その男、激情!47

「組長、時枝組長」

身体を揺さぶられ、桐生組現組長の時枝が目を開けた。

「…なんだ、佐々木、…さんか」
「佐々木、で結構です。アッシは若頭、組のナンバーツー。組長はナンバーワンですよ。人の目があってもなくてもそれは変りません」
「そうだったな。何か? 大森の側にいなくていいのですか?」

大喜が、橋爪を名乗る勇一に何をされていたのか、もちろん時枝にも事細かく報告が入っていた。
報告主は黒瀬。
コメディ映画の内容を話すように、それは楽しげに。

「俺なら、オッサンの横にいるだろ。惚けるには早いぞ」

大喜の声に、時枝は眼鏡を探した。
身動きが自由に出来ない時枝に変って、佐々木が時枝の顔に眼鏡を掛けようとした。
が、その前に時枝の顔を、胸ポケットから出したハンカチで拭いた。

「…佐々木。俺の顔に涎でも…」
「涙です」
「そうだよ、涙ポロポロ流し出したから、心配になって起したんだよ。怖い夢でも見てたんじゃないのか?」
「怖い目にあったのは、あなたでしょ。無事で良かったですよ」
「その安堵は俺を心配して? それともあいつの浮気を心配して?」
「ダイダイッ!」

眼鏡を時枝の顔に掛けていた佐々木が大喜を振り返り、叱るように名前を呼んだ。

「もちろん、両方ですよ。それにしても大森はいつになったら…まともな言葉を覚えるのか」
「俺だってTPOで使い分けぐらい出来るぜ」
「と、思っているのは自分だけですよ。来年クロセで鍛えられるでしょうから、覚悟しておきなさい」
「コワァ~」
「ダイダイッ! 賢い子なんだから、もっと普通に受け答えしろっ。拳骨が飛ぶぞッ!」

時枝の顔に眼鏡を掛け終わった佐々木が、大喜の前で拳を振り上げてみせた。

「なんだよ、もう未成年じゃないのに、まだガキ扱いする気か?」

大喜が口を尖らせる。

「大人でも、だ。時枝組長に失礼な態度をするな。俺の上司だ。俺の事、嫌いになったのなら、好きにすればいい」

珍しく佐々木が強気な態度で大喜に接した。

「――嫌い、」
「え?」

拳を振り上げたまま、佐々木の眉が、情けなくハの字になる。

「…に、なるわけないだろっ! 悪かったよ、オッサン。ごめん」

途端、佐々木の顔がデレ~ッと、これまた一層、見るに耐えないぐらい情けなくなる。
大喜の方が一枚上手なのか、潤(うる)ませた目で佐々木を見上げた。

「…ダイダイ…、可愛いっ!」

佐々木が大喜に飛び付こうとした瞬間、そこが二人だけの世界ではないことを、時枝の咳払いが告げた。

「二人とも、いい加減にしなさい。佐々木、躾るなら真面目にやりなさい。何が、『可愛いっ!』ですか。大森はもう、そういう年ではありませんよ」

眼鏡によりクリアな視界を手に入れた時枝が、レンズ越しに冷やかに二人を睨む。

「申し訳ございませんっ! ほら、ダイダイも、謝れ」
「悪い事してないのに?」
「今の時枝組長の心情をお察ししろっ! 目の前で俺達が仲良くしている姿を見るだけで、きっと内心穏やかじゃない」

時枝を怒らせるような事を言っている自覚は、もちろん佐々木にはない。

「佐々木ッ、…あぁ、疲れた。反論する気にもなれない。まともな会話ができる相手が欲しい」
「あの変態ヤロウとなら、会話が出来るって言いたいのか?」
「変態ヤロウ? 武史のことか?」

変態と言えば、イコール黒瀬武史が時枝の頭にはインプットされていた。
潤という伴侶がいながら、年上の自分を犯すことさえ、ためらいなくやってのけた男だ。

「違う。あいつは別格だろ。ド変態だ。勇一だよ」
「ダイダイッ! 呼ぶ捨てにするなっ。元組長だ。…さっき言ったばかりだろ。失礼な態度を取るなって…」
「あ、そうだった。ワリィ、オッサン。だからさ、俺が言いたいのは…申し上げたいのは、時枝組長が欲しがっている会話できる相手っていうのは、俺の下着まで脱がせて…んぐっ」

その先を言えなかったのは、佐々木が大喜の口を塞いだからだ。