていた。
顔の部分が入りきれず、袋から出ている。
「置いて行け。なんだって、そんなモノを提げてるんだ」
母屋で出迎えた勇一が、あからさまに嫌な顔をした。
「可愛いでしょ。もちろん、時枝へのお見舞いですよ? 犬と戯れていたようだから、こういうのがいいかなと」
「…武史、テメェ、本気で言ってんのか?」
勇一が、真っ赤な顔で黒瀬の胸ぐらを掴んだ。
「本気ですよ? 兄さんも見たでしょ、DVD。ふふ、濃厚な時間を過ごしたようだから、時枝も犬が恋しいんじゃないかと思っ…」
最後まで黒瀬が言い終る前に、勇一の拳が黒瀬の頬に飛んだ。
「組長さんっ!」
潤が、驚き声をあげた。
黒瀬は殴られたというのに、笑みを浮かべていた。
「何がおかしい?」
「おかしいでしょ? 犬ですよ? たかが犬如きで、兄さんが血相を変えている。しかも、俺が持参したのは、縫いぐるみ」
「お前、アレを見て、たかが犬如き、って、よく言えたな」
勇一は自分が呼び出したにも関わらず、黒瀬を呼んだことを後悔した。
「特別だと? 犬が時枝にとって特別な存在だと言うつもりですか? 兄さん、あなたがそう言うなら、時枝、もう、駄目ですよ」
ここに来る前、黒瀬は医者に電話を入れていた。
その時、時枝が犬に怯え痙攣したことと、勇一の腫れ物に触るような時枝への態度を聞いていた。
「なんだとっ。何が駄目なんだっ!」
勇一の拳が再度振り上げられた。
「組長さん、落ち着いてっ」
振り上げた拳を止めたのは潤だった。
両手でぶら下がるように勇一の腕を掴んだ。
「黒瀬も、挑発は大人げないぞ? 犬って何?」
潤は時枝が獣姦されていたことを知らない。
「時枝さん、犬好きだから、それ買ったんだよな? 違うの? 本当はネコが良かったとか?」
勇一が潤の方を向く。
「ネコも駄目だ!」
怒鳴られた。
「組長さん、変。そんなに怒らなくてもいいだろ」
「全くだ。これだから、治るモノも治らないんですよ。この辺の話は後でゆっくりさせてもらいましょ。どうせ、俺を呼び出した理由もその辺でしょ。先に時枝の間抜け面を拝ませてもらいます。はい、これは、兄さんが預けておきますよ。渡す渡さないはあなたが決めればいい」
縫いぐるみの入った袋を黒瀬は勇一へ渡すと、黒瀬は潤を伴い離れへ向った。
「くそッ、」
勇一の癇癪声と縫いぐるみを壁に叩きつける音が、廊下に響いたが、黒瀬も潤も振り返ることはなかった。
「時枝、元気?」
「時枝さん、体調どうですか?」
時枝は起きていた。
座椅子に腰掛け、本を読んでいた。
顔色は悪くない。
ただ、覇気はなかった。
「勇一が一緒ではないのですか?」
黒瀬と潤が訪ねてきたいうのに、時枝の関心は勇一にあるらしい。
「ふふ、兄さんなら今頃犬と遊んでいるよ」
「…犬、ですか?」
時枝の身体が小刻みに震えだした。
かなり重症らしい。
「時枝への見舞いにと犬の縫いぐるみを買ってきたんだが、何故か兄さんがね~、今頃投げたり踏んだりして遊んでるんじゃない? 動物虐待する趣味があったとはね~」
「そうですか、社長が縫いぐるみを私に…、あなたらしい選択です。勇一はじゃあ、怒っていたでしょうね」
「みて、ここ」
黒瀬が時枝に、勇一から殴られた頬を向けた。
「腫れてない? 兄さんに殴られた。この俺を殴るなんてね。ふふふ、兄さんの時枝への愛?」
「勇一が、社長を?」
「そうなんですよ、時枝さん。俺、ビックリしちゃった。あ、これ、定番ですけど、お見舞いです」
潤が時枝に花束を渡す。
「ありがとうございます。仕事、大変じゃないですか? 秘書課の連中に社長のお守りを押しつけれているんでしょ?」
「お守りはしてませんが…新人なのに、社長の側で仕事をさせて頂いてます。あ、ちゃんとしてますから。でも、まだまだ俺じゃあ…、時枝さん、早く復帰して下さい」
「…そうですね。そのうち、復帰したいと思いますが…今の私では、迷惑を掛けることの方が多いと思います。社長にもご迷惑をお掛けすることとなり……社長、頬、大丈夫ですか? 勇一も何を考えているのやら。社長を殴るなんて」
「何をって、時枝の事だろ?」
「…勇一は…、同情しているだけです。もう……」
時枝の目が曇る。
「もう、何?」
「あ、私としたことが、社長に何を言っているのでしょう。気にしないで下さい。今、お茶を煎れます」
時枝の目が潤んだのを、黒瀬も潤も感じていた。