秘書の嫁入り 青い鳥(11)

凄く久しぶりに、時枝は快眠を貪っていた。
芯から眠る心地よさ・快適さをすっかり忘れていた。
眠りが深かった分、目覚めた時の爽快感は、脳味噌を洗浄したような清々しさだった。

「あ~、よく寝た」

上半身を起こし、思いっきり身体を伸ばす。
伸ばした右手がゴツンと堅いモノに当たった。

「いてぇよ」

顎を押さえた勇一がいた。

「何やってんだっ! お前、侵入したのか?」
「よく寝たって顔で、惚けたけたこと、言うなよ。ここ、俺の部屋だ。ちなみに俺は何もやってないぞ、まだな」

ニヤつく勇一を前に、酸素が行き渡った頭の時枝が、今の状況を分析しようと試みる。
が…、時枝の脳味噌は、自分に都合が悪いことは記憶してなかった。
朝、殆ど徹夜の状況で、会社に行った。
自分の仕事をこなしながら、潤に目を配るいつもの勤務。
潤のミスを指摘し、泣かせてしまい、黒瀬に「姑根性丸出し」と嫌みを言われた。
昼休みが終わり社長室に乗り込むと、身体を繋げた黒瀬と潤を目にし、仕事に戻そうと試みた……ところまでは、ハッキリ記憶にある。
しかし、その後がない。
仕事途中だったはずだ。
専務と黒瀬の面会は?
潤は仕事に戻ったのか?
どうして、俺は寝ていたんだ?
しかも勇一のマンションで。

「お前、俺に何をした?」

怪訝そうに、時枝が問う。

「何もしてないって言った。勝貴、寝過ぎてバカになったとか? 今から、するんだって。お前も欲求不満みたいだし」
「欲求不満! 誰がだっ、変なこと言うな」

ベッドの端に腰掛けていた勇一の胸ぐらを時枝が掴み、締め上げた。

「誰がって、勝貴がだろ。欲求不満で倒れたくせに…」

時枝のプライドを守る為、勇一は時枝が黒瀬や潤の前で泣いたことや、黒瀬の前での自慰行為のことは伏せることにした。
もちろん、キスもだ。

「武史達の仲の良いところを見て、社長室で鼻血流して倒れたんだ。だから、俺が迎えにいった」
「嘘付くな。鼻血で倒れたくらいで、お前がわざわざ迎えに来るはずがないだろ。だいたい、あの二人のところ構わずのバカップルぶりは、今に始まったことか! 第一、欲求不満の根拠がわからんっ。お前のアホな弟とその嫁に、怒り心頭で、鼻血が出たんだ。ああ、そうだ。そうに決まってる」

人の気も知らないで、イチャつく二人の映像が脳裏に浮かび、勇一を締め上げる手に力が入った。

「く、るしいっ! バカっ、手を弛めろっ、死ぬっ! お前を迎えに行ったのは…顔が見たかったからだっ!」

振り絞るように、勇一が叫んだ。
最後の一文が、時枝を直撃したらしい。
締め上げていた手が急に緩んだ。
緩んだ瞬間、今度は勇一が時枝の上半身を抱きしめた。

「勝貴…、会いたかったんだぜ」
「…勇…一…」

勇一の腕の中で、時枝の身体全体が弛緩する。
忘れていた体温、忘れていた匂い、忘れていた胸板の弾力が、時枝から力を抜き去った。

「仕事第一もいいけど、たまには俺のことも思い出してくれよ。じゃないと…」
「…浮気するとでも…言いたいのか」

ぽつり、時枝が力なく言う。
されても仕方ないと思っていた。
何せ、勇一は元々、女好きだ。それは時枝も同じだが。
中学以来の長い付き合いで、同じ年の二人。
大学までは同じ進路を辿って来た。
常に近くにいた二人は、嫌と言うほど相手のことを熟知している。
初恋の相手も同じだし、大学時代は一緒にナンパに繰り出し、女の子を交えての3p・4pの経験もある。
そもそも妙な縁で、時枝は一時期勇一の家、桐生組の世話になっていた。※同人誌「秘書、その名は時枝&Chapter0」にこの辺の話が載ってます
社長の黒瀬とも、この勇一とも一緒に暮らしていた時期がある。
もっともその当時は、親友としての付き合いしかなかった。
親友同士の二人に、精神的な繋がり以上の関係が加わってから、まだ一年と少しだ。

「するかよ」
「どうだか、お前の下半身は元々だらしないからな…浮気は…店ぐらいなら…」
「オイオイ、許すとか、可愛いこと言うなよ?」
「言わなくても、お前、行くくせに…」
「信用ねえな。まあ、最近は付き合い程度しか行かないから、安心しろ」
「別に心配してない…」

嫉妬する権利さえないと、時枝は思っていた。
自分の方が仕事を理由に勇一との時間を削減していったのだ。

「あのさ、俺、続き言わせてもらってないんだけど…」
「続き?」
「たまには俺のことも思い出してくれよ、の続き。じゃないと、俺、右手が腱鞘炎になる。俺、やっぱ、右手派だわ」

時枝が預けていた身体を勇一から離し、心底呆れたと冷ややかな視線を向けた。