その男、激情!90

「おっかねぇことは、やめて下さいっ、」
「実在しない銃口を怖がるな、バカバカしい」
「ですが、組長、目が…本気です」
「当たり前だ。狙っているからな」
「アッシが、何かしましたか?」
「お前を狙ってるんじゃねえよ。馬だよ、馬」
「う、ま、って、あのパッカパカ走る、あの、馬ですか?」

勇一の言葉に、佐々木の顔から血の気が引いた。

「それ以外のウマって、ねえだろ。しっかりしろ、桐生組若頭。おかしな馬の顔がファインダー越しにちらつく。その頭を狙ってんだよ…」

勇一が構えを解いた。

「…あの、…組長。今のは」
「錯覚だろ。笑えるが、スーツ着た馬と豚と美少女がちらついたんだよ。勝貴を撃ちやがった橋爪の野郎と同じ場所に立ったんで、脳味噌が興奮してるんだろ」
「…そうですよ。スーツを着た馬なんて有り得ません、です」

佐々木の額にはうっすらと汗が滲んでいた。
あの時のマスクが今どうなっているのかと、心配になった。
間違っても勇一の目に触れさせるわけにはいかない。
時枝を撃ったことの記憶が勇一に戻れば、時間のズレどころじゃない。
あの時は、時枝を病院に搬送することで必死だった。 
脱いだマスクがどうなったのか、あの時の佐々木には全く関心がなかった。

「武史は腕が悪いと言っていたが、お前はどう思う? この場所を選ぶとなると、特殊な訓練を受けた者だろ」
「…その根拠は」
「この高さだ。これぐらいの高さだと一発で仕留めて姿を眩ませないと、自分の身が危険だろうが。通常、スナイパーは、銃撃した後のことも考えて場所を選ぶ。プロとなれば、顔が割れることも好まないはずだ」
「…もちろん、仰有る通り、生業にしているヤツだと思いますが…、時枝さんは一発ではありません。幸い、一命も取り留めましたし…、ボンが仰有る通り、腕は…そんなに…」
「腕に自信がある。たぶん、今までに一度もヘマはしてないはずだ。今回が、何らかの事情で特別だったんだ。それが幸いしたんだが…」

う~ん、と、勇一が考え込む。

「…組長?」
「急ぐぞ、佐々木。下手すると橋爪を他に掻っ攫われる。仕事に失敗した殺し屋の末路など、知れている。ヤツをやるのは、この俺さまだからな」

これ以上この場にいても無駄だと勇一は判断した。
大股で歩き出す。

「待ってくださせーっ。今度はどこにっ、」

次はどこに向かう気だ、と佐々木が追い掛ける。

「事務所に戻るだけだ」

くだらんことを聞くなと、その声は語っていた。

「なあ、佐々木」

行きと違い、二人は横断歩道で信号が変わるのを待っていた。

「テメェんとこのガキ、いつ戻って来るんだ?」
「ダイダイ、大喜は……未定です」
「お前、舐められてるんじゃねえのか? 何やったんだ? ついに、離縁か」
「組長ぉお、脅さないで下さい。アッシにも何が原因か…」
「連れて来い、」

信号が青に変わった。

「って、…大喜をですか?」

横断歩道を渡り始めた勇一の背中に、佐々木が訊いた。

「ああ。訊きたいことがある」
「組長の手を患わせるような事では。これはアッシとダイダイの問題ですから」

下手に勇一に介入され、これ以上大喜の機嫌を損ねたら大変だと、佐々木が慌てた。

「アホ。訊きたいことがあるのは、テメェらの痴話ゲンカについてじゃなぇよ」
「じゃあ、何についてですか?」
「個人的なことだ。佐々木には関係ない」
「――個人的? 関係ないって、…まさか、組長っ、」

佐々木が、先を歩く勇一の前に回り込んだ。

「そりゃ、あんまりですっ! 時枝さんという立派なお方がお有りなのにっ!」
「は? 何、興奮してんだ?」

横断歩道の真ん中。
信号が点滅に変わっていた。
だが、佐々木が勇一の前を塞ぐので、二人とも止まっていた。