秘書の嫁入り 青い鳥(4)

「失礼します。市ノ瀬です」
「待っていたよ」

社長の席に座っている男の顔を見るなり、緊張していたものが緩む。

「社長、書類をお届けに参りました」
「ご苦労」

書類を手渡そうとした新入社員の両手を社長の席に座る男が掴むと、セクハラまがいに撫で始めた。

「社長!」
「どうした?」
「駄目ですっ。ここは会社です」
「頑張っている新人さんを慰労しているだけです。潤、頑張ってるね。泣いてもいいんだよ」

泣かないと決めた。
口に出せないような様々な試練が今まで数多くあったのに、たかが上司に叱られたぐらいで、ピーピー泣くのはみっともないと分かっている。
いや、叱られたのが原因の涙ではない。
早く仕事を覚えて、早く認められて、早くこの目の前の男の役立つ人材になりたいのに、叱咤される内容が仕事以前の問題が多く、自分が情けないのだ。

「…頑張っていません…、俺…、私は…」

泣きたくないのに、目の前の男が優しい目で見つめるものだから、内側からまた情けなさが込み上げてきて、目の縁に水分が溜まった。

「頑張ってます。多くのことをやろうとして、欲張りすぎて、ちょっとミスがあっただけじゃない? 違う?」

そうなのだ。
注意力散漫で、大雑把でミスをしたというより、一つでも多くの仕事をこなしたい、先輩社員に追い付きたいという焦りが、先程の確認ミスも引き起こしていた。

「…駄目なんです。ミスばかりで。室長に叱られてばかり……でも、頑張りますから、クビにしないで下さい」
「ふふ、頑張らなくてもいいんだよ…自然体で肩の力を抜いてごらん、潤。私は潤が時枝みたいおっかない秘書になるのはゴメンだよ? 潤は潤らしく、上を目指しておいで。ね?」

この男はいつも、自分を楽にする魔法の言葉を掛けてくれる。
見てないようで、しっかりと仕事中の自分も見てくれている。
情けなさで溜まっていた水分が、この男の優しさに押されて、スーッと、頬を流れていく。

「…ありがとうございます…社長…」
「潤、こっちにおいで」

社長と呼ばれた男が新入社員の手から書類を取り上げ机の上に置くと、繋いだままのもう一方の手を引っ張る。

「潤、ここに」

自分の太腿を軽く叩き、涙の筋を作っている新入社員を自分の膝の上に招く。

「…駄目です。社長。…ここは社内です」
「黒瀬でいいよ。黒瀬潤クン、もう昼休みだから、プライべートタイムだよ」

プライベートを強調したいのか、市ノ瀬ではなく黒瀬で呼ばれた。

「…いけません…昼休みも就業時間内です…」
「そう? 社則じゃそうかもしれないけど、社長室の決まりは、昼休みはプライベートタイムだよ? ふふ、この部屋の君主は私だから、治外法権エリア。私が決めたルールに従ってもらわねば。ね、新人クン」
「…そんなぁ…」
「真面目な社員だ。じゃあ、こうしよう。ここに乗りなさい。市ノ瀬潤。社長命令だ」

おいで、と手を広げて待っている。
室長も、粗相のないようにと言っていたし…社長命令なら仕方がない、と新入社員は自分の会社のトップの膝に飛び乗った。

「この部屋を出るまで、黒瀬潤だからね。潤、私を社長と呼んだら、減給処分にするよ?」
「…横暴! 黒瀬~」

そんなに甘やかすなよ~と、心の中では思うのに、新入社員から黒瀬潤に戻され、目の前の男が社長から愛する黒瀬に戻ったことが嬉しかった。
と同時に、安堵から、それでも我慢していた涙が一気に流出した。

「よしよし、頑張り屋さん。泣きたくなったら、いつでもここにおいで…」
「もう、泣かない……俺、恥ずかしい…男なのに…」
「恥ずかしいところを見せ合うのが夫婦だろ? 時枝にも、秘書課の他の社員の前でもそんな可愛い泣き顔を見せたら、嫉妬で全員クビにしそうだから、泣きたい時はここへどうぞ」
「…バカッ…その前に俺が時枝さんに追い出されるぅ……黒瀬は恥ずかしいところ、俺に見せてないじゃないかよ…」
「そんなことないよ? ふふ、見せてあげるよ」

ほらここと、膝の上の潤を少し持ち上げると、自分の股間の直ぐ上に来るように降ろした。