その男、激情!85

「黒瀬、佐々木さん泣いてるよ」
「ゴリラというより、珍獣だね。ふふ、あのお猿の父君相手に泣きつくなんて、面白い」

大喜の父親は、極端に若いのだ。
大喜と九つしか違わない。
ぱっと見、兄弟にしか見えない。
元は大喜の家庭教師で、大喜の母親と結婚した為、大喜の父親となった。

「いっそ、佐々木があの父君とも関係をもてば、楽しいのに。お猿と母君を巻き込んでの泥沼」
「無理無理。佐々木さんだよ。不倫なんて、有りえない。プロ相手でも無理だろうから」
「そうだね、時枝や兄さんとは違うね」
「…時枝さんと、組長さんか…ある意味こっちが泥沼な気がする。…どうなるんだろ? 戻って来て良かった良かった、という単純な話じゃないよね?」

二人の関心は、もう佐々木から時枝と勇一に移っていた。
佐々木はまだ携帯を握りしめ、鼻水を啜りながら大喜の父親と話している。

「時枝は、単純に喜んでいるんじゃない? 狙撃されたことも恨んではなさそうだし」
「でも、組長さんは相当頭にきてる。仇とるつもりでいるし…ややこしいよ」
「とればいいんじゃない? 兄さんが橋爪へ報復する。ふふ、楽しそう…」
「黒瀬っ、」
「大事な者を傷付けたんだから、報復は当然じゃない? それが自分自身でも」

潤が、黒瀬の胸に手を伸ばした。シャツの上から縦に指を滑らせた。

「…黒瀬、…まだ、自分を責めているのか?」

潤の指がなぞっているのは、黒瀬の胸に残るスプーン型の火傷痕だ。
数年前、黒瀬自らが付けた懺悔と誓いの痕だった。

「潤を傷付ける者は、私自身でさえも許せない…愛してるよ、潤」
「…黒瀬…。黒瀬だけは俺を傷付けていいって、いつも言ってるだろ」

二人の視線が絡み合い、二人の距離が徐々に縮まっていく…唇が触れそうになったちょうどその時、

「ぅグッ、電話、終わりましたっ」

鼻声で、佐々木が割り込んで来た。

「空気の読めないゴリラだ」

冷やかな、凍りそうな程冷たい黒瀬の視線。

「…あの、アッシが、何か?」
「しかも、汚い顔。せっかくの食事が台無しじゃない。食事が済むまで後ろ向いてて」
「…あの、勇一組長のことで話をするんじゃ…」
「話に、顔は関係ないだろ? 後ろ向いていても会話はできるじゃない。やはりゴリラだけあって、バカだ」
「黒瀬、それは違うぞ。賢いゴリラもいる」
「そうだね、他のゴリラに失礼だった。潤、私の膝においで。一緒に食べよう」

佐々木は黒瀬と潤に背を向け、潤は黒瀬の膝へと移動した。

「…もう、…ばかっ、…駄目だって」
「ボ、武史さまっ、一体何を…」
「何って、食事。それで、兄さんの事だけど…」

食事では聞こえないはずの水音や、潤の甘ったるい声が洩れる中、黒瀬が勇一の話を始めた。
佐々木は雑念を払うように太腿を抓り、組内外への対応を黒瀬と話し合った。
鼻水はいつしか赤いモノに変わっていた。
二人の食事が終わる頃には、佐々木の太腿は腫れ上がっていた。

「組はいいとして、外が納得するかどうか。 葬式・法事では太い金も動いてますし。あと、組長自身が…。テレビや何かで三年のズレに気付くんじゃ…」
「気付けばいいんじゃない? 第一、自分の身体の銃創みたら、気付きそうなものだけどね。あの鈍感さには、敬服すらしたくなるね。ふふ、自分の中の時間のズレと橋爪への報復、一体どう対処するのか見物」
「でもさ、また、組長は組長さんに戻るわけだろ? 佐々木さんじゃないけど、死人が組長復帰って、外部は納得するの?」

今まで会話に入ってなかった…というか入れない状態だった潤が、呼吸を整えながら黒瀬に訊ねた。