その男、激情!15

「いい匂いだ。紅茶か」

佐々木の話は大喜の出現により、中断された。
黒瀬はもう佐々木と会話を続けるつもりはないらしい。
自分の欲しい情報は得たのだろう。

「あっちで、緑茶は飲み飽きたかなと思って、紅茶にしてみた」

黒瀬の前に、大喜が紅茶にクッキーを添えて出した。
もちろん佐々木の分もある。

「お猿にしては気が利く。クッキーがホームメイドとは、いつでも嫁に出せるな」

佐々木が飲みかけていた紅茶を噴きだした。

「佐々木、汚い」

間髪入れずに、黒瀬が佐々木を咎める。

「何バカなこと言ってるんだよ。俺は既に嫁いで来たっていうの」

佐々木の濡れた顎の周りを大喜が、着ていたシャツの端で拭きながら、自分の立場を黒瀬に伝える。
もちろん、黒瀬だってそんなこと百も承知なのだが。

「まだ大森姓のくせに、威張って言うことじゃないと思うけど。ふふ、兄さんと時枝みたいに、後回しにしているとその前に別れがくるかもしれないよ? 永遠のね」
「だってよ、オッサン。黒瀬さんもこう言ってることだし、早く俺をオッサンの籍にいれてくれよ。このままじゃ、俺とオッサンの墓は別になるぜ」

大喜は黒瀬に反論せず、むしろ黒瀬の言葉を利用した。
黒瀬が大喜を気に入っているのは、こういう大喜の抜け目のない所だ。
黒瀬を利用しようとする人間など、黒瀬の周囲にはいない。
潤も黒瀬を怖れないが、潤と時枝以外で黒瀬と対等に口をきこうとする存在は珍しい。
もっとも、黒瀬に手をあげることのできる人間は、潤ただ一人であるのだが。
同居という名の佐々木と大喜の同棲も、もう三年目だ。
同棲というよりは結婚生活のつもりで暮らしているが、肝心の入籍が済んでいない。
大喜の両親の許可は同居を始めた年にとってあるが、佐々木がどうしても、大喜が社会人になるまではとゆずらないのだ。
佐々木なりに思うところがあるらしい。
この男、大喜との関係を一つ進めるのに、かなりの時間が必要だ。
同性同士ということや、職業やら年の差やら、と一般的に悩むであろう事柄もあるにはあるが…佐々木が異常にロマンティストで、貞操観念が固くて古いという事も関係していた。

「猿はやっぱり変わってるよね。墓の下まで、こんなオヤジと一緒がいいとは」
「こんな、じゃねえよ。最高のオッサンだ」
「最高ね~、」

呆れた気味に黒瀬が呟いて、その言葉を流すように紅茶を一口飲んだ。

「ダージリンか」
「クッキーも味見してみろよ。それ、潤さんに教わったレシピだから」
「だったら、する必要はない。美味しいに決まっているし」
「いいから、一口」
「うるさい猿だ。毒でも入っているんじゃない?」

渋々というかイヤイヤというか、黒瀬がクッキーを一枚口入れた。

「…ん、悪くない」
「それは美味しいってことだよな?」
「だから、潤のレシピで不味いはずない」
「俺が作っても、美味かったってことだろ?」
「猿にしてはいいんじゃない」
「ヤッタ―ッ! オッサン、間違いなく美味しいぞ。食べていいぞ」

大喜が、佐々木の手にクッキーを握らせた。

「やっと、食わせてもらえるのか…」

佐々木が、クッキーを見つめている。
その目は、感動で潤んでいた。
余程大喜が作ったクッキーを食べたかったのだろう。

「猿、どういう事? 私に味見をさせたということ?」
「だって、初めて焼いたからさ。オッサンに不味い物、食わせられないじゃん。オッサン、不味くても美味いって言うに決ってるし。本当に美味いっていう確信が欲しかったの」
 
黒瀬のこめかみが、ピクッと動いた。