秘書の嫁入り 犬(22)

「社長が、お会いになるそうです。ん? どうなされました?」
「あ、いや、ちゃんと秘書さんなんだな~と思いまして…」

普通のスーツに身を包んでも、どこか筋モノの雰囲気が漂うのは、佐々木が根っからのやくざだろうか?
そのやくざが、面食らったように、自分を案内してくれている潤を見ている。

「当たり前です。ここ、会社なんですから」

公私混同していると思われていたのかと、潤は内心ムッとした。
確かに、社長室で就業時間外にイケナイ行為に耽ることもあるが、それは黒瀬が仕掛けてくることであって、通常はちゃんと秘書としてのケジメを付け仕事をしている。
特に、時枝不在の今は、時枝の分まで仕事に励むつもりでいた。

「失礼しました」

潤の心の声を読み取ったのか、佐々木が詫びをいれる。

「社長、佐々木さんをお連れしました」
「ご苦労さん、一休みしていく?」

潤は、会社では仕事モード全開だが、黒瀬は違った。
あまり公私の区別はないようだ。
それでも潤が嫌がるので、人前では「市ノ瀬」と名前でなく旧姓で呼んでいる。

「いえ、結構です。今お茶をお持ちします」

黒瀬が佐々木を睨んだ。

「あ、いや、お気遣いなく、」

潤をこき使う気かという黒瀬の意図を感じ、慌てて佐々木が断りをいれた。

「そうですか? では、お言葉に甘えて仕事に戻らせて頂きます」

潤が消え、社長室に黒瀬と二人きりになると、佐々木が突然頭を下げた。

「今日は、桐生組若頭として、武史さまにお願いに参りました」
「なんだか、仰々しいね。座れば?」

黒瀬がデスクを離れると、応接セットのソファに腰を降ろし、佐々木にも座るように促した。

「いえ、アッシは…」
「座れ、」

冷たく命じられ、怒らせたら大変だと、素早くソファに腰掛けた。

「で、お願いって何? 俺も結構忙しい身なんだけど。時枝いないし、中国へもまた出張控えているし、潤との甘い時間を一分でも長く取りたいし。そんな俺にお願いって、佐々木も結構図々しいよね」

お願いなどするなと言われているようなものである。
佐々木が座ったばかりのソファから跳び上がるように立つと、黒瀬の足元に平伏した。

「時枝さんが回復するまでの間で結構です。どうか、桐生に戻っては頂けませんでしょうかっ。組長の代わりを務めて頂きたいっ!」

佐々木が必死で訴えた。
勇一が突然仕事をしなくなって、組の内外に勝手な憶測が飛び交いだした。
男と無理心中を図っただの、女に骨抜きにされただの、酷い鬱状態だの、桐生の現状はぐらぐらで、足元を掻っ攫うなら今だとか、嫌な噂ばかり広がっている。
会合にも顔を見せない勇一に、桐生の上の関東清流会も快くは思っていない。
若頭の佐々木が代理出席する度に、現生の土産を持参している。
それでなんとか、「桐生の若造も偉くなったものだ」の嫌味一つで済んでいるのだ。
佐々木一人で勇一の代理を務めるには、口実も尽きてきた。保つ
いっそ、勇一を病気ということで、勇一よりも闇世界には顔が利く黒瀬に、やくざの表舞台に立ってもらいた方が、桐生は保つだろう。
今日、佐々木は黒瀬に命を取られる覚悟できたのだ。

「はあ、なにそれ? 佐々木、俺は桐生の人間じゃないんだけど。俺にやくざになれっていうの? 真っ当な市民捕まえて、よくもまあ、そんなことが言えたものだ。だいたい、会社の評判にも傷が付くだろう? クロセの取締役が、桐生の組長代理なんて、世間が認めるわけないだろう? 経済誌になんて書かれるか…。全く、しょうがないこと考え付くね」
「じゃあ、ボンは、このまま、桐生が潰れても良いと仰有るのですかっ! それじゃあ、時枝さんが、可哀想過ぎますっ!」

興奮状態で、佐々木が床の上から黒瀬に喰って掛った。

「どうして、時枝なんだ? 時枝だって、やくざは本当は嫌いだろ」
「ボンッ、誤魔化さないで下さいっ。本当は今回のこと、何が目的か分っているんじゃないんですかっ!」

黒瀬の眉間に一瞬皺が寄った。

「ふふ、佐々木も見た目と違って鋭いね」

佐々木の見た目は決してボヤッとはしていない。
左目の横には傷が走っているし、小さな子が見たら、親の後ろに隠れて泣き出しそうなぐらい強面だ。