「組長ッ!」
「…うわっ、勇一組長ッ!」
「…バカなっ、…マジ?」
このフロアですよ、と黒瀬に誘導されエレベーターを降りると、廊下に点在していた男達が、橋爪を見るなり目をまん丸に見開き仰天している。
桐生の組員だ。
時枝の病室は、他の病室とは隔離した個室になっている。
そのフロアには桐生の警備が入っていた。
「髪を切って良かったですね。反応がいい」
「…ふん、バカ共め。人違いだって、ちゃんと教育しとけ」
「往生際が悪い男ですね、あなたも。ここですよ」
白い横開きのドア。
「お待たせしたかな? ふふ、殺し屋さんを連れてきたよ」
そのドアを黒瀬がゆっくりと開けた。
「――ゆ、う、…いち…」
眼鏡を掛けた男が、橋爪の顔を確認するなり、絞り出すような声で呟いた。
違うッ、と橋爪は思った。
写真の顔とも、ビルの屋上から照準合わせに見たレンズ越しの顔とも違った。
無機質で神経質そうな表情が、どこにもなかった。
やっと見つけた大事な何かを慈しむような顔、しかも自分を見て涙まで浮かべている。
とてもじゃないが、ヤクザのTOPとは思えない、威厳も迫力も一切ない顔だった。
「…無事だったんだ。本当に、生きていたんだっ! 勇一ッ、勇いち―っ!」
ベッドの上の男が、飛び掛かって来そうな勢いで『勇一』と叫んだ。起き上がろうとして、横にいた潤に無理だと制止された。
だが、それを振り切って上半身を起そうとしている。
今にもベッドから転がり落ちそうだ。
しょうがないな、と潤が時枝の上半身を支え、起してやった。
「突っ立ってないで、仕事したらどうです? あなたの仕事、まだ完了してないんでしょ?」
入口に立ち尽くしたままの橋爪の背中を、黒瀬が押した。
「俺に指図をするな」
橋爪が胸から銃を取り出し時枝に向けて構えたまま、一歩一歩、ゆっくりと歩き出した。
「…全部、俺のせいなんだ。…お前が、殺し屋なんかになったのも…お前が悪いんじゃない。もう一度会えた。…会いたかった…。誰にもお前が俺を殺すのを邪魔させないっ、だから」
橋爪の銃に怯えるどころか、歓迎するように時枝は身体を乗り出している。
時枝の眼鏡が曇る。
橋爪が近付くたびに、頬を飾る涙の筋が一本ずつ増えた。
「何を言ってるんだ。俺達は初対面だろうが」
銃を構えた橋爪が、時枝の直ぐ側まで来た。
撃とう思えば、入り口からでも撃てた。
だが、何故か、引き寄せられるように、ターゲットの側まで来てしまった。
「 勇一ィイイイ―――――ッ!」
叫び。
三年前、時枝が、勇一が転落した岸壁で轟かせた叫び声を潤は思い出し、胸が痛くなった。
それはまさに魂の叫び。
橋爪は、あまりの音量に、一歩後退ろうとした。
しかし、出来なかった。
肩を撃たれ、まだ自由に動かぬはずの時枝の腕が、橋爪の胴体に巻き付いた。
「離せっ、この野郎ッ!」
橋爪が銃を持った手を時枝の頭に振り下ろそうとしたが、黒瀬が咄嗟に手首を掴み阻止した。
「いいじゃないですか。死ぬ前の人間に、情けぐらい掛けてあげたらどうです?」
「ふん、好きにしろ」
橋爪の身体に上半身を預けたまま、時枝が勇一、勇一、と泣き叫ぶ。
「…俺のせいだっ、…俺がっ、」
自分の盾にとなり勇一は撃たれた。
時枝はずっと自分を責め続けていた。
そして、葬式や法事をしきりながらも、勇一は生きていると信じていた。
「…勇一ッ、やっと戻って来てくれたっ、…生きて戻ってきたっ。…ありがとうっ、…勇一ありがとうっ、」
縋り付いて、時枝が勇一に礼を言う。
「あんた、相当、頭イカレてるな。自分を撃った相手に礼を言うのか? 殺しに来た人間に礼を言うのか?」