「ふふ、実家に帰るって、実家に遊びに戻るっていう意味と思ってるとか? 桐生を出て、戻って来ないっていう意味じゃない? つまり、離婚前提で出て行くってこと。それを止めなかったんだから、ふふ、絶対お猿はココには戻らないよ」
「…う、そぅ、」
佐々木の顔が、蒼白になる。
「信じられない! 佐々木さん分ってなかったってこと?」
「ふふ、ゴリラの脳では言葉の裏までは理解できないからね」
「裏も何も、常套句じゃないかよ…」
切れて怒った自分が、潤は可哀想に思えた。
「大変だッ! こうしちゃおれね~っ、ダイダイッ!」
やっと潤の怒りの意味に気付いた佐々木が慌てて台所から出て行こうとした。
「行かせないよ、佐々木」
「ボンッ!」
椅子に座ったままの黒瀬が手を伸ばし、佐々木の腕を掴んだ。
「殺すよ、今度こそ。でも、その前にしてもらうことあるから。悪いけど、お猿のことは後回し」
「そんなぁあっ。今止めないと、ダイダイが出て行ってしまうっ!」
「ふふ、既に先程音がしたよ。出て行った後だから、安心して」
「なら、すぐに追い掛けないとッ! 離して下さい、ボ、武史さまっ!」
「無理。ふふ、お山に戻ったんなら、いつでもいいじゃない。死に別れや消息不明じゃないんだから。それより、今は、優先することあるんじゃない?」
黒瀬の佐々木を掴む手に、ギュッと力が入る。
「そんな、殺生な…」
「兄さんを、放置して行くつもり? 桐生内外に混乱を招くよ?」
「ですがっ、ダイダイがッ!」
「もう、遅いよ佐々木さん。出て行った後で慌てても、ダイダイ許さないと思うけど。どうしてダイダイが出て行こうと思ったのか心当たりあるの?」
今の潤は、心底大喜に同情していた。
この鈍い男なら、きっと原因に気付いてないだろう。
「…それは、」
佐々木に思い当たることといえば、この目の前の二人が寝室に入ったことだけだ。
「その…お二人が……、」
「責任転嫁?」
黒瀬の一言に、佐々木は続きの言葉をグッと飲込んだ。
「せめて、電話をさせて下さいっ!」
佐々木も、数年間分の記憶が欠如している勇一を残し、自分が本宅を空けられないことは理解していた。
内外に対する対処を最優先で考えないとならない。
そのために黒瀬と潤が本宅ではなく、自分の家でわざわざ朝食をとろうとしていることも知っている。
だが出て行った大喜を放って置くことは、大喜が出て行っても構わないということになる。
ここで誠意を見せなければ、男じゃないだろう。
「腕を放して下さいっ!」
「ふふ、お猿が電話に出るとは思わないけどね」
黒瀬が佐々木の腕を解放した。
佐々木が慌てて大喜の携帯に掛けた。
黒瀬の指摘通り、出ない。
電源を切っている主旨のアナウンスが流れるだけだった。
すぐに、別の番号に掛けた。大喜の実家だ。
「お、お父様っ、ご無沙汰しておりますっ!」
携帯を耳に当てたまま、佐々木が深々と頭を下げる。
「不徳の致すところで…あの、その…ご子息がそちらに…向っていると…、申し訳ございませんっ! 今直ぐに迎えに行きたいのですが…どうしても、出られない事情がっ。必ず、アッシ、いや、わたくしめが迎えに行きますので…はい、それはもう、重々承知しておりますっ。ダイダイにっ、ご子息に、是非お伝え下さいっ、愛してる…ぐっ、…許してくれと」
携帯を握りしめまま、義理の父親相手に愛を語り始めた佐々木。
次第に鼻に掛かった声になった。