その男、激情!88

「渡部はいいとして、俺がいない間に、何か気苦労があったのか?」
「いない間?」

記憶ないっていったじゃないですか、と今度は皆の視線が佐々木に集中した。

「この一週間という意味ですよね、組長」

皆の視線の意味に気付いた佐々木が、早口で勇一に確認した。

「ああ。武史に代理を頼んだ覚えはないぞ」
「はい、ボンはおいでになっていません。本宅に姿を出しただけで。気苦労というか、皆、時枝さんの事を心配しているんです」
「はい、組長が銃撃されたのが――ヒッ」

時枝がこの三年組長だったのだ。
時枝=組長の呼び名が浸透していた。

「バカッ、」

正直なあわて者を、木村が殴る。

「間違えましたっ、組長とその…仲がよろしいので…つい、その…時枝さんの事を…」
「そうだよな、皆、勝貴の事では、俺が不甲斐ないばかりに、心配かけて申し訳ない。やつもこんなに慕われているなら、いっそ、武史の元を離れて、桐生に籍を置けば良いんだ」

既に置いてますとも言えず、

「時枝さんが回復したら、話し合われてはいかがです? アッシら全員、大歓迎致します」
「だが、これ以上、勝貴を危険な目に遭わせる訳にもいかねぇだろ」
「ボンの側でも安全とは…あ、ボンにはご内密に」
「そうだな。俺の伴侶と公表した以上、どこにいても同じか…。その勝貴のことだが、俺は勝貴の仇をとる。異存のある者はいるか?」

勇一が事務所内を歩きながら、一人一人の顔を見た。

「そんな者、一人もいません!」

当たり前の組員の反応を、佐々木は複雑な想いで見ていた。

本宅で、勇一として目覚めて一週間が経っていた。
桐生本宅内で、その日のうちに佐々木から組員に説明が入った。
些細なことで年月のズレを気付きそうなものだが、幸い、勇一は時枝の看護に掛かりきりで、自分の身体に残る銃創も「記憶ないな。武史のせいで忘れたに違いない」と、深刻には捉えてなかった。
既に時間の経過で、生々しさのない古傷になっていた傷の原因を思い出せないことに、重大な何かが潜んでいるとは思いもよらないといった感じだ。
ヤクザという職業柄、そういう痕が身体を飾ることは珍しくないと思っているのだろう。
勇一の程良い単純さが、一週間経った今も勇一にまだ時間の経過を気付かせずにいた。
時枝の身体は順調に回復していた。
医者が説明したとおり、下半身が動かないが、それ以外は日に日に回復していた。
気力が一番の治療薬になっているようだ。
側に勇一がいる。
そのことが、時枝に奇跡的な快復力を与えていた。
弾が掠った額の傷は、既に瘡蓋状態だ。
点滴も既に外され、自由ではないものの腕も動かせた。
時枝が回復してくると、勇一の頭は「橋爪」でいっぱいだった。
拉致された時の仇をとってないこともあって、勇一の怒りの矛先は「橋爪」に注がれていた。
『橋爪だな。台湾の李か。桐生の総力を挙げて勝貴の仇をとってやるっ!』と、黒瀬や潤の前で宣言した通り、戦闘の指揮を自らとるつもりで、『一週間ぶり』の組に、勇一は顔を出した。
一方、桐生内部では勇一の事は佐々木の説明で既知となっていたが、外部は別だった。
外部には勇一が戻ってきたことは知らせてなかった。 
しかし勇一酷似した男が桐生に居座っているとの噂は既に広がっていた。
噂により、桐生の内部に探りを入れようとしているのは、もっぱら桐生より格下の組ばかりだ。
もっとも清流会の浦安などは、はなっから勇一の死を信じておらず、噂がたった段階で「長い遠足からお帰りかい?」と、佐々木に直に電話があったぐらいだ。