その男、激情!35

***

 

「佐々木さん、ダイダイ遅いね」
「今日は大学もない日ですが…」

時枝の着替えを、見舞いがてら大喜が時枝の病室に届ける手筈になっていた。

「携帯にも出ないし…何かあったのかな?」
「潤さま、脅さないで下さいよ」
「だって、彼時間には煩いよ。その辺時枝さん仕込みでしょ?」
「…そうですけど…、道がたまたま渋滞してて、とか」

佐々木の顔が青くなる。

「佐々木、兄さんの居場所は?」

黒瀬が佐々木に訊いた。

「昨夜迄のホテルは分かっているんですが…今朝からの足取りが掴めていません」
「なら、兄さんと一緒かも」
「どうして、勇一組長が、先代がダイダイと一緒なんですかっ! 今の組長はダイダイの事など顔も覚えてないでしょっ」
「佐々木、唾が飛んでるよ。汚い」
「あ、…興奮してしまって、申し訳ございません」

慌てて佐々木が頭を垂れた。

「兄さんはね、そうだろうけど」
「ダイダイは、違うってこと? ダイダイが偶然組長さんを見て、近付いたってこと?」
「さすが潤。そこのゴリラより数倍鋭い。その可能性もあるだろ? 兄さんが今日もこの近くを彷徨いていたとしたら、猿と偶然出会してもおかしくない。それに猿の顔を覚えてなくても、猿が我々の関係者だと、兄さんは知っていた可能性がある」

ふふ、と黒瀬が意味ありげに笑った。

「なにそれっ!」
「どういう事ですかっ!」

潤と佐々木が同時に声をあげた。

「内緒」

黒瀬のウィンクしながら言った言葉に、

「ええー!」
「ボンッ」

またも二人同時に不満の声を洩らした。

「ボン? 兄さんに狙撃してもらえば、佐々木。時枝の代りに佐々木が撃たれれば、事は丸く収まるんじゃない?」
「…黒瀬、笑えないよ、その冗談」

潤が、黒瀬を窘める。

「冗談じゃないんだけど。兄さん誰かの依頼で動いているみたいだし。殺した事実がないと、兄さんがヤバイかもね」
「…そんなの桐生組で手配できるだろ? ヤクザなんだから」
「何が手配できるって、潤?」
「そりゃ、その…時枝さんの代りになる…人間」
「すっかり悪に染まって。ふふ、今に誰かを殺してってお願いされそうだよ」

潤の潤らしからぬ発想に、黒瀬の顔が引き攣っていた。

「ち、違うっ! そうじゃなくって…誰かを時枝さんの代りに殺せっていう訳じゃないっ! 遺体を…無縁仏を一体…だけ…やっぱり、酷いことには変わりないか…ごめん、俺、どうかしている」
「あ~、ビックリした。ふふ、ブラックな発想の潤でも愛しいけど、やはり、潤は神々しい存在でいてもらわないとね」
「ゴホン。社長、神々しいとは、随分と大袈裟な表現ですね」

飛び込んで来た声に、黒瀬と潤、それに佐々木が一斉に振り返る。

「時枝さん、ご気分は?」

潤が真っ先に声を掛けた。

「問題ありません。騒々しくて目は覚めてしまいましたが、よく眠れました」

昨夜、大粒の涙を流し錯乱気味だったことなど忘れたかのようなスッキリした顔をしていた。

「もう起きちゃったの、夢の中で兄さんとイチャついてればいいものを。ふふ、今は現実の方が大事かな? 結構近くにいるって分かって」
「私をからかっている暇があるんですか、社長。大森の行方を探した方がいいのでは?」
「猿に兄さんを盗られそうで心配?」
「何を馬鹿なことを」
「馬鹿じゃありませんっ!」

佐々木が真っ青な顔で、割り込んで来た。

「組長は、いや、時枝組長じゃなくて、先代はっ、昔、ダイダイにっ、」
「手は出していない。からかっただけだ」

時枝が佐々木の先の言葉を、不機嫌丸出しで否定した。

「昔、はだろ? 変に記憶がない分、わからないんじゃない? からかうぐらいだから、嫌いなタイプじゃなかったんだろうし。ふふ、あれだけ佐々木との仲を応援していたのも、案外、自分の側に置いておきたいと思ったからかも」

佐々木と時枝、双方の神経を逆撫でするような事を黒瀬が楽しそうに言う。