その男、激情!20

「…あ? …なんだありゃ」

橋爪の目に飛び込んで来た、奇妙な光景。

「…お遊戯会か?」

馬とブタと少女のマスクを被った人間が三人、車から降りてきた。
あまりのバカバカしさに、笑う気も失せる。

「まさかとは、思うが…狙われていると勘付いて、顔を隠しているつもりなのか?」

今から殺す人間ではあるが、こんな子ども騙しの事をやってのける浅はかさに、命を狙う価値があるのかどうか、橋爪は疑問に思った。
李を脅かす存在とは思えない。
どうみても、『黒瀬』の方が危険な存在だ。
だが仕事は仕事だと、馬に照準を合わせた。
そう、被り物のマスクなど意味がないのだ。
車から降りてくる馬に、出迎えに出た者が頭を下げているし、ブタと少女のマスクの二人が馬を警護するように挟んで事務所の事務所の入口へ向えば、誰が大事な人間なのか、分らない方がおかしい。
もっとも、そういう芝居までしているなら話は別だが、そこまでの芸の細かさがあるなら、こんなふざけた被り物など端っからしてないだろう。
トリガーに掛けた指と、標的を捉える目に神経を集中させる。

「天国か地獄か…どちらかな、時枝勝貴」

橋爪がトリガーを引いた。

 

 

「社長!」

秘書課に現われた眉間に皺を寄せた黒瀬に、その時その場にいた秘書達全員が立上がった。

「市ノ瀬は?」

潤が社長付の秘書になってから、黒瀬が直々に秘書課に現われるのは珍しい。
また、いつも飄々としている黒瀬の渋面とを、社内では見かけたことがない。

「川瀬部長の所です」
「至急、大至急、呼び戻して」

眉間に皺を寄せたまま、それだけ言うと、黒瀬は社長室に戻った。
一分後、息を切らした潤が社長室へ駈け込んで来た。

「…はぁ、…社長、…急用でしょか…」
「潤、」
「…ここは、会社です…市ノ瀬と…」

全部言い終る前に黒瀬が言葉を被せた。

「時枝が、撃たれた」

その言葉を聞いた瞬間、潤も秘書ではなくなっていた。

「…どういうこと? どういうことだよっ、黒瀬!」
「言葉通りだよ。時枝が銃撃された」

潤が黒瀬に詰め寄る。

「生きてるよね? 時枝さん、無事だよね」
「分らない。佐々木が興奮してて、肝心な点を言わなかったから」
「分りやすく、説明してよっ! な、黒瀬、時枝さんどうなってるんだよっ!」
「潤、落ち着いて。佐々木から五分程前に連絡があった。『ボン、一大事ですっ、組長が銃撃されたましたっ』とね。そのまま携帯が切れ繋がらないから。組の事務所の電話してみたけど、誰も出ない」
「…行こうっ、黒瀬、今すぐ時枝さんの所行こうっ!」
「無理。どこにいるか分らないだろ? 病院だとしても、どこに搬送されているのか、不明だし」
「じゃあ、どうしろって、言うんだよっ」

潤が、黒瀬の胸をバンバン叩いた。

「あの男が、そう簡単に死ぬわけない。あんな口うるさい男は、三途の川で、船に乗る前に乗船拒否されるから、大丈夫。それより、いつでもココから出られるよう、潤にはすることあるよね? 至急、私のスケジュール調整して。この後三日間は休みにして欲しいな。三十分で出来る?」
「…できる。黒瀬、三日間って…まさか」

秘書として、冠婚葬祭にも関わる事が多い潤だ。
黒瀬のいう数字に思い当たるものがあった。

「潤、考えすぎない」

何を考えていたのか、黒瀬にはバレバレだった。

「…スケジュール調整する」
「良い子だ。その間に時枝の状態と場所を調べておくから」

黒瀬と潤は各々、今すべきことに取り掛かった。

 

橋爪がターゲットに浴びせた銃弾は一発じゃなかった。
馬の頭部から脚まで数発の弾を撃ち込んだ。
蜂の巣とまではいかないものの、命を奪うに十分な弾数が命中した。
周囲の悲鳴は、ビルの屋上の橋爪にまで届いた。
手応えを感じ、橋爪は直ぐにその場を離れた。
ふざけた格好をしていても、ヤクザはヤクザだ。
直ぐにこの場所を嗅ぎつけ桐生の者が来るだろう。
屋上から下に戻る途中の階で、持っていたライフルを空調ダクトに隠すと、仕事結果の確認をするために、喫茶店の前にできた野次馬の中に紛れた。

「組長ぉおおっ!」
「大丈夫だっ、脈はある! 救急車はまだかっ!」

倒れているターゲットの顔は、群がる組員で見えなかった。
赤い血が道路を汚しているのは、隙間から見えた。

「しくじったか」

チェッと、橋爪が舌打ちをした。
なんでこう、思い通りに事が運ばないんだ。
日本に降り立った時から、落ち着かなかったり変な夢に魘されたりしたのは、仕事が上手くいかない事への前触れか?
そんなわけあるか、救急車が到着する前に地獄へサッさと逝きやがれ、と数が増す群れに紛れた橋爪が、時枝の息の根が止まるのを待つ。
救急車が早いか、時枝が事切れるのが早いか。
血の流れは勢いを増しているようだ。
応急で止血も施しているだろうが、隙間から見えていた赤い筋は、もう歩道から車道へと届いている。
橋爪にとっても、桐生の人間にとっても、救急車が到着するまでが、数時間にも感じられるほど長かった。
遅い割りには、大急ぎで来ましたとアピールするように、耳障りなサイレン音を鳴らし、救急車両は到着した。
直ぐに担架が降ろされ、救急隊員が桐生の群れに隠れた。