秘書の嫁入り 夢(12)

「…ダイダイ…、本当に済まなかった」
「オッサンは悪くねぇし、浮気でもねえよ。オッサンに、怒ってもいないから、心配するな」
また、大喜が佐々木の唇にキスを落とそうとすると、佐々木がそれを躱(かわ)した。
「どうしたんだよ?」
「男としての、ケジメを付けさせてくれ。一週間、俺は大喜に触れない。寝るのも客間にする。みそぎをさせてくれ。女に負けた情けない下半身のまま、ダイダイに触れるわけにはいかないんだ」
「は? オッサン?」

何を言い出すんだと、大喜が目を見開く。

「蛇の脱皮とはいかないが、綺麗な身体に生まれ変わってから、触れさせてくれっ!」
「何だよ、それっ! さっき風呂入っただろ? 身体洗ったんだろ? それでいいじゃねぇか。一週間で、女に反応しない下半身になるわけないだろっ! バカバカしい。男ってもんは、女でも男でも、刺激に弱い下半身ぶら下げて生きてるんだよっ! 違うか?」

大喜が必死に佐々木を説得する。
朝帰りした佐々木を許しているのに、どうして、自分が触れて貰えないことになるのか納得できない。

「ダイダイ、分かってくれ。こんなことしでかした自分が許せないんだ。惚れたお前と暮らしていて、手が出せないことは苦行だと思う。だが、簡単に無かったことにできるほど、軽いことじゃないんだ。お前という大切な存在がありながら、俺は女と寝てしまったんだ。しかも、組長を止められなかった。時枝さんにも申し訳がたたない。男のケジメだ。俺に男を通させてくれっ!」

駄目だこりゃ、と大喜は項垂れた。
ヤクザ者の佐々木に「男を通させろ」と言われれば、大喜が引くしかない。

「…分かったよ、オッサン。綺麗なピカピカなオッサンになってから、俺に触れてくれよ。その代り、一週間だけだからな。それ以上だと、俺が干涸(ひか)らびる」

干涸らびるというのは大袈裟だが、一週間間が空くと、真珠入りの佐々木と交わるには大喜の負担はかなり大きくなる。

「ダイダイ、すまねぇ。ありがとう。一週間後、生まれ変わった俺を受け止めてくれっ!」

佐々木は立ち上がると、速歩で寝室を出た。
どこへ行くつもりだ、と大喜が追うと佐々木は客間に入り、鍵を掛けた。

「オッサン?」
『うぉおおおおおっ』

中から、獣のような佐々木の咆吼が聞こえてきた。

「…オッサンだけじゃなくて、俺まで被害者じゃねえかよ。組長のヤツ、覚えてろっ!」

このまま、大人しく引き下がるような大喜じゃなかった。
数日後、大喜は株式会社クロセの本社ビル前に立っていた。
就活の経験もないので、こういう企業に足を踏み入れるのはかなり緊張する。
深呼吸をすると、中に入った。

「あの、社長さんにお目に掛かりたいんですけど」

受付と書かれたブースで笑顔を振りまく綺麗な女性に声を掛けた。

「面会のお約束は?」
「ありません」
「申し訳ございませんが、社長はお忙しい方なので、アポイントメントのない方とは、お会い出来ません」

綺麗な顔は、丁寧に断りを入れてきた。
そこで引き返す大喜では、もちろんない。

「あのさ、俺、身内なんだけど? お姉さん、せめて内線で、会うか会わないか社長に聞いた方がいいよ? クビになっても知らないよ? 佐々木の所の大森が急用だって言ってくれればわかるから」

綺麗な顔が、一瞬ムッとした。
学生風情の突然の訪問者にクビを持ち出されて気分がいいはずがない。
が、そこは仕事だ。
直ぐに作り笑顔に戻り、お待ち下さいと、内線の受話器を手にした。

「社長に、お客様ですが…ええ…それは申し上げたのですが…佐々木さんの所の大森さんって方です。急用らしいです」

受付嬢が内線を掛けたのは、社長の黒瀬のデスクではなく、秘書課だった。

「…はい、では、」

話は終わったらしい。受付嬢が受話器を置いた。

「社長秘書が参りますので、少しお待ち下さい」
「会ってくれるってこと?」
「だと思いますが」
「良かった。お姉さん、世話になったな。ありがとう。ところで年は幾つ? 彼氏とかいるの? ここ、もう長いの?」

別にナンパをするつもりはないが、作り笑顔がいつまでもつのか、からかってやろうと、緊張が解けた大喜に悪戯心が芽生えていた。

「プライベートなことには、お答え出来ません…」
「大森君、何やってるの」

迎えに来たのは潤だった。