その男、激情!48

「大丈夫だ、佐々木。その先は、武史から詳しく聞いている」
「し、かし…組長、」

鼻まで押さえられ、大喜が息が出来ず藻掻いていた。

「死にますよ。放してあげなさい」

大喜の様子に気付き、慌てて佐々木が大喜の口と鼻から手を退けた。

「ぁあああっ、オッサン、死ぬかと思った。ハア、空気が美味い」
「本当に…いいコンビだな…二人とも」

寂しげに時枝が呟いた。

「あのう、組長…、差し支えがなかったら、どんな夢を見ていたのか、教えて頂けませんか? あんな風に泣く組長は…組長になってからは…お目にしてなかったので…その、気になって。やはり、こいつがその、アレ、された事が…」
「それで、大泣きしたのは、オッサンだろ」

横から口を挟んだ大喜に、佐々木が邪魔をするなと睨みをきかせた。

「苦しんでいる。…勇一が、苦しんでいるんだ」

時枝の目は、何処か遠くを見つめていた。

「は?」

佐々木から、間の抜けた声が洩れた。

「あのう、夢の中で、勇一組長に何かが?」
「勇一が、泥沼の迷路の中で出口が分からず苦しんでいる。俺が手を差しのばしているのに、俺の手に気付かない。泥に足を取られ、自由に歩くことも出来ない…俺の手さえ取れば楽になるのに…気付いてくれない…可哀想なヤツだ」
「違うと思うぜ。可哀想なのは、時枝のオヤジ、じゃなかった、時枝組長だろ。気付いて欲しくて、哀しかったんじゃないのか?」

大喜の横槍を、時枝は否定しなかった。

「全く、教育の行き届いてない子どものくせに、核心を突いてくる。そういう所が、武史と潤に気に入られているんでしょうね」
「やめてくれよ、潤さんはともかく、あのド変態は苦手なんだから。今日のことだって、まだ、勇一、あ、勇一組長で、良かったんだって…あれが、黒瀬のド変態だったらと思うと…今頃、きっとオッサンを哀しませる結果になっているぜ」

大喜が佐々木をチラッと見た。
明らかに、ムッとしていた。

「でしょうね。どういう気で、勇一が大森の下着まで脱がせたのか、容易に推測できる。下半身裸にしておけば、そう簡単に逃げ出す気にならないと思ったんでしょうけど。これが、武史なら、目的は別でしょうから」

はあ、と時枝が溜息を付く。

「勇一が、昔の勇一じゃなくても、俺にはアレの考えそうな事が、分かる。俺を早く殺してしまわないと、自分の存在価値を見失うかもしれない…殺し屋なんて、一番、似合わない職業だというのに…」
「アッシもそう思いますっ! あの人の手は、人を殺める為のものじゃねえ。時枝組長を抱き締める為のものだっ!」

一歩退いた所で、大喜はここが個室で良かったと思った。
最上級のロマンティストなのだ。
顔と年と職業に似合わず、この桐生の若頭は。

「でもさ、元々ヤクザの組長なんだからさ、人殺した事もあるんじゃないの?」
「勇一は、下っ端から這い上がって組長になったんじゃない。殺した数で評価され、組長になった訳じゃない。…自らの手を汚すことは、早々ない。あったとして、自衛の為だ…殺しを職業なんて…。バカは、過去を失っても治らないのか…更に大バカになって、戻ってきやがって……」

それ以上、時枝は喋らなかった。
顔を佐々木と大喜から背けた。

「…組長」

微かに時枝の後頭部が震えているのを見て、佐々木が呼び掛けた。

「…オッサン」

大喜が佐々木の手を取った。
そっとしておいてやろう、という意味で、手をギュッと握り首を左右に振った。
時枝が声を殺し泣いているのを、しばらくの間、二人は静かに見守っていた。