その男、激情!89

「情け無い話だが、時枝が銃撃された際の記憶が俺にはない。詳しい状況を教えてくれ」

勇一の中で、記憶がない部分は全て黒瀬のせいとして処理されていた。

「俺もその場にいたのか?」
「いらっしゃいません!」
「そうだよな。いたら、勝貴をあんな目に遭わせるはずがない。一人だったのか?」

佐々木と木村が、ハッと顔を見合わせた。
そして、二人揃って勇一の前に並ぶなり、床にその身体を沈めた。

「申し訳ございませんっ!」

二人並んでの土下座。

「アッシらが、一緒だったんです」
「立て。土下座はいいから、詳しく話せ」

立たずに、二人とも顔だけをあげた。

「…その、…時枝さんは、この事務所に用事があると申すので、アッシらが一緒に本宅から同行したのですが…車を降りたところで、向かいのビルの屋上から狙撃にあったと…言うわけです」

間違いではないが、かなり端折った説明だった。
用事の内容を細かく聞かれたら何と答えようかと、佐々木の頭の中はグルグルしていた。
木村はというと、佐々木が被り物の事を言わなかったことに胸をなで下ろしていた。
羞恥極まりない過去を、今更ほじくり返されるのは真っ平だった。

「向かいのビルからか…」

勇一が、事務所の窓に立つ。
腕を組み、道路挟んで真向かいに立つ雑居ビルに視線を沿わせた。

「佐々木、屋上からで間違いないんだな」
「はい。警察の検証も行なわれたので、間違いありません」
「行くぞ、」

スタスタと勇一が入口ドアに向かって歩き出した。

「ちょ、ちょっと待って下さいっ! 組長ッ! どこに行かれるんですかッ!」

慌てて佐々木が追い掛ける。

「向かいのビルだ。サッサとついて来い」

結局勇一が事務所にいたのは、ものの数分だった。

「留守頼む」

木村達を残し、佐々木は出て行った勇一を追い掛けた。

「組長ッ、信号を渡って下さい!」

車の往来を無視し、着流し姿の勇一が車道を横切る。
急ブレーキの音やクラクションがけたたましく鳴っているというのに、気にもしてないようだ。
勇一は前のビルの屋上を見上げ、マイペースで道路を渡りきった。
車の方が勇一を避けた形だったが、佐々木となると話は別らしい。
車はクラクションを鳴らしながらも、スピードを落とす気配がない。
いい歳をした中年男が、バレエを舞うようにクルクルと回りながら、なんとか車道を渡り終えた。

「…はあ、…はぁ、危なかったぁ、まだ、死ねね~…。ダイダイと行き違ったままで、死ねるかっ、…あれ、組長は? 組長ぉーっ、待ってくだせぇえ―ッ!」

勇一の姿は佐々木の視界から消えていた。
行き先は分っている。
雑居ビルの屋上だ。喫茶店横に階段がある。
エレベーターの存在を確認する前に、目の前の階段を佐々木は駈けのぼった。

「遅いぞ、」

検証跡の残る隅に、勇一が仁王立ちで佐々木を迎えた。

「…はぁ、…はぁ、申し訳ございません」
「ここから、狙ったんだな」

勇一が、ライフルを構える仕草をした。

「…その日、…俺は」
「はい?」
「…どこにいた?」
「どこって、そりゃ、…もちろん、」

ココですとは言えない。

「事務所だよな」
「はい」
「デジャブって、知ってるか?」

ファインダーを覗く仕草のまま、勇一が佐々木に訊いた。
デジャブ=既視感だ。
もちろん、佐々木でも知っている言葉だった。

「初めてのはずなのに、前にも見たことある、ってやつじゃ…」
「ああ。ソレだ。ここから下を覗いたことがある」
「…気のせいですよ」
「だろうな。尤も、不思議なのは、こうしてファインダー覗くと、」

構えた仕草のまま、勇一が佐々木の方を向いた。
今、ライフルの先は佐々木を向いている。