秘書の嫁入り 犬(16)

「騒々しいですね、佐々木、何事?」

初めて見る勇一の鬼の形相と暴れ様に、潤は驚き怯え声も出ず、目を剥いていた。
その潤の肩を「大丈夫だから、怖がらないで」と抱き寄せ、黒瀬が佐々木に事の発端を訊いた。

「DVDを寝室で、見ていらしたんです。その間、隣室でアッシは待機をしていました。そうしたら、突然、組長が『殺してやるっ!』と日本刀を持ち出して、手当たり次第、斬りつけ始めて…」
「さては、余程、酷いものが映っていたのか。やれやれ」
「ボン、やれやれ、じゃないでしょっ! 組長を止めて下さいっ、あのまま、道に飛び出しでもしたら、どうするんですか!」
「無理。あの状態の兄さんを止められると、佐々木は本気で思っているの? 馬鹿じゃない? あの人、普段は隠しているけど、根はマグマのような激しい人間だよ。本気で怒らせちゃあ、駄目だって」

いや、それをいうなら、ボン、あなたでしょう、と佐々木は胸の裡で突っ込みを忘れなかった。
激しい部分は、二人とも、桐生の血なのだろう。
現れ方が違うだけで、激情の血は先代から、桐生の伝承のように受け継がれているのだ。
本人達には不本意でも。

「ボンッ、お願いですからっ、止めて下さいっ!」

佐々木が必死になるのも分る。
既に部屋中ぐちゃぐちゃで、このまま放って置くと、本宅が壊滅状態になりかねない。

「…黒瀬…、組長さん…止めて……」

黒瀬の腕の中で、怯え震えていた潤が口を開いた。

「潤がそう言うなら、仕方ないね。佐々木、チャカか刀か貸して。鉄パイプでもいいけど?」

物騒な道具に、佐々木より潤が先に反応した。

「黒瀬? …まさか、組長さんを…」

不安そうに潤が黒瀬を見上げた。

「日本刀振りかざしている兄さんに、素手で対抗はできないだろ? 心配しないで大丈夫。防衛用だから」

それなら、と潤は納得したが、佐々木は潤ほど単純ではなかった。
拳銃を渡せば、黒瀬のことだ、これ幸いと、手足のどこかを狙って打ちそうだし、刀を渡せば斬り合いになりそうだし、かといって、ガキの集団じゃあるまいし鉄パイプなんて、常備していない。
納屋まで探しにいけばあるかもしれないが、そんな猶予がないぐらい勇一は怒り狂っていた。
木刀はあるが、それだと、今度は黒瀬に不利だと、佐々木は迷いに迷い、結局、日本刀を渡した。

「ボン、念に為に申し上げますが、決して血を吸わせないで下さいよ」

忠告をした佐々木に、迷わず黒瀬が刃を向けた。

「佐々木? お前、さっきから何回『ボン、ボン』言ってるのか知ってる? これで三回目。三回斬りつけても、文句言えないよね?」

ひぇっ、と佐々木が後退る。
佐々木の喉に黒瀬が刃の先を押し付けた。

「も、も、もうしわけ、ございませんっ!」

こんな状況でも、一々数えていたのかと、佐々木は怯えながら呆れていた。
やはり、刀を渡すんじゃなかったと、後悔もした。

「アッシへのお叱りは、後でゆっくり受けますので、まずは組長をお止め下さいっ!」

黒瀬が佐々木に構っている間も、勇一の狂乱は一向に止む気配がない。
本宅内には、身内か身内当然の者しかいないというのに、敵味方ない状態で暴れている。
このままだと、勇一の振りかざす刀で、いつ、人間への被害が出てもおかしくない状況だ。
潤だって危ないだろう。

「潤、危ないから、佐々木の後ろに隠れておいで。佐々木、潤を頼むよ」

黒瀬の刀から解放された佐々木が、潤の側にいく。
この場から離れられれば、それが一番安全なのだが、変に動くと勇一を刺激しかねない。
黒瀬が止めてくれることに期待して、佐々木は潤の盾となる位置に立った。

「兄さん、いい加減にして下さい。潤が怯えているでしょう。ったく、人騒がせな」

日本刀を振り回す勇一へ、黒瀬が歩を進める。

「てめぇえ、邪魔する気かっ!」

勇一が黒瀬に刃を向けた。

「邪魔も何も、ここに、あなたの敵はいないでしょう?」
「うるせぇっ、勝貴がっ、あんな目に、この野郎、皆殺しだっ」

勇一が黒瀬に容赦なく斬りかかるので、それを黒瀬がヒョイヒョイ躱している。

「はあ、話にならない」

黒瀬が、日本刀を振り上げた。
カチン、シャキンと、刃と刃が重なる音が響く。