秘書の嫁入り 夢(33)/終

「お前が俺を愛しているその百倍だ」
「だったら、俺はその一万倍」
「ふん、俺は更にその一億倍だ」

漏れ聞こえる会話に、黒瀬も苦笑を隠せない。

「オッサン、寒いよ~。木村さん、遅い!」
「そのうち来るだろ。良いじゃないか、お二人が寒さも感じないぐらい、幸せなら」
「ハ~クション、でも、俺は寒い!」
「帰ったら、温めてやるから、我慢しろ」
「…分った…アレ、何だ?」

大喜が指をさした先に、黒い塊が見えた。

「木村か? 違う、バイクだ」
「こんな場所走って何が面白いんだ?」

黒い塊に見えた物は、黒の大型バイクだった。
段々佐々木達に近づいて来る。

「オッサン、アレ、変じゃないか?」

スピードを落とさず、こっちに向ってやってくる。
よく見ると二人組だ。
黒いライダースーツに黒のヘルメット。
後ろのシートに乗っている男が手にしていた物は…

「ライフルを持ってる! オッサン、奴ら、ヤバイぞっ!」

猛スピードでバイクが佐々木と大喜の方へ向ってくる。
後部シートの男がライフルを構える。
海鳥を狙っているのではないことは、大喜にも分った。
自分達にその銃口は向けられいた。
パンと、渇いた音が響く。

「大喜っ!」

佐々木が大喜を突き飛ばした。
地面に顔からたたきつけられた大喜の上に、佐々木が倒れ込んできた。

「…オッサン?」

自分の上の佐々木を大喜が振り返る。
眉間にギュッと深い皺を刻んだ佐々木の顔が見えた。
それと…

「…ソレ、まさかっ、」

佐々木の黒いスーツの袖から、何かが染み出ていた。
大喜は慌てて、佐々木の下から出ようとした。

「…駄目だっ! 俺の下から出るなっ。俺は大丈夫だ。上腕に玉が掠っただけだ…」

また、パンと音がした。

「ぐふっ」
「オッサンッ!」
「――足、やられた…」

大喜の上に覆い被さる佐々木の脚を狙ったのだ。
留めを刺されるかと思えば、バイクは佐々木達の横を素通りして行った。
向った方向は、時枝達がいる崖だ。

「くそっ、狙いは…組長達だっ!」

佐々木が立ち上がろうとして、大喜の上に崩れた。

「オッサンッ、無理だっ!」

それでも立ち上がろうとした佐々木の耳に、パンパンと二発の銃声が届いた。

「兄さん、今の音…」
「ああ、」

佐々木が銃撃された音を黒瀬も勇一も捉えていた。
四人に緊張が走る。

「黒瀬っ、バイクがっ!」

音が聞こえ数秒も経たないうちに、バイクの爆音が近づいてきた。
黒瀬が咄嗟に石を数個拾う。
黒尽くめの二人組が、バイクで近づいてくる。

「勝貴っ!」

狙われたのは時枝だった。
黒瀬が走るバイクのタイヤを狙い投石したのと、後部シートの男が時枝の心臓に向けライフルを二発、発射したのが同時だった。
勇一が時枝の前に飛び出る。
バイクが転倒し、横滑りで崖下に落下した。
投げ出された二人も、見事に崖の下。

―――そして、

「うぐっ、…勝貴」

胸を押さえ、後ろへよろけた勇一が…

「…スマン…今夜の約束は……アッ」

切れ切れの声を残し、背中から数十メートル下の荒れる海の中へと消えていった。

「…そ、んな…、これは夢か……、はは…」

時枝から渇いた笑いが漏れる。
潤は今目で起ったことが呑込めず、唖然としていた。

「…夢じゃない…時枝。これは現実だ」

感情のない声で黒瀬が呟く。

「嘘だっ、そんなわけないっ、勇一ィイイイ―――――ッ!」

荒れる海に、時枝の悲痛な叫び声が轟き渡った。

 

秘書の嫁入り 了