秘書の嫁入り 犬(25)

「色男に、何があった? あんた、側に付いていたんだろ? タオルを噛ましたのは正解だった。引きつけを起こしかけていたな、こりゃ」

駆けつけた医者が、目が覚めて、暴れるようならこれ使えと、安定剤を使い捨ての注射器ごと勇一に渡した。

「子犬に怯えたんだ。可愛い犬だった」
「そうか、無理もあるまい」
「知ってるのか? こいつが、その…」
「獣姦が行なわれた。それが犬だった。他の動物もあるかも知れないが、肛門の周囲と腸の中に、犬の毛が付いていたんだよ。それだけじゃないが、まあ、この色男は地獄を見てるね」
「そうか、バレバレか…。あんた、ヤブでも医者だもんな」
「だ~れが、藪だ。俺のお陰で、ここの連中は警察に通報されずに鉄砲傷やら刀傷を治療できてんだろうが。ったく、ばれたら医師免許はく奪もんだ」
「そん時は、桐生で面倒みてやるよ。はあ、藪医者の医師免許より、こいつだ。犬が嫌いで怖いヤツでも日常生活は送っているだろうが、こいつのは尋常じゃない。先生、普通とまではいかなくても、痙攣したり失神したりしない程度までには、克服できるものか?」
「さあな。メンタル面は専門外だ。多分、この色男、犬だけじゃないと思うぞ。実際、使われたのは犬だけかも知れんが、ネコでもパンダでも、動物全般ダメかも知れん。毛並みが犬を想像させるのは、多分全般ダメだろうよ。実験するわけにはいかないが、子犬でダメならサイズ・姿・どう猛さには関係ないって事だろうからな」
「なに、脅してくれてんだ? は? 一生勝貴は動物園に行けないのか?」

医者が勇一を呆れたように見た。

「動物園は別に行けなくとも構わないだろ? 三十過ぎにオッサン二人が動物園デートするつもりか? 頭痛がしてきた」

わざとらしく頭を抱えてみせ、お茶ぐらい出したらどうかと、医者はぼやいてみせた。

「玉露でもないのに、なんでこんなにぬるいんだ…、」
「人に煎れてもらって文句を言うな」

勇一直々に煎れたのだが、離れのポットは魔法瓶なので、朝熱々の湯を入れていても夕方には六〇度ぐらいに冷める。 
時枝が抹茶玄米茶が好きなので、離れの茶筒には、それしか用意してない。

「動物園どころじゃないぞ、組長。街を歩けば、動物のポスターや縫いぐるみ、冬になれば毛皮のコート、テレビを付ければ、それこそ動物が出てくるドラマやらコマ―ショルやら多い。特に犬は多い。その全部を排除してやることは無理だろ? 火傷も治ってきて、身体は直ぐに普通に戻る。一生、この離れで暮らすわけにもいかんだろうし」
「メンタルは専門外って言いながら、脅してくれるよな」
「脅しだったら、いいけどな。あんた、組、張ってる割りには、中途半端に優しそうだから、心配してやってるんだ。こういう時は、弟の残酷さが組長さんにも欲しいよな~」

横目で勇一を一瞥し、ズズズとぬるいと文句を言っていたお茶を啜る。

「傷口に塩を塗ることも時には必要かもしれんな。あんた、傷口に、砂糖塗ってるだろ? 砂糖に蟻が集って、傷口内に侵入しているんじゃないのかな? ジンワリ、傷を癒すどころか広げているかもしれんな~。精神科医紹介してやってもいいが…根掘り葉掘り訊かれるぞ。催眠療法も有効かもしれんが…どっちにしても、俺以外の医者が知れば、警察沙汰になる。まあ、まずはあの弟に相談してみろ」

武史が助けになると、言うのか?
そんなわけあるか…だが、あいつは親父からの虐待を乗り越えた。
いや、乗り越えたというより、それを糧に今の自分を作り上げた。

「武史か…」
「プライドはいらんだろ。早くこの色男、楽にしてやる方法を探してやれ」

また、引きつけを起こすような痙攣をおこしたら、直ぐに呼べと医者は帰っていった。

「勝貴、ごめんな。俺はどうやったらお前を楽にしてやれるのか、分らないんだ…」

時枝の寝顔を眺め、ポツリ勇一が洩らした。
静かに夜は更けていった。