秘書の嫁入り 夢(32)

「…オッサン、今、インポって…俺の耳は聞こえたんだけど……」
「…ああ…、俺にもそう聞こえた……」

大喜と佐々木が黒瀬の発した言葉を確認しあう。
静寂を破ったのは、潤の拍手だった。

「黒瀬っ、さすがだっ! 俺の旦那様は凄い!」

パチパチパチと、拍手を響かせ絶賛する。

「組長さん、誓えないの? 誓うよね?」

潤が勇一を急かす。
時枝は、抗議の声を上げる訳でもなく、どうなんだ?
誓えるのか、と勇一に鋭い視線を向けた。
時枝が黒瀬に抗議をしなかったのは、黒瀬の「インポテンツ」がふざけて出た言葉ではないと理解したからだ。
勇一の精神的弱さを指摘しつつ、自分に何があっても逃げるなと言ってくれているのだと、黒瀬の真意が伝わっていた。
だから、潤も感動し、拍手を響かせたのだ。

「ったく…この神父さんは。誓う。誓いますっ! ああ、何があろうとココだけは、鍛えに鍛え、毎晩でも突っ込んでやるから、安心しろ」

勇一が袴の上から、自分の中心に手を置く。
その手を時枝が払い、勇一の中心を袴の上から握った。

「ふん、毎晩、出来るのか? その根性がお前にもココにもあるのか? ユウイチに負けるようじゃ、お払い箱だからな。早速今夜から励めよ」
「出来るに決ってるだろ。俺様の愛情は、肉体疲労なんかに負けやしないんだよ。一生、お前の上で腰を振ってやる」
「そうか、楽しみにしてるぞ。一生だからな。せいぜい鍛えてくれ」

時枝の手にギュッと力が入る。

「ん、ッタァアアーッ、握り潰す気かっ!」
「ハイハイ、二人とも、まだ式の途中ですよ。では、お互いの愛情を確認し合ったところで、誓いのキスをお願いします」

式の段取りはメチャクチャだが、この二人には関係なかった。
セットのチャペルに、偽物の神父。
だが、誓い合ったのは一生の絆。
羽織袴の勇一が、白いスーツの時枝を見つめる。
合図も無しに二人の腕が同時に互いの腕に掛かる。
そして、近づく顔と顔。
触れ合う唇。
短いキスではなかった。
ディープキスでもないのに、触れ合った唇は離れなかった。
二人の間で、中学の頃から今までの歴史が走馬燈となって巡っていた。
両親の死を乗り越えられたのも、勇一がいたからだと時枝は知っている。(同人誌:「秘書、その名は時枝&Chapter0」参照)

―――あの時から既に自分は捕まっていたのだろう、この男に。

終わりではなく、始まりのキス。
ツーッと時枝の目から一筋の涙が流れた。

 

 

「良い式だったね、黒瀬」
「ふふ、そうだね。キスのあとの兄さんのだらしない顔っていったら…うふふ」
「もう、ぼ~くのモノだ、って声が聞こえてきそうだった。写メも撮ったし、あとで福岡の尾川のお父さんにも送ってあげるんだ」
「気が利くね。さすが潤」

セットのチャペルを出た一向は、崖の上を散策していた。
黒瀬は神父服を脱ぎ、薄いグレーのスーツにコートを羽織っている。
潤はダウンジャケットをスーツの上から着込み、主役の二人はデレデレと腕を組んだまま上着も着ずに潤と黒瀬の前を歩いていた。
一方、佐々木と大喜は、木村がマイクロバスで迎えにくるはずだと、崖から少し離れた空き地にいた。
ここに来るときは駅からタクシーだったが、帰りは主役の二人が興奮を抑えきれないかもしれないと、組の迎えを頼んであった。
人気がないこの岸壁、実はここ、自殺の裏名所として地元では知られており、滅多に人が寄りつかない。
セットを組で撮影したりするのにはもってこいの場所で、映画だけではなくドラマの撮影にも度々使われる場所だ。
よって、勇一と時枝が、緩みっぱなしの顔で腕を組み、散策しようと誰の目も気にする必要はなかった。
荒涼とした景色が広がっているだけの場所での三十を過ぎた男二人のイチャツキぶりに、正直潤も目のやり場に困っていた。
上司として自分を叱る時の凛々しい時枝の面影はなく、頬を染めて勇一と馬鹿を言い合ったり、頬を抓ったり、抱きついたり……

「…黒瀬…、時枝さんって、組長さんより男らしいって思ってたけど…根っこの深い部分は実は乙女?」
「色々あったから、今日ぐらいは目を瞑ってやろうね、潤」
「そりゃ、もちろんだけど…」

家族を失って以来、家族代りの存在だった男が、本当の身内になるのだ。
自ら身を引こうとしたこともあったが、出来なかった。
時枝の箍が外れても、今日ぐらいは良いだろう。
時枝よりも更に外れてしまった男がその隣にいるのだから。