秘書の嫁入り 犬(20)

「なんで、藪医者が見て良くて俺はいけねぇんだ? こいつは俺の男だっ!」
「大声ださなくても、知ってる。で、そっちの色男と若いのも、デキてるよな? 何年桐生の世話してると思ってる。ハイハイ、早く連れ出して」

潤が、組長さん行きましょうと、腕を取る。
組長さんには見られたくないと思いますと潤にも言われ、渋々腰をあげた。
安定剤が効きすぎているのか、足取りがおぼつかない。
そんな勇一を黒瀬と潤が両サイドから支えた。

「佐々木、テメェ、目を瞑ってろよっ。俺が見届けられないもの、勝手に見るんじゃねぇぞ!」
「全く煩いガキだ。若頭には、見えない角度に立たせるから、安心しろ」

本当にガキですね、と黒瀬が医務室の外の廊下に座り込んだ勇一を、上から見下ろしていた。

「あのお医者さん、なんか強烈…」
「腕はいいはずだから、潤、安心して。それにやくざ相手に治療するぐらいあって、胆も据わってるし、口も固いし。時枝もすぐに回復するよ」
「そうだよね。時枝さん、俺より強いはずだから、大丈夫だよね」

潤の方が強いんだよ、と黒瀬は思ったが、口に出さなかった。
ある程度までは、人生経験が長い分、時枝の方が強いだろう。
誰かに強姦されたぐらいなら、自分で克服できる強さはある。
が、それ以上となると、潤の方が強い。
測れる辛さは克服できる男だが、想定外のことには弱い部分がある。
勇一の見合い話の時だって、自分で確かめようとはしなかった。
しかも、変なところが常識人だ。
非合法なことにも手を染めるくせに、日々、世間一般の常識に照らし合わせ、説教をする。
そういう人間に、あのDVDに映っていたようなことを「忘れろ」と言っても無理だろう。
何より、焼き印のような火傷。
皮膚移植したとしても、痕は残る。
一生消えない傷を目にする度に、時枝がどう感じるのか。
黒瀬は自分の背のケロイド状の傷と、時枝の火傷を重ねていた。

「ふふ、もし、時枝が弱かったら、潤が叱ってあげればいいんだ。いつも叱られているから、仕返しね。潤に叱られたら、時枝は強くならざると得ないよね」

中では医者が黙々と治療をしていた。
勇一はまだかまだかと苛つきながら床を叩き、黒瀬と潤は時枝の今後を案じていた。

 

 

「…助かってよかった」

全身、ガーゼやら包帯やらで、ミイラのような状態の時枝の手を勇一は握っていた。
治療の終わりが告げられ医務室に飛び込んだ勇一は、意識のない時枝の手を取ったまま、離れようとはしなかった。
黒瀬と潤は、自分達のマンションへ戻り、医者は何かあったら直ぐに対応出来るようにと離れに泊まることになり、佐々木は医務室に近い部屋へ自分の布団を運んだ。
動かない勇一の為に、佐々木が簡易ベッドを時枝のベッドの横に組み立てやった。

「敵(かたき)は、俺が取ってやる」

ホッと安堵しつつも変わり果てた時枝の姿に、押さえようのない怒りが湧いてくる。
守れなかった自分と、こんな目に遭わせた者達への怒り。

「…ゆう、い、ち…」

昏睡状態の時枝が、苦しそうに勇一の名前を呟いた。

「勝貴っ、俺っ、ここにいるぞ、勝貴っ」
「…ご…め、…ん…」

絞り出すように言うと、それっきり時枝の口は閉ざされた。

「どうして、俺に謝る。なあ、勝貴、お前俺に何も悪いことしてないじゃないか…謝るなよ…くっ」

怒りと哀しみと後悔と安堵と情けなさで、勇一の頬は濡れていた。