秘書の嫁入り 犬(12)

「どういうことだ?」

勇一に黒瀬から電話が入ったのが、その日の夜だった。

『だから、時枝が消えたようです。兄さんに連絡がないのなら、消えたとしか思えませんが。時枝と喧嘩したとか?』
「アホぬかせ。ラブラブだ。仕事上のトラブルってことはないのか?」
『それも考えられますが、兄さんの方のトラブルもあるでしょ? これが、俺か潤なら、こっち側だけで推測しますけど。時枝は桐生にも意味を持つ人間ですからね。違います?』
「と言われても、表だって抗争が今起きているわけでもないし、今日一日こっちは何も変わった事はない」
『携帯も繋がらない。時枝が自ら姿を隠したのか第三者が関係しているのかでしょうけど、あの時枝が、中途半端に仕事を投げ出すことは考えられないから、後者でしょうね』

自らはあり得ないのだ。
見送りは断られたが、時枝は勇一に最高級の老酒を買ってくると約束したのだ。

「成田で消えたんだな?」
『はい、そうです。ですので、兄さん、後はよろしくお願いします。俺の帰国は一週間後ですから』
「てめぇ、自分の秘書が行方不明だって言うのに、人任せかっ」
『人って、時枝のことを一番分かっているのは兄さんでしょ』
「…とにかく、連絡があったら、直ぐ知らせろ。こっちで何か不穏な動きがないかは調べてみる」

黒瀬にしても、勇一にしても、実際動きようがなかった。 
第三者が関係しているとして、そいつの目的もクロセ側か桐生側かも分かってない。
時枝個人に恨みがあるのかも知れないし、または黒瀬や勇一に恨みを持つ者が係わっているのかもしれないし、推測しようにも、幅が広すぎるのだ。

『連絡があれば、知らせます』

黒瀬との国際電話が終わった勇一は、直ぐさま時枝の携帯へ発信した。
しかし、電源が切られているようだ。
念の為にと、時枝のマンションの家電にも電話した。
が、留守電のメッセージが流れるだけだ。

「おい、佐々木はいるか? 佐々木を呼べ」

勇一は佐々木を呼びつけた。

「お呼びでしょうか?」

風呂上がりだったのか、濡れた髪の佐々木が首にタオルと掛けやってきた。
慌ててシャツを着たのか、ボタンを掛け違えていた。

「ちょっと話がある。寝室へ来い」

最近、同居中の大学生の影響か、佐々木はちょっとしたことに過剰反応する。
今も勇一が寝室と言ってだけで、顔を赤くしている。

「話が、あるんだ。変な妄想するな」
「…アッシは別に……」

妄想が図星だったのか、ますます赤味が増した。
そんな佐々木に「来い」と顎で命じ、寝室へと招いた。

「ちょっと困ったことが起きた」
「は、何でしょう」
「今、うちを快く思ってない団体は幾つある?」
「…表向きは、友好状態が続いてますが……そうですね、関東清流会の傘下では、やはり誠和会崩れの一派が、うちを快く思ってはないかと。後は、香港からの利権を妬む企業ヤクザ系も、うちを目の敵にしているようです。奴等はスマートなので、ドンパチでは攻めてきませんが」
「大小合せると、切りがないな」

桐生関係だとしても、手当たり次第に内偵というわけにはいかないだろう。
それこそ、変な探りを入れていると思われると、後々火種を残し兼ねない。

「…組長、一体、どうしたんですか?」
「いいか、他言無用だ。勝貴が、消えた」
「消えたって、組長、また、泣かせるようなことをっ!」

佐々木が大声で叫ぶ。

「静かにしろっ、外に漏れるだろうがっ。喧嘩も浮気もしてないっ。誤解するな。出張に出る途中で消えたんだ。成田空港でだ。クロセ関係かうち関係かは分からんが、何か起こったと思って間違いない」

佐々木の顔が今度は青くなる。

「うち関係だとすると、時枝さんの命が……」
「それは、クロセ関係でも同じだ。潤や武史だって、命の危険は経験している」
「まだ、時枝さんは組に在籍してないのに、狙われたとなると……組長と時枝さんの関係に詳しいってことになりませんか」
「そうだろうな。狙いは、俺かも知れん。それに巻き込まれたか……」
「相手の出方が分からない以上、我々には手の出しようがないってことですか?」

佐々木も勇一同様の分析をしたようだ。

「そういうことだ。待つしかない」
「組長狙いとなると、組長を丸腰で誘き寄せるつもりかもしれません」
「ああ、そうだな。その時は、後のことを頼む」

勇一が佐々木に頭を下げた。

「組長っ! 不吉な事を言わんで下さいっ」
「そりゃ、そうだけど、勝貴一人逝かせるわけにはいかんだろうが」

それぐらいの覚悟はしていると言いたかっただけだが、佐々木の涙腺は、既に壊れていた。

「泣くなっ、そっちの方が不吉だろうが。この話はこれで終わりだ。噂でもいいから、不穏な動きがあれば、直で報告しろ」

待つのは辛いものだ。
安否が分からない状態というのは、身を引き裂かれる想いだ。
黒瀬が潤を助けるために、行方不明になった時のことが思い出された。
あの時は辛うじて命は取り留めたものの、廃人同然の姿だった。
無事でいてほしい。
傷一つない姿で、無事に戻って来て欲しい。
佐々木が出て行った後、勇一は一人仏間で仏壇と神棚に、手を合わせていた。