「いい加減にしとけよっ!」
「吠えても無駄ですよ。ふふ、子どもが嫌だったら、大人しくすればいいだけのこと」
「覚えてろよっ、」
一言残し、橋爪は目を閉じた。
髪を切断する音が耳に響く。
床に落ちる音からして、かなりの量を切られているらしい。
髪ぐらい、また伸びるさ。
たいしたことじゃない、と暗闇の中で橋爪は自分に言い聞かせた。
首の付け根まで届いていた髪が切られ、首元に外気が触れ、ブルッと橋爪の身体が震えた。
「…組長さんだ。黒瀬、組長さんだよ」
「ふふ、私の腕もなかなかじゃない?」
橋爪の耳に届いていたハサミの音が消えた。
ゆっくりと瞼を上げた。
正面の鏡の中に、見慣れない男が、裸で椅子に座っていた。
「―――誰だ」
「誰って、あなたでしょ。橋爪さん、いや、桐生勇一さん」
「違うっ! 俺じゃないっ」
風呂上がりに見る、水分で髪のボリュームがない時の姿に似てはいる。
だが、違う。
顔の造作は同じだが…まるで違う印象。
「組長さんだよっ! どこからどう見ても、組長さんだよっ! 俺達の前から消えた時の組長さんだよっ!」
「違うっ!」
橋爪が鏡に映る男を睨みつけた。
『勇一、お前それでも組長か?』
『勇一、殴らせろ』
鏡に映る顔の上に、別の顔が重なる。
幻聴まで聞こえる。
ターゲット時枝勝貴の顔だった。
声などまともに聞いたことないはずなのに、幻聴も時枝勝貴の声だと感じた。
「ヤメロッ! 喋るなッ!」
橋爪が声をかき消そうと、頭を激しく振った。
『…勇一、ごめん』
今度は鏡の中ではなく、橋爪の頭の中に、瀕死状態の時枝の姿が浮かんだ。
自分が負わせた傷ではなく、惨い姿の時枝が切れ切れの息で橋爪を見つめていた。
愛しい者に向ける情愛と後悔に満ちた切なげな視線。
「見るなッ! 俺を見るなっ」
「一体、誰に向って言ってるんですか?」
様子がおかしくなった橋爪に黒瀬が問う。
「うるさいっ、あの男に決ってるだろッ」
「あの男って、ふふ、幻覚ですか? ここには、あなたと私と潤しかいませんよ」
「当たり前のこと、言うなっ! 俺に何をしたっ! 俺が目を覚ます迄の間に、薬物を打ったのかっ」
「私達が非合法な事に手を出すと思います? これでも私と潤は上場企業の社長とその秘書ですよ」
「裏で何かやってるのはバレバレなんだよっ。消えろっ、死にかけのくせに俺をそんな目で見るなっ!」
橋爪は黒瀬に答えながら、自分を縋るように見つめる時枝を拒絶した。
「時枝さん? そうなんでしょ? 組長さん、時枝さんが見えてるんだ」
「そうみたい」
橋爪ではなく、黒瀬が潤に答えた。
「…ヤメロッ、見るな…。どうして、俺にそんな目を向けるっ!」
頭を振っていた橋爪が、括り付けられた椅子ごと、前後に身体を揺らし始めた。
「黒瀬、ヤバイよ。組長さん、このままだと鏡に激突しそう」
「ふふ、時枝との対面を邪魔するつもりはないけど、その石頭で鏡を割られるのもごめんなので、」
黒瀬が橋爪が座っている椅子の背もたれを動かないよう片手で押さえつけると、
「失礼しますよ」
橋爪の腹部に拳を埋めた。