秘書の嫁入り 青い鳥(3)

「室長、終わりました。ご確認下さい」
「新人、当然自分でも確認してるのでしょうね? 私に確認を取るのは、自分で完璧だと思っている時ですよ?」
「大丈夫です。全て左側に留めてあります」
「新人、まさか、留め位置の確認しかしてない、なんてことは言いませんよね?」

先輩秘書の篠崎が心配そうな顔を潤に向けている。
毎年、新入社員、それも優秀な成績を研修で修めた者だけが、本社の秘書室に入って来る。
しかし、男女問わず、一年以上続く者が少ない。
仕事がハードなのだ。
別に秘書課内で虐めがあるとか、嫌がらせがあるとか、上司(時枝)や先輩社員が厳しい過ぎるというわけではない。
新人のうちは直接誰かの秘書に付くというわけではなく、実際の秘書業務の更にその下の雑用が仕事になる。
それがハードで、秘書といっても、本社・支社の色々な秘密事項に関わる上、他の部署に洩れては困る資料の作成等を秘書課が手がけている。
秘密の書類で【秘書課】なのか? と思いたくなる程、機密事項が多い。
人事異動で数年で変わる重役よりも、会社の中枢に深く関わる部署になっていた。
大学を出たばかりの、新入社員では少々荷の重い部署であり、そこに残ることがエリートの証だと分かっていても、他の部署に移動希望を出したり、退職するものが多い。
女性社員も多い部でもあるが、皆、誰の目から見ても納得の人材しか残っていなかった。
潤より三年先輩の篠崎もその一人だ。
普通でも残れる新入社員が少ないのに、今年の新人に限り、厳しすぎる気がして篠崎はハラハラしている。
年上の自分から見たら、可愛い部類の好青年が入って来たのだ。
できれば長く続けてもらい、自分の仕事が減ることを期待していたのだが…どうも、この新人と室長が合わないらしい、と篠崎は危惧している。
優秀といっても今時の青年だ。
厳し過ぎると「辞める」と言いだしかねない。
まだまだ仕事にはならない。
だからと言って、次に来る者が優秀とも限らなければ、仕事の合間の鑑賞用に楽しめる容姿をしているとも限らない。
よって、室長の新人に対するお小言が始まると、心配でならないのだ。

「…スミ、申し訳ございませんっ! 直ぐに確認します」
「一体、何の確認をするのか本当に分かっていますか?」
「…えっと…、用紙の向き枚数と順番です」
「その通りです。それを本来、最初の段階で出来ていないといけなかったのですよ。新人が位置を間違えたまま、提出する前の話です。直ぐに確認して提出しなさい」
「はい。アノ、時枝室長」
「何ですか?」
「名前…あります。新人じゃなくて、俺、名前がちゃんとあります」

心配そうな顔で覗いていた篠崎が、あちゃ~、やってくれたよ、と頭を抱えた。

「今年の新入社員のレベルがこれでわかりますよね。この程度で研修の成績優秀者ですか? しかもここは秘書課ですよ? 自分の事を『俺』と呼ぶのは止めなさい。そんなことまで私が注意しないといけないとは。新人、君は本気で秘書課で仕事をする気があるのですか? それから、私から名前を呼ばれたければ、私から秘書課に必要な人材と認められなさい。それまでは新人です」

泣くなよ、市ノ瀬! と篠崎は心の中でエールを送る。

「…はい。ここで認められるよう頑張ります」

篠崎の予想を裏切り、今度は泣かなかった。
席に戻ると黙々と確認作業をし、再度時枝に提出した。

「終了です。もうお昼ですね。新人はコレを社長室に届けて下さい。雑用があるようです。昼食の許可は社長に頂いて下さい。くれぐれも粗相のないように。いいですね?」

自分が作成した書類の山を抱えた市ノ瀬が嬉しそうな顔をしていたのが、篠崎には不思議だった。
近寄りがたい社長の雑務が自分でなくて篠崎はホッとした。

「篠崎さん」
「はい、室長」
「君は年下が好みですか?」
「は?」
「優秀な君が、新人を心配そうな顔で見つめてましたから。てっきり、君は俺のファンかと思っていました。思い過ごしでしたか…。哀しい限りです」
「あ、いえ、そんな…もちろん、クールな室長を崇拝しております」
「冗談ですよ。我々もお昼にしましょう」

見ていたのがバレバレだ。
あまり新人の市ノ瀬を庇うなと、遠回しに言われているのだろうか?
篠崎は自分の上司の真意を測りかねていた。