秘書の嫁入り 犬(14)

時枝の消息が不明になってから、一週間が過ぎた。
黒瀬は出張から戻った足で、直接、桐生の本宅へ向った。
潤とは本宅で待ち合わせた。
出国時同様、成田へ出迎えに行きたいと潤が黒瀬に申し出たが、潤をネコっ可愛がりしている黒瀬がそれを断った。
時枝が消えたのが成田だったので、潤にも何かあったらと、勤務時間が終わったら直接本宅へ行くように命じた。
時枝が消えて直ぐ、潤には気付かれないよう、プロの護衛を付けていた。
第三者が係わっているとして、特定出来ないうちは、潤に被害が及ばないとも限らない。
すでに三回、潤は誘拐されている。
黒瀬の判断は、決して行き過ぎではない。
大事な人間を守りたいという、当然の判断だろう。

「お帰りなさいませ。ボ、…武史さま」

黒瀬の到着を佐々木が出迎えた。

「いらっしゃいませ、じゃない? 俺はもう、ここを出た人間だから。潤は?」
「既に到着されております」

そう、と笑みを浮かべると、黒瀬は潤と勇一が待っている部屋へと急いだ。

「潤、会いたかったよ~」
「俺も、黒瀬っ」

一週間。
この二人には、それは一年にも匹敵するぐらい、長い時間だったようだ。
ガッシリと抱き合い、熱い抱擁が始まった。

「いい加減にしろ」

そして、ここにも一人、人生で最も長い一週間を過ごした男がいた。
長いだけでなく、辛く耐え難い一週間だった。
プッツリと消えた恋人の消息。
拉致されたと読むならば、何か相手から動きがあっても良さそうなものだが、脅迫状も電話もメールもなかった。
安否を気遣い、待つだけの時間。
佐々木以外の組員や外部に、今の状況を洩らすわけにもいかず、イラツキを押し殺して通常の組長としての任をこなしていた。

「イライラしても、しょうがないでしょ、兄さん。状況は?」

部屋には、黒瀬、勇一、潤の他は佐々木だけ。
他の者は部屋から遠ざけていた。

「状況も何も…。桐生に対して何か仕掛けてくる気はないんじゃないのか? 不穏な動きも聞こえてこない。誘拐なら、脅迫状ぐらい、届いても良さそうなものだろ。静かなものだ。そっちは?」
「潤、時枝から連絡は?」
「ない。…けど…今思うと……」
「何、潤? 言ってみて」
「空港で、時枝さん、少し変だったかも。早く、俺を空港から追い出したかったみたい」
「だろうね。私を先に行かせた時から、時枝は既に巻き込まれていたんだ。組関係とか、仕事関係とか、そう単純なものじゃないのかもしれませんね、兄さん」

はあ、と、珍しく四人一緒に溜息を付いた。

「…これじゃ、まるで、勝貴自身が目的だったみたいじゃないか…」

勇一の口から漏れた言葉に、一同、ハッとなる。

「その可能性を忘れてましたね、兄さん。理由はわかりませんが、もし、目的が時枝勝貴だったら? 時枝を手に入れる為で、他に何も望んでないとしたら、そりゃ、連絡はありませんよ」
「…まさか。そんな…ことが……」

勇一の顔が暗くなる。

「あくまでも、可能性の一つです。あんな面白みのない人間を手に入れて喜ぶのは、兄さんぐらいだと思いますが、まあ、世の中、変な感性の人間もいますので、そういう可能性もあるかなと」

勇一を安心させたいのか怒らせたいのか、黒瀬の言動に、佐々木が冷や冷やしていた。
潤は慣れたもので、平然と二人のやりとりに耳を傾けている。

「はあ、武史を見ていると、世の中には常識の通用しない人間がいるってことがよく分かる。だとしたら、可能性はある」

ガクリ、勇一が項垂れた。

「組長さん、ガックリ来ている場合ではないでしょ。やっとお二人、将来の約束されたんでしょ! 何が何でも探し出すぐらいの気合いがなくて、どうするんですかっ」

渇を入れたのは、潤だった。
ここで自分達が諦めたら、動かなかったら、時枝の命が危ないと、思えてしょうがなかった。
あと一歩遅ければ、どうなっていたかわからない状況で、黒瀬や時枝に助け出された経験を持つからだろう。
黒瀬や勇一は、大人の判断で、今まで下手に動こうとはしなかった。潤にはそれが不満だった。

「そうだな、お前の嫁の言うとおりだ。俺がなんとしても、探し出してみせる」
「手がかり無しで?」
「ああ」

そう上手く行かないことは勇一だって分かっていた。
だが、もう、この一週間が限度だ。
これ以上、相手からの連絡を待つことはできないし、時枝が自力で戻ってくることもないだろう。
いくら、桐生で育った時枝だと言っても、生身の人間なのだ。
戻ってこなかったということは、戻れなかったということだ。