秘書の嫁入り 犬(19)

「…なんて、こった…」

袋から立ち込めた異臭の元は、焼けただれた時枝の皮膚だった。
尻の下、左脚の太腿の付け根から膝の裏まで、バーナーか何かで焼かれたような酷い火傷が広がっていた。
ここに連れてこられる直前に焼かれたのか、まだぐじゅぐじゅと汁が出ていた。

「兄さん、早く医者を。佐々木、どこだっ! 担架を持って来てっ! 早くっ!」
「勝貴っ、しっかりしろっ」
「医者を呼んで下さいっ! 兄さんっ! 桐生の掛かり付け、早く」

黒瀬が携帯を勇一に渡した。
医者を大至急で呼び出す。
警察沙汰にはできないので、普通の病院には連れて行けない。
本宅にはある程度の医療設備も整っている。
手術さえ必要なければ本宅で治療はできるが、念の為、救急車代わりのワゴン車の手配も忘れなかった。
火傷の面が担架に接触しないよう俯せに寝かせると、四人で医務室へと運んだ。
庭での騒ぎで、一旦は散っていた本宅住まいの若い衆が、何事かとぞろぞろ顔を出す。

「なんでもねえ、散れ」

時枝の哀れな姿を見せたくない勇一が、怒鳴りつけ、佐々木が心配ないと追い払った。

「医者はまだか」

担架からベッドに時枝を移す。
上から何かを掛けてやりたいが、火傷部分が酷すぎて、それも出来ない。
意識のない時枝は発熱しているらしく、うっすらと汗を掻いており、時折、唸り声を洩らしていた。

「潤、辛かったら、出ていていいんだよ?」

青い顔の潤は、今にも倒れそうだった。

「…大丈夫。…良くなるよね、時枝さん、死なないよね、ねえ、黒瀬…」
「大丈夫だから。これぐらいの火傷じゃ人間死にはしない。その他の傷は全部治る。身体の傷は、治る。火傷は痕になるかもしれないが、皮膚の移植手術もあるし。見た目はほぼ完治すると思うよ」

いたぶるのが目的の傷だ。
どれもそうだ。
嬲るだけ嬲った、拷問のような傷の跡だ。
足の爪も数本剥がされていた。
DVDに映っていたのは、あれでもほんの一部だったのだ。
生かさず殺さず。
命を奪うのが目的ではない。
冷酷なことには、長けている黒瀬の目には明らかだった。
黒瀬が「見た目は」と言ったのは、言葉通り外見だけは完治するだろうと、いう意味だ。

「兄さん、分っていると思いますが、時枝、多分精神的なダメージの方が大きいですよ。俺と違って、潔癖な男ですからね」
「そんな心配は、身体が元に戻ってからだっ! 医者は何してるんだっ! 佐々木、さっさと連れてこいっ!」

勇一には、時枝の精神状態まで考える余裕がなかった。
黒瀬は死ぬ程じゃないと冷静に判断を下していたが、勇一はそうじゃなかった。
時枝の命の灯火が、ふっと消えてしまうんじゃないかと、潤同様、怖くて仕方なかった。
佐々木が医者を連れて来ると、勇一は憤りを医者に向けた。

「てめえぇえ、チンタラやってるんじゃねえぞっ!」

医者の首に手を掛け、締め上げた。
その勇一の腹を医者は蹴飛ばした。

「落ち着け、見苦しい。あんた、それでも組長か。はん」

いつも荒くれ者を、治療しているだけのことはある。
自分を締め上げた勇一を鼻で笑った。
佐々木と同年代ぐらいの医者は注射器を取り出すと、時枝を診るより先に、つい今しがた自分の首を絞めていた勇一の腕を取り、黒瀬に勇一を押さえるよう指示を出す。

「このヤブ医者がっ! 診る相手が違うだろうが」
「うるせ~ガキだ。あんたが治療の邪魔だから邪魔されないようにだ。これで、気を落ち着かせろ」

ブスリと注射をぶち込んだ。
精神安定剤らしい。
邪魔だと勇一を椅子に座らせ、助けたいなら大人しくしてろと吐き捨てると、医者は時枝の側へ行った。

「ありゃ~、こりゃ、色男も台無しだ。えっと、誰が助手を務めてくれるんだい?」
「そりゃ、アッシが」
「若頭か。なら、安心だ」

医者と佐々木が、時枝の治療にあたる。
佐々木は黒瀬が薬物中毒になったときもそうだが、怪我人や病人の扱いにはなれている。
この医者の助手を務めることも何度かあり、手際よく、医者の指示通りに動く。
勇一は安定剤が効いてきたのか、「勝貴~」と時枝の名を呼びながらも大人しく座っている。
その両端に黒瀬と潤が立っていた。
少しでも勇一が動きそうになると、二人して肩を押さえつける。

「兄さん、」
「組長さん、」

二人掛かりで咎められれば、見守ることしか出来ない。
意識のないはずの時枝だが、火傷部分の治療が始まると、痛みが走るらしく呻き声がたえない。

「ちょっと、そこの色男と若いの、悪いがその男、外に連れ出してくれないか?」
「大人しく、してるだろうがっ!」
「この兄ちゃん、多分あんたには、見せたくないんじゃないのか? 意識がなくても、あんたにだけは見せたくない傷だろうよ。気を利かせろ」

医者が時枝の尻の割れ目を指さす。
今から、局部を治療するというのだ。