その男、激情!87

***

 

「組長っ、…組長がっ、…組長がっ、組長に、戻ってるぅうううっ」

窓に張り付いていた、桐生の若手が驚愕の声をあげる。 
組長専用車から降りてきたのは『橋爪』に撃たれた時枝ではなく、過去に自分たちが組長と呼び慕っていた男だった。

「ナニ、意味不明のことほざいてるんだっ。てめぇら、若頭の話聞いてなかったのかっ。いいか、粗相するんじゃねえぞ」

桐生組の事務所の内部は、ざわめき立っていた。
佐々木からの連絡で出迎えは要らないというので、皆、事務所の窓から外を見下ろしていた。
既に勇一が戻ってきていることは知っていた。
佐々木が本宅に本部にいるもの全員を集め、『実は、』と勇一が生存不明の行方知れずだったことを話したからだ。
時枝が入院している病院で、数名の組員は勇一の姿を見ていたが、その数名は黒瀬の脅しで他には洩らしてなかった。
よって、殆どが佐々木の話で勇一の生存を知ることとなった。

「もちろんですっ! 新聞も雑誌も片付けましたし、本宅同様テレビも壊してありますっ。あ、カレンダーに、年号が」
「さっさと、外せ。急げ、足音が聞こえる」

黒瀬は勇一が年月のズレに気付いても構わないと言っていたが、佐々木は最大限その時期を延ばそうと画策していた。

『戻ってきた先代――組長にはご自分が行方不明になった経緯もこの間の記憶もない。戻って来たばかりの組長を混乱させない為にも、しばらく三年の空白を悟らせないように。もちろん、葬式まで済ませていることは、口が裂けても、ボンに脅されても言うなよ』
『口が裂けるぐらい我慢出来ますが……元組長代理に脅されたら…自信が有りません。なあ、みんな』
『…はい、自信が有りません…』
『例えだろっ、バカどもが』

普段黒瀬からはバカ呼ばわりされることの多い佐々木だが、組の中では尊敬を集める存在だ。
時枝が組長としてやってこれたのも、佐々木が率先して時枝に敬意を払ったからだ。
本宅でのやり取りで皆心構えは出来ているはずだが、いざ数年ぶりに勇一と向き合うとなるとやはり緊迫した空気が事務所内に漂う。
聞き慣れた足音と、懐かしい足音。
一つは革靴のコツコツという音と、一つは雪駄のザッザッザッという音。
二つの音が三年ぶりの和音を奏でていた。
来るぞ、来るぞ、来るぞ―っと、組員の視線が入口ドアに集まった。

「! 散れッ」

佐々木がドアを開けるなり一喝し、ドアを閉めた。
勇一の登場が気になるあまり、視線だけでなく組員のからだ本体も入口に寄っていた。

「どうした?」
「…なんでもありません。どうぞ、中へ」

改めて佐々木がドアを開ける。

「お、…お、…お、」

真っ先に挨拶を入れようとした一人が勇一の顔を見るなり、おはようの【お】だけで言葉を詰らせた。

「おはようございますっ! 組長」

その横にいた若手の代表格の木村が、声を詰らせた一人の足をギュッと踏むと同時に慌てて挨拶を入れた。
他の者が、それに続く。

「朝から、気合いが入っているな。まあ、元気なことはいいことだ―――ん?」

勇一が、自分に向けられた顔を見渡した。

「何か?」

佐々木の問いに、勇一が首を傾げた。

「うちの組には、何か悪い病でも流行っているのか?」
「と、申しますと?」
「佐々木の所のガキもそうだが、一斉に老け込んでないか? 渡部、お前、頭…」

渡部という現在三十の男の頭に皆の視線が集まる。
皆、しまった、という顔で視線を頭のある一部に注いだ。
M字に禿げかけた額だ。
勇一が姿を消す前には、ソコはM字ではなかった。
一直線に髪が生えそろっていた。

「何でもありませんっ! どうぞお気になさらずにっ」

渡部が額に手をやりながら、後退った。

「何でもないって、それ、禿げてるだろ」
「組長、渡部のハゲは気にしないで下さい。昔のダチに誘われて、いい歳してそり込み入れただけですから」

木村が慌ててフォローを入れた。
だがどうみても、抜け落ちたのと剃ったのでは生え際が違う。

「お前、毛抜きで抜いたのか? 本当に禿げるぞ」

皆、内心で『本当に禿げてるんです』とツッコミを入れていたが、もちろん顔には出さない。

「気を付けますっ!」

渡部に植毛を命じようと、佐々木はこの時本気で思った。