秘書の嫁入り 青い鳥(8)

「酷いな。早漏じゃないのに、サッサだって。さあ、潤、私をイかせて」
「…そんなぁ…、黒瀬…、上司の監視付き…」
「ふふ、時枝は潤のこと大好きだから、大丈夫。可愛い声を聴かせてあげて。時枝に、潤の可愛い声で、学習してもらおう」
「学習?」
「うん、学習。どうせ、時枝のことだから、閨の中でも、ブツブツ文句言ってそうじゃない? 少しは、可愛い喘ぎ声の一つも出せないと、相手も興ざめじゃない?」
「俺の声、可愛くないぞ?」
「時枝の数万倍は可愛い。ほら」

ドンと黒瀬が潤を突き上げた。

「んあっ、もぅ、バカぁ」
「ふふ、やっぱり可愛い…」

大人の対応をすると決めていた時枝だったが……

「あなた達、アホですかっ! いい加減にして下さいっ! ヤるなら、サッサとやりなさい! 私が学習することは、何一つありません! 満足させてますっ!」

大声を張りあげてしまった。

「ふ~ん、時枝、凄い自信だね。今度、どうなのか、じっくり聞いてみよう」

黒瀬に、にやつかれ、時枝はハッと我に返った。
閨のことを持ち出されたぐらいで切れてしまったのは、時枝には、ここ最近、プライべートの時間が一切ないからだ。
喘ぐもなにも、会ってもいないのだ。
喘ぎようすらないって言うのに…目の前のバカップルは、仕事時間に合体中とは……
突然、時枝に哀感が襲いかかった。

――切ない…

俺は市ノ瀬と社長のために、結構頑張っているというのに報われない。
時枝の横では時枝の憂いも知らずに黒瀬が潤を啼かせていた。
その潤の喘ぎ声が、余計、時枝を感傷に浸らせた。

…人肌っていいよな…

頭の中に、元親友のいろんな表情が浮かんで来る。
今頃、どうしてるんだろ。
声聴くと会いたくなるから、電話も最近してない…。
あいつのことだ。
きっとコレ幸いと、ソープのお姉ちゃん達と遊んでいるに違いない!

「時枝? 終わったよ。一人百面相中?」
「何でもありません! 新人、何を呑気にぐったりしてるのですか? 早くシャワー浴びて来なさい。5分ですよ」

社長室には隣接で簡易シャワーがある。
仮眠室もあるが、そこを利用するのは、最近はもっぱら時枝だ。
よって社長である黒瀬の私物より、時枝の私物に占領されている。
素っ裸の潤が、時枝を横切ってシャワーを浴びに走る。
結合を解いたばかりの潤からは、二人の精液の匂いが漂ってきた。
よくよく考えたら、最近時枝は自慰すらしていない。

自分の匂いってどんなだった?
思い出せない…
男として、末期なのかもしれない…

「はぁ~」
「時枝、幸せが逃げるよ?」
「心配無用です。もうとっくに逃げてしまったようです」

三十四才にもなる男だというのに、悲劇のヒロインモードにスイッチが入った。

「あ、そ。…あれ?」
「……俺の幸せ……どこだ……」

黒瀬が珍獣でも見るように、時枝を眺めている。

「黒瀬ッ、俺、終わったから、早く浴びた方がいいよ」

烏(からす)の行水、自分の中の黒瀬を流しただけというか、二分も掛からず潤が出てきた。
社長室の床に散らばったままの自分の服を拾い上げながら、黒瀬にシャワーを促している。

「潤、ちょっと、コレ」

黒瀬が時枝を指さす。
シャツを着ながら、潤が黒瀬の側に寄り、指さされている時枝に目を向けた。

「時枝さん…? 室長……?」

目の前の信じられない光景に、潤の表情が固まった。

「潤、こういうの、なんて言うか、知ってる?」
「……鬼の目にも…涙……」

人間信じられない物を見たとき、慌てふためくことも忘れるらしい。

「ふふ、私もそう思ってた」
「室長、どうしたの? 黒瀬何かしたの? 苛めたの?」

淡々と潤が黒瀬に尋ねる。

「やだな、潤。時枝が私を苛めることはあっても、私が苛めることはないよ。急にね、こうなった。訳がわからない」

外国人のように、さあね~とジェスチャー付きで黒瀬が潤の質問に答えた。
普段の時枝が今の黒瀬の言葉を耳にしたなら凄い勢いで反論されそうだが、今の時枝からは何の反応もなかった。
そう、時枝は直立したまま、トレードマークのフレームの細い眼鏡を曇らせている。
うっすらと曇った眼鏡の奥で、目を開いたまま、瞬きもせず、ただ涙をポロリ、ポロリと流しているのである。
二人は、思い出せる範囲で、時枝の涙を見たことがなかった。
どこぞの動物園のレッサーパンダが直立したことより、この二人には時枝の涙の方が珍しかった。

「…俺の幸せの……青い鳥は……」

ぼそり、時枝が呟いた。

「……どこへ…逃げたんだろう……」

潤も黒瀬も珍獣を見る段階を超えてしまった。

「…黒瀬…、俺、もう…」
「分かってるよ。私も駄目だ……我慢できそうもない……」

決して『最中』のラストを迎える言葉ではない。

「あっ、はははっ…、く、苦しいッ!」

潤が、腹を抱えて笑い出した。

「ふふふ、あ~、堪らないッ…」

黒瀬まで笑い出した。
この男が、微笑むことはあっても、大笑いすることは珍しい。

「ひぃ~、時枝さんが…、青い鳥って…あ~、腹痛いよ~」
「時枝が、少女になってしまった。あ~、可笑しすぎ~…」

まだ、涙を流している時枝の前で、二人とも失礼極まりないが、あまりに時枝には似合わない言葉に我慢できなかった。

「黒瀬~、ヤバイよッ…アハハ…、笑い事じゃないよ…、時枝さん壊れちゃったよゥ~~…」

笑いを止められないが、潤は時枝の様子がただ事ではないと感じていた。
どんな状況下でも、至って冷静なのが時枝なのだ。
酔った時の乱れた時枝は知っているが、素面で自分を見失うような男ではない。
むしろ、直ぐに見失い取り乱すのは潤の方で、それを冷静沈着な態度で忠告・指導してきたのが時枝なのだ。

「ふふふ、そうだね~…これは修理が必要かもしれない…あぁああ、でもどうしてこんなに可笑しいのだろう」

しまいには時枝ほったらかしで、潤と黒瀬は抱き合って笑い出した。
五分ぐらい経っただろうか?
一頻(ひとしき)り笑い倒すと、やっと二人は落ち着きを取り戻した。

「あ~あ、腹筋が痛い。黒瀬、マジ、これは一大事かも…。時枝さん…時枝室長、まだ泣いてる」
「そうだね。ここは私に任せて、潤は仕事に戻って。ホントは戻って欲しくないけど、時枝のフォローをお願いします。時枝このまま秘書課に戻す訳にはいかないから、適当に誤魔化しておいて」

自分に出来ることは黒瀬の言うように、秘書課でのフォローしかないだろうと、潤は涙を零している時枝を心配しつつも、社長室を出た。
黒瀬は時枝を仮眠室へ押し込め、自分はシャワーで汗を流すと新しいシャツに着替え、社長室に消臭剤のスプレーを撒いた。
そして、専務を呼びつけ、仕事をひとまず一件終わらせた。

 

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